This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:音楽
俺が18歳だったのは10年前のことだ。 ちょうど、このブログを始めた頃。 あの頃、俺はまだ行き着く先よりも始まる前の場所のほうに近くて、自分の故郷はどこなのかといつも探し求めていた。 どこにいても自分の居場所ではないと感じていて、ではどこにいればいいのかと問うても、それがわからなかった。 50枚のCDを背負って、ヘッドフォンをしながら吉祥寺や立川を歩き回っていた。 というよりは、街中に点在する中古CDショップを回遊しながら、それ以外のほとんどの時間は立ち止まってぼーっとしていた。
音楽がいくらなりか俺の心に触れて、時には和らげてくれさえしたのは、この世界でこんな言葉にできない気持ちを感じているのは自分ひとりではないと感じさせてくれたからだろうと、ふり返って思う。 「いくらなりか」と書いたが、当時の俺にとって音楽の存在はとても大きくて、音楽は人生の主役たりうるとすら思っていた。 (Badly Drawn Boyの「音楽は人生のサウンドトラックに過ぎない」という歌詞に出会ってビックリしたのは、19歳のときだった気がする) 俺の気持ちにぴったり来るような歌詞を見つけた時には、夢中になってそのアーティストの曲やアルバムをあさりまくった。 他にもたくさんそういう音楽があるんじゃないかと、いつも探し回っていた。 たとえば音楽雑誌や、CDのライナーノーツなんかで、気に入っているバンドが自分達のルーツや憧れや、時には毛嫌いしているバンドの名前や曲を挙げているのを見つければ、すぐに聞きたくて探し求めた。
そしてある音やメロディ、リズムだとか機材やエフェクトの具合、さらには挿入される飾りの音だとか流れていく進行の連なり、つまりは音楽の全体に、どこにも見つけられないあの場所を見るような気持ちになる事があった。 自分にぴったりとフィットして、美しくて落ち着ける、あの居場所というようなものに触れたような。 俺はもっと世界について知りたくて、それはつまり自分の居場所を見つけたかったからだ。 その時俺は、それを音楽をとおしてやっていた。
The 1975というバンドの音楽を聞くと、あの頃の気持ちを思い出す。 夕暮れ時や、真夜中に、長いケーブルでプレイヤーとつながったヘッドフォンを頭につけて、ベッドにもぐりこんでただ耳をすませていたあの頃、音の中に見ていた景色や心を、思い出す。 今では言葉や音の、社会的あるいは機能的な側面のほうに興味がある俺だが、あの頃の事を思い出すと、言葉や音の芸術的な側面の興味深さを思い出す。 言葉にできなかったり、自分でもまるで理解も整理もできないものを、なんとなく表現してくれる、芸術だけに許された領域。 ただし俺はそれについて、純粋な芸術について書く気はまだない。 以下に書くのは、芸術の話というよりは、単にポップミュージックという文化についての話。 ただ、The 1975は、俺に忘れていた何かを思い出させてくれるというだけの事だけを書いてみた。
俺の気持ちや心象風景や芸術は置いといて、The 1975があの頃(10年前)と重なり合う要素はある。 このドラム、このカッティング、このリズム、このエフェクト、このコンピュータ、それはあの頃、ニューウェイヴリバイバルだとか、ポストパンクリバイバルだとか言われてもてはやされた、あのバンドたちと同じ趣味だ。 Franz Ferdinand、Bloc Party.、The Bravery、Future Heads、Hard-Fi、The Editors、Steleophonics、Razorlight、Kaiser Chiefs、Kasabian、Keane、さらにアメリカだけどThe Rapture、その他の、もはや名前も忘れてしまったたくさんのバンドたちのあの時代。
で、まぁ誰が誰に似ているかというミーハー的なお楽しみは別として、ここで俺が言いたいのはあの頃と今の時代のつながりについてだ。 当時、90年代(ニルヴァーナだとかオアシスやレディオヘッドの90年代!)を終えたばかりのあの時代に、ロック界においてダンスミュージックなんてダサくてナンパでミーハーなものだという雰囲気があった。(と、俺は思う) ちょっと知的で内向的で、芸術的感性と批判精神で鋭く切れ込むのが、かっこいいロックだった。 そんな時に、ニューウェイヴリバイバルだとか、ポストパンクリバイバルだとかの、上記のバンドたちが登場したのだ。 それから10年後の今、ポップミュージックはすべからくダンスミュージックであるとでも言い切れるかのような時代の状況だ。
