This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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2005年12月からJUGEMでつづけてきたこのブログですが、このたびレンタルサーバー借りて移転しました! よそのブログサービスでなく、自腹のサーバースペースでの運用になります。
本気度をこめて、ブログタイトルも「This Is The One - strong -」としました。 JUGEMのこのブログも、JUGEMのサービスが続く限り残しておこうと思います。 こちらは「This Is The One - innocent -」と名づけることにしました。 まだ本当に未熟でイノセントだった18歳の頃からつづってきたブログです。 今見ると赤面するような内容がたくさんあるけれど、それもまた俺のありのままの姿という事で残しておきます、
こちらのリンクから飛べますので、見てください。 そしてよければ、ブックマークしてください。 読み応えのあるものをたくさん書いていく予定ですので、ちょくちょくのぞきに来ていただけたら光栄です。
今後ともよろしくお願いします!
妻との共通の友人などと、妻のいないところで妻について話す時、思っているよりも自分が楽しんで話をしていることに気づく。 妻についてなら自分にも語れることがあると思える。 もはやあまり目移りするでもなく、自分から発信するでもなく、すっかりおとなしい沈着な生活を送るようになった俺だ。 人と一緒にいても、自分から何か話す話題などあまり無く、相手の話したいであろうことに水を向けることの方が多い。 それでも妻についてなら、俺は何かを語れると思う。 妻について他の誰よりもよく知っているのは俺だし、俺がよく知っているのは他の誰よりも妻についてのことだ。
JUGEMテーマ:クリスマス 明日から姉夫婦と甥っ子二人に会いに行くので、職場のそばのショッピングモールを物色する。 今週はなかなか時間を取ることができなかった。 日常生活に根ざしたショッピングモールだから、手土産にふさわしいものがあるかはわからなかった。 カルディの店先にあった、レトロなサンタクロースがエンボス加工されたオーバル型のチョコレート缶に目が止まる。 赤くてツヤツヤで、雪景色やモミの木も描き込んであるようなやつだ。 そうか、クリスマスだ。 5月に生まれた二人目の甥っ子には、生まれて初めてのクリスマスだ。 上の甥っ子は2歳半。 これはプレゼントというものを理解できる、初めての年頃ではないか? 綺麗な缶を開けて、宝石みたいなトリュフチョコが並んでいるのを目にしたら、どんな気分がするだろう。 うちの姉(彼の母)は食べ物に気を使うから、こんなに刺激のつよいお菓子はなかなか彼の手に入らないだろう。 こんな時のために、快楽というのはあるのだ。 これを買っていこう。 カルディの向かいの店は、家具や小物を扱うショップ。 サンタクロースやトナカイやモミの木の置物がたくさん飾ってある。 陶器や、布や、何かいい感じの化学素材でできたやつだ。 おしゃれなサンタクロースを一つ手にとってみると「1,000円」。 人類の進歩をこういうところで目にする。 こんな貴族的な調度品がこんなお手頃価格で。 誰もが誰にも気兼ねなく、室内を思うように彩る事ができる。 自分の家にこんな置物や壁掛けをかけて、バランスよく華やかに飾る想定をめぐらしていると、いつの間にか心が浮き立ってくるのを感じる。 月間40時間を超えそうな残業の疲れとむなしさが、少し確実に癒えていくのを感じる。 素朴な消費の喜びは、人の生活を確かに豊かにすると感じる。 職場のすぐそばの、特になんの変哲もないショッピングモールにも、心を明るくするものはあるのだと見つける。 クリスマスのない消費など。 消費のないクリスマスなど。 神輿のない祭りだ。 祭りのない神輿だ。 ビールのないバーベキューだ。 バーベキューのないビールだ。 練り物ののないおでんだ。 おでんのない練り物だ。 映画のない映画館だ。 映画館のない映画だ。 麦茶のない夏だ。 夏のない麦茶だ。 ネクタイのないスーツだ。 スーツのないネクタイだ。 クリスマスとプレゼントのないお買い物など。 お買い物とプレゼントのないクリスマスなど。 サンタクロースは消費の偶像だ。 クリスマスプレゼントを贈る人はすべてサンタクロースだ。 妻も疲れ切って暗くて、せっかく週末の予定なのにとても楽しめやしないと思っていた。 金曜の夜、やっと心が放たれた。 君の笑顔に、気持ちよく会いに行ける。 「Driving Home for Christmas」の歌詞、和訳はこちら↓ http://nightswimming.jugem.jp/?eid=148
JUGEMテーマ:日記・一般 馬鹿みたいに丁寧な仕事のために、こんな時間まで会社にいるハメになる。 ここのところ、毎日こんな調子だ。 この精密な仕事のおかげで、誰が喜ぶというのか。 手抜きによって生まれる尊さもあると、日本社会はもっと学んでくれ。 地に足ついたおおらかな対応をお願いしますよ。 と言いたくなるが、これはこういう仕事で、こういう仕事にカネを払う誰かがいて、この仕事で今俺はメシを食っている。 疑問を投げるなら、この仕事を淡々と進めている自分自身の立場をまず問うべきだろう。 こんな時間から電車に乗って家に帰って、夕飯を作って食べれば、何をする時間も体力もありはしない。 しかし身重の妻と、胎内の我が子のためと思って、俺は夕飯を作る。 ちなみに今日は生姜たっぷりの鮭汁を作ろうと思う。 二人には、ありうる限り最高に元気で健康でいて欲しいと思う。 