This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:読書 夕飯後に俺は皿を洗いながらAviciiの「Waiting for Love」を歌っていると、食べていた柿が喉に詰まったので、吐き出そうとしてむせた。 それを見ていた妻が、大きな声を上げて笑う。 心から可笑しそうに、笑いすぎて苦しくなってもおさえきれずにまだ笑う。 俺は妻に心を許している。 妻が俺に心を許す態度を見せてくれる事も嬉しい。 共に裸のままで、敬意を持って暮らしている。 もしも彼女が死んでしまったとしたら、俺はとても悲しいだろう。 動かなくなった彼女の姿に。 変わり果てた彼女の姿に。 生き物でなくなった彼女の姿に、すっかり何かを失った気持ちになるだろう。 そんなことを思うだけで、俺は悲しい。 「Waiting for Love」のビデオの爺さん、そんな感じの役だ。 男が妻を失う時、何かがごそっと持っていかれるらしい。 始めから終わりまで痛ましい、マーク・トウェインの自伝。 どこを読んでも華々しいまでに面白いのに、同時に胸をかきむしりたいほどの悲しみに満ちている。 自伝が終わりに近づけば近づくほど、自伝は冷え冷えと悲しく、痛ましくなっていく。 城山三郎の『そうか、もう君はいないのか』。 このタイトルがあまりにも痛ましく、何もかもを予期させて胸に刺さると、何人もの男が感想を書いている。 これも自伝である。 トウェインの自伝も、城山のそれも、ある日突然に筆が置かれて、そこで終わる。 そこから先、もう言葉を持っていかない瞬間だろうか。 それとも、言葉が生まれてこない瞬間だろうか。 もう、二度と取り上げられる事のない筆、二度と書かれる事のない言葉たち。 そしてたとえばディケンズが書いたように、誰もが秘密を抱えたままに死んでいく。 誰にも知られない秘密。 知らせようにも知られようのない秘密。 トウェインも、城山も、いまや墓に残るのもせいぜい骨ぐらいだろう。 他には何も残らない。 俺と妻も、一つにはならないまま、知らない事をたくさん残したまま死んでいく。 たくさんの時間を過ごして、たくさんの出来事を分け合って、別々に死んでいく。 それでも、出会えてよかったと、俺はきっと言える。 マーク・トウェインは妻に先立たれた後、最後まで身近に残ってくれた娘と共に暮らす。 トウェインには子が4人いた。 3人の娘と1人の息子だ。 息子は、1歳と10ヶ月で死んでしまった。 トウェインが子守をして無蓋馬車に乗った時、不注意で赤ん坊の体を冷やしてしまったのだ。 この場面は自伝に短く書かれているだけであるが、たったそれだけの文章でひどく胸をうつ。 トウェインの後半生は特に厳しかった。 事業に失敗して借金をつくり、その借金を返すために世界中を講演して回った。 そんな旅をしている時、アメリカに残してきた長女のスージーが死んだ。 妻のオリヴィアは、トウェインと出会った時から体が弱かった。 講演の旅を終えて、のんびりと休まる時もないまま、オリヴィアも死ぬ。 トウェインが苦しい時、いつも何かと世話を焼いてくれた、頼りになる次女のクララは、その後に結婚する。 結婚して、ベルリンに住まうようになる。 トウェインの身近に残ったのは、三女のジーンだけとなった。 それでも、愛する娘と二人で静かに暮らす事で、残り少ない日々も恵みのあるものになると、トウェインはそう思っていた。 そのジーンも、共同生活が始まって4日後の朝に急死する。 この7ヶ月前には、親友の編集者ロジャーズ氏も亡くなっている。 トウェインがロジャーズをどんなに頼りにしていたかは、カーネギーも自分の自伝に書いている。 トウェインには、誰もいなくなってしまった。 ジーンの死を記す、自伝の最終章はもちろん、悲しみに満ちている。 しかし、トウェインは勇敢にもこう記すのだ。 「夢は実現した」。 「正夢はまるまる2日もつづいた」と。 トウェインが家に帰った翌日と、ジーンが息を引き取る前日。 そのまるまる2日間が、トウェインと娘の「確かに一つの家族」としての生活だったと。 この悲劇に呪いを吐くのではなく、実現した2日間に感謝を告げるのだ。 勇気とは、こういう事だと俺は思う。 人生に素晴らしい瞬間があったのなら、それが20年間つづこうと2日間つづこうと、どういう違いがあるだろうか。 俺は、妻と出会えて、こうして共に暮らしている事に、こんな感謝を告げたいと思う。 どんなに辛い事が待っていようと、俺は恨みや呪いの言葉は吐かない。 生まれたから、出会えたから、素晴らしい時間があったからこそ、辛い事も起こるんだという事を忘れない。 父と母に、ありがとう。