ところで、Daft Punkが2001年に「One More Time」を出した時、それは大きな勇気と思い切りに満ちた行為だったのだということを、俺は言っておきたい。 明らかに、あれは浮いていた。 明らかに、あれは時代に対しての「裏張り」で、「ダサい」方向に振り切れる事によってポジショニングを確保するような、「裏笑い」に近いヒット曲だった。 それから10年間、彼らは他の誰とも違う場所で、彼らが自分で一番いいと思う音楽だけをやりつづけた。 「80年代」「ダンスミュージック」、これらが即座にダサかった時代が、かつてあったのである。 (Kylie Minogueという”貴族”だけは、体調不良で立てなくなった時をのぞいて、常にその位置に気高く、そして周囲と無関係に立ち続けた。その点、常に時代に媚を売るMadonna(見上げたショーガール!)がさまざまな変遷を遂げているのとは対照的。)
そして今では、EDM全盛で、ロックもダンスミュージックである事を余儀なくされる時代である。 The 1975から始まって、まあなんだか久しぶりに書いてて何を書いてるんだかわからなくなってきたが、そんな時代があって今があるよ、ということを書いておきます。 ちなみに俺は80年代、とても好きです。 俺の生まれた時代でもあるし。
眠気マックスになってきたので、つづきはまた明日。(か、そのうち) ・歳をとってワンダーが減る事 ・身体レベルのワンダーが減る(習慣化という克服)によって、左脳的記号的言語的ワンダーに没入していく事。 ・風呂釜に入りながら水を抜く話。 ・The 1975ってば2015年のTokyoに似合うよ、それでいて懐かしくていいよね。
そんな内容になるような展望があるような無いような。
JUGEMテーマ:音楽
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その選択、脚本に仕上げるかブログに上げるか、という決断に人生観が出ると思う。 翻って、その源泉となる感情や発見をブログに上げてしまおうというのは、映画によって成り立つような、そんな生き方をやめることに近づく。 実は、これらの二つの決断に、本来的な違いなど無い。
図書館からの帰り道(いつもこれだな;)、Leona Lewisのライヴアルバムを聞いていて、「あぁこういうことだよなぁ」と思った。 ファーストアルバムの一曲目であり代表曲"Bleeding Love"と、セカンドアルバムの同じ位置にあるリードシングル"Happy"の間をつなぐのに、"Run"ほど適切な曲はないだろう。
今日は2時限目が基礎ゼミでその後は授業がなかったから、例のマジシャンに手品をいっぱい見せてもらった。 前にサークルの説明会で会ったやつも一緒に見て、とりあえずこの2人とはそれなりに仲良くなれた気がするので、まぁ俺にしては上出来である。 で、今日もカードマジックが中心だったのだが、一番驚いたのは指輪を使ったマジックだった。 指輪を手に持って、握って開くと指輪が消えていたのである。 そではまくっている。 ホントに消えちゃったみたいなのだ。 指輪を渡したやつ(サークルで会ったやつね)はどうやら彼女とのペアリングらしく、ちょっと焦っていた。 で、それがどこから出てきたかというと・・・マジックやってるやつの尻ポケットに入っていた財布の、鍵とかをいっぱい付けられるジャラジャラした金具に止まっていた。 キーホルダーみたいになってるから、そんなに簡単に付けられるもんでもないと思うんだが、まったく不思議である。 そんなこんなで、ゼミが終わった後も1時間以上教室で手品を見ていた。 でも本人曰く、「俺はまだまだ」らしい。 Last Broadcast Doves ところで、イギリスの中でどこの町の音楽が一番好きか?、と聞かれたら俺はどう答えるか。 マンチェスター、と答える。 