言ってるそばから、妻のほうは俺より帰りが遅い。 心配だ。 俺の元気を分けられる事なら分けてあげたいと思う。 そうやってまた、俺は自分のための時間と労力を削る事になる。 いったい俺は何をしようとして生きているのか。 それでいいんだと、すべてのJ-POPの歌詞は言っている。 大切な人を大切にする、それだけでいいんです、と。 本当に大事な事は君がいる事だから、それ以外はけっこうどうでもいいんです、と。 実際、俺の好きなように生きていても、妻が苦しんでいるなら、俺は幸福でいられる自信がない。 こんな夜は、美しい音楽を聞きたい。 俺も美しい何かを作り出そうと思いたい。 目下のところ、俺の見える範囲でもっとも美しいものは、妻とのこの生活だ。 どうか、元気で幸せでいてくれよ。 美味しいご飯つくって、できるケアならなんでもするから。 健康でいい子産んで、いい日をいくつも過ごせるといい。 今日という日にできることを、せめてとにかくしよう。
JUGEMテーマ:I LOVE ディズニー 先週末、妻が借りてきてくれた『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』を見た。 俺は高校生の頃にもTSUTAYAを歩きながらこの映画を見たいと思っていて、結局借りないままに今に至っていた。 しかし高校生の頃の自分では、この映画を楽しめなかっただろうと思う。 ミュージカルすぎるからだ。 若い頃、ミュージカルが理解できなかった。 なぜやたらめったら歌うのか。 さっさと次の場面に移って、もっと興味深い場面だとか映像を見せてくれればいいのに、なぜいつまでも一つの場面にこだわって歌いつづけているのか。 若い頃の俺にとって、ミュージカルは冗長なばかりで、すぐに飽きてしまうようなものだった。 今でもそれほど楽しめるわけではない。 しかしいくらか大人になったので、理解はできるようになった。 ミュージカルの利点は、プロットさえ立ててしまえば、物語の進行についてそれほど心配しなくていいという点だろう。 歌うことによって、展開や感情を観客の心に直接伝える事ができる。 この展開につなげるためにどんな場面を入れべきかとか、この感情を表現するためにどんな出来事や小道具を挿入すべきかとか、そういうことについて悩まずにすむ。 そしておそらく最も重要な点は、歌は単純に楽しい、という事だろう。 語呂が良くて素敵なメロディの歌を聞いているだけで、時間を忘れて楽しむ事ができる。 この点については、俺はまだそれほど満喫できているわけではないけれど、少なくとも理解はできるようにはなった。 ところで清水翔太の「My Boo」大ヒット中である。 『アラジン』を最初に見たときに俺の心に残ったのは、もちろんジャスミンの可愛さ、美しさ。 それにアラブの町の景観。 「アリ・アバブゥワー」 などであるが、もう一つはジーニーのおちゃらけぶりである。 これ、完全にアメリカのコメディアンだろ、という違和感。 たとえて言うなら、桃太郎がディズニーで映画化された時、イヌサルキジがあんな感じでアメリカのコメディショーみたいにおちゃらけまくっていたら感じるであろう複雑な気持ち。 これ、アラビアンナイト的にどうなのよ、という疑問。 俺はそもそもロビン・ウィリアムズのファンであるという事ははっきり言っておくけれども。 まぁしかし、帝国主義的感性ってこういうものよね、という慣れで上塗りされていく。 たとえばクリスマスに心を惹かれたジャックは、自分達でクリスマスを作り上げてやろうと意気込む。 結果的には非難轟々を浴びるとはいえ、クリスマスへの憧れと渇望は本物である。 だいたいオーストラリアやニュージーランドに入植したイギリス人だって同じようなもので、自分達にとって一番面白いように生活していたら、いつの間にか先にいた住人を虐げていたというところなのだろう。 ジャックの暴走と同じように、結果的には人を殺したり文化を殺したりするのだけど、暴力ってけっこう悪気はないものよね。 ディズニー映画で心に残るといえば、なんと言っても『美女と野獣』のガストン。 あの粘着質な怒りと、異様なまでの執着心。 「お前、村一番の美人がよそにお嫁に行ったからってそこまでまとわりついて引きずり込もうとするってのもどうなのよ。 そもそも始めから仲良くないんだし、ただ一番美人だからっていう理由でそこまで執着するって動機がダサいし世界狭すぎでしょ」 と思いながら、それでもあくまでも一歩も引かないガストンのギトギトした推進力は、もはやあきれるを通り越して敬意すら湧いてくるほどのものだ。 ところが最近、フランス革命にまつわる小説をいくつか読んでいて、少し違った観点もあったのかもしれないと思った。 あれは、引きこもりの貴族に村の娘を持っていかれる民衆の怒りだったのではないかと。 「税金しこたま持って行って不労所得でいっぱしに鬱気取ってるくせに、こっちの日常生活のささやかな楽しみだとか生き甲斐まで持ち去るつもりなのかよ。 そんなに何もかも、黙って渡しやしないぜ」 という、怒り。 だとしたら、刺し違えてまでガストンが貴族の野獣とかいう奴に抵抗をしめしてみせるのは、もはや義憤に命を賭しているようにすら見えてきて、いささか涙を誘うまでに英雄的な行為なのである。 知らないけど。 原作も読んだことないし、『美女と野獣』について、俺は何も知らないけど。 ふと、そんな事を思いついた時がありました。 俺が言いたいのは、最近アップルミュージックに登録して、J-POP聞くのがまた楽しくなってきたって事! CSのミュージックチャートも、なんか最近久しぶりに面白いわ。 そんな感じ! またね!
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