JUGEMテーマ:音楽
近ごろHip Hopをよく聞いている。 いろいろと調べる中で、Amazonのレビューなど見ていた。 俺が音楽漁りにはまっていた2005年ごろ、Amazonのカスタマーレビューを大いに参考にさせてもらった。 あの頃、趣味について一言いいたくてもその場を得ていなかったような人々が、新しい発言場であるレビューという場所に書き込むのを楽しんでいたように思う。 作品の情報を無償で提供する、単なるボランティアなのだが、自分の好きなものを紹介する楽しみがそこにあり、俺のような情報に飢えているマニア初心者みたいなやつが夢中でそれを読み、音楽を漁る参考にしていた。 今、ざっとAmazonのレビューを見ていて、一昔前に書かれたレビューの数がもっとも多いように感じる。 今やレビューという文化も普通のものになってしまったから、あの頃のような新鮮な楽しみの感覚も薄れたのだろうか。 近ごろ音楽を追っていないから、好きなバンドの新譜でも出てないかと検索してみた。 何よりも興奮したのは、Damien Riceの新譜情報が上がっていたこと。 「11月11日発売予定」と書いてある。 前作を出したのが、俺が熱心に音楽を聴いていた2006年のこと。 俺は1stの『O』(2002)が大好きだったが、新しい『9』も気に入っていた。 その後、彼の活動はだんだん減っていったと思う。 一緒に活動していた女性ヴォーカリスト(名前忘れた)と袂を分かったというニュースもどこかで目にした。 もともとが辛そうに音楽をやっていた人だから、きっと苦しんでいるのだろうと思っていた。 このまま、メジャーシーンには戻ってこないのだろうと予想もしていた。 ところが、8年ぶりの新譜が出るらしい。 さて、中身が予想つかないだけに、楽しみである。 一つの大きな懸念としては、11月に俺がそのことを思い出せるかどうかだ。 ま、よい。 知っていれば、必要な時には思いつく。 知っているということと知らないということの間には、決定的な違いがある。 今活躍中のバンドの中でも、俺がもっとも好きなバンドとして挙げられるぐらいに好きなバンド、The Soundsの新譜が出ていたことも知らなかった。 去年、すでに出ていたらしい。 最新情報を追っていないから、そういうことはいくらでもあるのだ。 その前のアルバム『Something Die For』(2011)が、俺にとってはかなりよい出来だったため、こちらも期待である。 今までの4枚のアルバムの中では、その『Something Die For』と、初めて聞いた『Dying To Say This To You』(2006)の2枚が俺のお気に入りだ。 死んでばっかりだな。 「お前ににこれを言いたくてしょうがねぇんだよ」だなんて、かっこいいタイトルだ。 聞いてみようかという気になってしまう。 それから、John Mayerの新譜も出ていた。 こちらも、去年出ていたらしい。 その前年にもアルバムを出していたから、まだだろうなどと思っていたのだが、2年連続で出していたようだ。 俺がJohn Mayerを初めて聞いたとき(2ndがTSUTAYAに並んだ頃だから、高1ぐらいだったろうか)、おしゃれな都会派シンガーソングライターで、ちゃらちゃらしてて好かないと思っていた。 それが今や、時代錯誤はなはだしい野暮ったいジャケットである。 「Your Body Is a Wonderland」や「Neon」を歌っていた人とは思えない。 