パンク以降、BuzzcocksやJoy Divisionを輩出し、'80年代にはクラブ「ハシエンダ」を中心に一大ムーヴメントを起こし、あげくのはてにはThe Stone Rosesという奇跡を生み出した。 そして何より、現代にBadly Drawn Boyと、このDovesがいるからだ。 現在イギリス中を見回して、このDovesのようなバンドは俺には見つけられない。 なぜこういうバンドがもっと出てこないのか、と不思議に思うのだが、おそらくこれは形だけ真似ても同じにはならないようなサウンドなのだろう。 基本は3ピースのまっとうなギターバンドなのだが、そこにコンピューターなどでありとあらゆる音がちょっとずつ足される。 そして描き出されるのは、ジャケットのような夜の世界に近い。 なぜここまで上手く、雰囲気を音として表現できるのかが俺にはわからない。 しかもそのサウンドは全然単純なものではないのに、なぜここまでまとまって一つの風景を描き出せるのかがわからない。 系統はちょっと違うものの、Museなんかよりもずっとこっちのほうが良いと思うし、RadioheadやColdplayと並び称されてもいいぐらいの作品を作りながらこの知名度の低さはなんなんだ、と言いたくなる。 まぁ、最新の3rdはちょっと期待に応えるものではなかったが。 でもそれは期待が恐ろしく高いからであって、そこらのアルバムよりはよっぽど優れた良作ではある。 ってか、この文章だとRadioheadとかMuseの系統みたいに思えるけど、だいぶ違う。 この世界観は類を見ない。 まぁ、百読は一聴にしかず、である。 とにかく聴くべし。 TSUTAYAで300円ちょっと出しても絶対に後悔はしない。 俺は初めてこれを聴いたときに、「なぜもっと早く聴かなかったのか」と後悔したことをよく覚えている。 とにかく、このアルバムは筆舌に尽くしがたい。
え〜、今日の夕飯のスープに母がコショウを蓋ごと入れまして、ペッパー味のポテトチップスみたいにキツいやつを飲むことになって、体がすっかり温まりました。 そんな中で昨日、大学に入ってから3人目ぐらいにまともに知り合った人がいたんだが、これがなかなかすごい人だった。 同じクラスで、俺は最初の登校日から見つけていたのだが、見た目がなかなか良い感じで、まず耳のところに一束の赤いつけ毛を付けている。 さらにファッションセンスもなかなかいい感じで、流行に乗ってるわけではなく、きちんと個性を放っていた。 まぁ、制服の学校から来た人たちは、ある程度しょうがないのかもしれないが、みんな同じような格好をしているのが俺には気持ち悪くてしょうがないのだ。 特に男子が目に付くのだが、「まぁ、こういう格好しとけば安全だろう」みたいなみんなに合わせたようなファッションは大嫌いである。 で、話を戻して、その人の何が一番すごいかというと、そいつがなんと手品師なのである。 福岡から出てきたって言ってたけど、地元ではバーでバイトなどしてたらしい。 トランプを一式持ち歩いていて、見せてくれ、と頼んでみたら嬉しそうに見せてくれた。 それがまぁ、すごいことすごいこと。 何が起こってるのかよくわからない間にカードが次々と変わっていくのである。 カードは普通のカードで、すべて手先の技でやってるらしい。 普通に束の中に入れたはずのカードが、次の瞬間には一番上に乗ってたり、それをひっくり返したとたんに違うカードに変わったり、俺の手の上に置いたカードが一瞬で違うカードに変わったり…。 とにかく次から次へと変化していくのだ。 授業前の2,3分でそれだけ見せてくれたのだから、まったく大したものである。 Wilderness Is Paradise Now ところで、前から良いとは思っていたんだが、今日学校へ行く途中でじっくり聴いてみたらホントに良かったのが、このMorning Runnnerのデビューアルバムである。 keaneみたいな叙情的なメロディーがあるかと思えば、いきなり轟音が迫り狂ってきたりして、これもとにかく次から次へと変わっていくのだ。 音はいかにもU.K.で、ColdplayやKeaneの系列でありながら、轟音も迫ってくるという、俺のツボのうちの一つを見事に直撃してくる。 まぁ、今年の優秀な新人の一つということで、一聴の価値あり。
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