俺が特に好きだったのは2006年の『Continuum』で、おしゃれさと渋さのバランスが絶妙で、歌も演奏もかっこよくて、ケチのつけどころがなかった。 ケチをつけるとすれば、あまりにも出来すぎているそのエリートくささが気に食わないことぐらいだろうか。 なんだかんだで、追ってきている。 なんだかんだで、好きなのである。 才能は文句なしだし、センスや嗅覚もありそうだから、この人の音楽とは、これからも長い付き合いになっていくのかもしれない。 久しぶりに昔みたいに、音と情報におぼれている、2014年の秋分の日。 こないだ、千鳥格子の服を着てる人を何人も見た日に会った女のコが千鳥格子の服着てたから、「千鳥格子流行ってんの?」って聞いたら「え、秋だからでしょ」って即座に返された。 たしかにー。 それにはちっとも気づかなかったけど、今日の空気は懐かしいほど秋。 Foo Fightersの新譜も11月11日に出るんだってねー。 前の『I'm With You』(2011)よかったレッチリはまだかなー。 The Soundsからたどって発見したSky Ferreiraという人のビデオ。 今どきってば、猫も杓子もニューウェイヴね。 みなさんブロンディー聞きましょうね。
JUGEMテーマ:℃-ute
JUGEMテーマ:夏フェス総合 初めて、夏フェスあるいはロックフェスティバルというものに参加してきた。 参加する前のテンションはマックス。 クルマに乗り込んで出発する直前に写真を撮ってフェイスブックに上げていたとすれば、おそらくこんなコメントを付けていたはずだ。 「これから愛車のダイハツハイゼットフルノーマルでレインボーブリッジをセメまくりの、そのままサマソニにぶち込み参戦だ!!! Musashino発のice coldな俺たちが真夏のTokyoとChibaを駆け抜けてfreezing outしてやるぜー!!」 さて、参加前にはスケジュールをいろいろ悩んでタイムテーブルとにらめっこしていたものの、結果的に見たのは以下のライブ。 時系列に、 Stroboy (Sonic Stage 「出れんの?! サマソニ?!」 winner) きゃりーぱみゅぱみゅ (Sonic Stage) Grouplove (Marine Stage) St. Vincent (Sonic Stage) Passion Pit (Mountain Stage) Death Cab for Cutie (Mountain Stage) Nelly Furtado (Sonic Stage) Sigur Ros (Mountain Stage) 気合が入りすぎて朝の8時に到着した俺たちは、リストバンドをもらってのんびり歩きながら、会場を見てまわる。 9時になると会場の扉が開くらしく、人々が扉の前に列をなしているので、俺たちもきゃりーぱみゅぱみゅを見るためにSonic Stageの扉の前に座り込んだ。 9時の開門を直前にして、係りの人たちがトラメガで呼びかけるには、「扉を入りますと下りの階段になっております。走ると大変危険ですから、ゆっくりと歩いて入場なさるようにお願いいたします。」とのこと。 そこから察するに、なんと会場に入ると同時に走りだす人たちがいるらしい。 こちとら夏フェスは初めてだが、今日の相棒のKくんと共にコミケには何度も参加している。 コミケよりは争い合わずにのんびりやれるかと思っていたが、やはり夏フェスも甘くはないらしい。 そうとなれば、きゃりーぱみゅぱみゅをより良い位置で楽しむためならば、毎朝のパチンコ屋の開店入場で鍛えてきた「少しも走らずに他人を出し抜いて前に出る技術」を披露するのにやぶさかではない。 ましてや、今日はKくんの彼女も一緒に来ていて、彼女がきゃりーぱみゅぱみゅのファンだというからにはなおさらのことである。 そうして、俺とKくんは彼女にコツを伝授しながら、まずは俺たち二人が道を切り開くから、彼女はとにかく二人についてくることだけを心がければよいということを言い聞かせた。 そして、いざ開門すると、下りの階段を前にして高いところから会場を見渡すに、一面が屋台の群れである。 なるほど、これが事前に調べてきたところの「ソニ飯」の屋台だな。 さらに目をこらしてみると、屋台のあいだを駆け抜けていく一群の人々がいるではないか。 係り員が必死に「走らないでくださーい!」と呼びかけるにもかかわらず、会場の向こう側の扉から青空の下へと一目散に走っていく。 「あくどい野郎どもめ! “走るな”と言われてんだから走らずに競争するのがスジってもんだろうが! こいつらに美学はないのか!」 そうは思いつつも、無理が通れば道理が引っ込む、このイベントだけのために雇われた素人の係り員では人々を止めようもない。 走っている連中をぶん殴るわけにもいかないので、俺たちとしては美学にもとづいて、できるかぎり走らずに急ぐしかない。 会場を抜けて外に出る扉を通り抜けながら俺たちは、走り回る人々に必死で呼びかけ続ける係り員の人に「気苦労お察しします」という涼やかな笑顔を向け、世の中には良心もあるのだと示して慰めてやる。 外に出てみると、狭い間隔で何やら柵が置かれて、その柵のあいだを人々が整然と並ぶことができるようになっている。 そしてなんと、その列の折り返し地点が見えないほど遠くまで柵がずーっと並んでいるのだ。 人々はどんどんそこに駆け込んでいく。 なるほど、この柵のつづいていく先のどこかに野外ステージがあるのだろう、ひとまずこの柵のあいだに人々を溜めておいて、時間が来たらまたステージへと順番に誘導していくのだろう、と理解した。 柵がつづいていく横手には物販スペースがあり、「あとで時間が空いたらグッズも買いたいねー」などと話しながら、俺たちはライブを楽しみに待ち望んで、おだやかに列にならんで柵のあいだをすすんでいく。 やがて、また係りの人が前方に立っていて、彼がトラメガで呼びかけるには「物販スペースへ向かう方はこちらの列にお入りくださーい」だそうだ。 ん?と考えてからすぐに理解したのは「なんと!こいつは物販スペースに並ぶ列を誘導するための柵だった!」ということだった。 この列はずっと遠くの折り返し地点を何度も折り返したあげくに、今まさに横に見えている物販スペースに帰ってくるようだ。 「ちくしょう! 世の中にはバカが多いというのは先刻承知していたつもりだったけど、夏フェスに早朝から参加して並んで走って並んだあげくにグッズを買おうとしている連中がこんなに多いとは思ってなかったぜ! 夏フェスに参加するからには当然ライブが見たくて来てるんだろうし、朝から並んで走って並んでいるからには当然ライブを見るために必死なのだと思い込んでた俺が浅はかだったんだよ! 夏フェスに参加して真っ先にやることがグッズを買うことだとは俺の頭には浮かびようのないアイディアだけど、世の中のバカどもの頭には浮かぶかもしれないってことぐらいはちょっとでも考えておくべきだったんだ!」 しかし、事態はすでに取り返しのつかないところまで進んでおり、俺たちは会場に戻ろうにもすでに二重の柵によって隔てられているところまで進んでしまっていたし、うしろからはさらに尽きることなく人々(バカども)がどんどん並んでくるのだ。 そうして、手出しもできない係り員が見守る前で、俺は柵を二枚、心からの憎しみを込めて蹴り倒して、会場に戻った。 会場に戻ってみると、ソニックステージは、先ほどの屋台の会場から外に出るのではなく、横に抜けたところにあった。 こちらはまるで人けもなく、ステージ前の最前線まで自由散歩である。(それが上の写真) してみると、9時よりも前に扉の前に並んでいた人々も、会場内を走っていた人々も、本当に物販スペースのみが目的だったらしい。 世の中、俺の理解を超える出来事があるものだ。 きゃりぱみゅを前に、ステージに登場したのはStroboyという(おそらく)素人バンド。 冒頭の2曲はともかく、後半の曲はファンクネスが効いてていいなぁと思ったら、Kくんから「レッチリのコピーかと思った」という手厳しい一言。 確かにまぁ、フロントマンとドラマーはちょっと物足りないところがあったような気がするものの、ドでかいイベントの、しかもアウェイの空気の中でよく頑張ったんだろう。 俺がヴォーカリストだったとしたら、あんなグラサンをかけていたとしても顔がひきつっていただろう。 次に、Thriller Liveというショウのショートバージョンを見せられる。 中盤までは、よくできたアメリカの学園祭でも見ているような気持ちだったが、衣装をばっちりキメたマイケルのパチモンがでてきた瞬間にホットな気分になる。 エルヴィスのそっくりさんも極めれば一つの芸だが、マイケルもそうかもしれない。 これは、あとでもう一回見ることなったが、二度とも見事なまでにまったく同じ内容だったので脱力した。 このあたりから、きゃりぱみゅに向けて人がぞくぞくと集まりつづける。 タイムテーブルを見たときから覚悟していたことだが、この時間は人の流れがOne OK Rockときゃりぱみゅに大別されるのだろう。 しかしまぁ、こちとら2時間前から陣取って場所を確保しているので、最前線の柵にもたれかかりながらゆったり見ることができるのである。 グッズに消費するために走ったバカどもは、人波の中でせいぜい苦労しやがれ。 というわけで、きゃりぱみゅの登場である。 きゃりぱみゅがステージに登場した途端、俺の真後ろのアリーナピットでとんでもないモッシュが起こった。 「てめぇら!“モッシュとダイブは禁止です”ってさんざん言われただろうがぁ!」と思いながら、柵に肘をつっぱって必死に耐える。 いつまでたっても、きゃりぱみゅの曲がどんな調子であっても、モッシュはまったく途切れることなくつづく。 やがて、きゃりぱみゅがMCを始めると、後ろで暴れている連中のなかからMCにあいづちを打つやつらが続出する。 しかも、揃いもそろって特徴的なのは、そいつらがステージのきゃりぱみゅにはちょうど聞こえないぐらいの絶妙の声の大きさで、「わかるー」とか「えーほんとに」とか「行くー」とか「わははー」とか満足げにあいづちを打つことだ。 自分が周囲に影響を与えることは許すが、自分が周囲から影響を与えられることは許さない、きゃりぱみゅに語りかけるが、きゃりぱみゅの耳にとどいてリアクションをもらうのは怖い。 図々しさとビビり具合の絶妙なブレンド、このあいづちを聞いて、俺は確信した。 「こいつらヲタクだ!!」 もう、俺は腹をくくった。 相手がヲタクとなれば、何を言っても訴えても無駄。 とにかく付き合わされるだけ損だし、俺はあいつらを嫌いだし、あいつらは誰もを嫌いだ。 モッシュがほんのちょっとゆるんだところで、俺は最前線の柵を乗り越えた。 あわてて駆け寄ってくる警備員に「暴れようってんじゃなくて、とにかくもう嫌気がさしたから抜け出したいだけだよ」っていう顔をしてみせて、ステージの前をそそくさと通り抜けて、会場をあとにした。 隣の会場、さきほどの屋台の群れの中で広島焼きを食いながら、きゃりぱみゅが終わった人ごみのなかからKくんと落ち合って一緒にマリンステージに向かった。 Kくんたちも先ほどのモッシュにもみくちゃにされて疲れていたので、マリンではアリーナに入らずに客席から見ることにする。 対岸のRサイドは比較的空いているように見えるのだが、Lサイドはなかなかの人の入りで、3席つづきで空いているところがなかなか見つからない。 一番上のほうまで登ってみると、ファミリーシートとでも呼ぶべきか、テーブルとそれを囲む席でつくられたところが空いていた。 座ってみると、ステージからは遠いもののよく見えるし、あともう少し時間が経てば日陰にも入りそうだ。 「おう、ここはなかなかええやんけ」 「ここだったらGreen Dayまでずっと居座ってもいいかもしれないねぇ」 などと、都合よく空いているところを見つけた自分たちの幸運をほめたたえながら、テーブルの穴にビールをセットしたりしていると、係り員がやってきた。 いわく、この席は特別チケットが無いと座っちゃいけないんだそうだ。 それならそうとわかるようにしておけ!と、恥ずかしさをまぎらわすために一言お返ししたいところをグッとこらえて、「すみませんねぇ」などと謝りながら席をかたづけた。 その係り員が、そのまま隣の席の日焼けカップルにも同じ注意をしに行ったので、俺たちの恥ずかしい思いは少しまぎれた。 さて、前のほうのクソ暑いところになんとか席を見つけて、Groupeloveを見た。 「やっぱ外タレはちがうな」というKくんの感想は的確で、音の迫力、バランス感覚、そしてなにより外タレにしか出せない“本場の感じ”が「あぁ、ライブに来たんだな」ということを実感させてくれた。 考えてみれば、一発目は素人だったし、きゃりぱみゅはカラオケだったから、モノホンのライブを味わうのは本日初、である。 Kくんとしてはこれを求めていたわけで、さらに本日初のビールを飲みながら、「めっちゃうめぇ!」とはしゃいでいた。 iPodのCMのあの曲でめちゃくちゃに盛り上がってるアリーナを遠巻きに見て、俺は何かを悟ってしまった。 つまり、「あぁ、俺はもうあそこには行きたくないな」ということを。 ロックの味わい方として、あれこそが一つの正当ではあるのだろうけれども、俺はもうあれに魅力を感じない。 この思いは、のちにPassion Pitで一段と深まることになる。 ともあれ、あれを求めないのであれば、Franz FerdinandもGreen Dayも見なくていいということになり、マリンステージをすっきりと捨てることができる。 ポカリスエット(公式スポンサー)を飲んだそばから汗になって蒸発していくような猛烈な暑さに辟易していた俺としては、もう幕張メッセから外に出なくていいのならそれは理想的なことのように思えた。 マリンとメッセの移動も、できる限りしたくない。 Kくんは、あの盛り上がりを求めてフェスに来ているので、マリンを中心に(そしてGreen Dayをメインディッシュに)見ることになるので、ここからは別行動ということになった。 メッセに向かう途中で後輩に連絡すると、ソニックステージでGrimesを見終わって、これからSt. Vincentを見るところだという。 俺はPassion Pitまでやることもなかったので、合流することにした。 コミケの場合だと、しばしば電話で連絡することもできないことがあったが、サマソニではそれが可能なので助かる。 後輩の二人と上手く合流して近況など話していると、すぐにSt. Vincentが始まった。 St. Vincentというバンド(ソロ?)を俺はまったく知らなかったが、始まって1分もたたぬうちに、頭に浮かんだものがあった。 「ダブステップ!」 といって、俺はダブステップについてほとんど何も知らない。 知っているのは、James Blakeがダブステップというジャンルに分類されていたことだけだ。 だから、St. Vincentを見てすぐに頭に浮かんだのは「ダブステップ!」という言葉だったけれども、それが意味するところは「James Blake!」ということだった。 James BlakeにしてもSt. Vincentにしても、その音楽を聞いて俺がすぐに理解したのは、それが未来型のブルーズ(Blues)だということだ。 「未来型」というのは、Robert JohnsonやMuddy Waltersなどから見て未来であり、The White Stripesから見てもまだ未来である。 表面上は新奇で未来的ではあるものの、結局はギターと声であり、身の回りの些細なことをギターと声でやっているにすぎない。 そして、身の回りの些細なことこそが祈りになる。 そうであれば、そのような音楽には敬意を払わずにいられないのだが、このSt. Vincentという歌手、このライブを見た限りではファンになれそうもない。 人に見せるものとして、あまりきちんと成り立っていないのだ。 たとえば、ぎりぎりまで引き絞られたテンションで鳴らすギターはどこか性的なものを感じさせ、このおねぇちゃんはイきそうなんじゃないかと思うようなときがあった。 だが、それがセクシーかというとそうでもなくて、オナニーを見せられたからといって必ずしもセクシーとは言えない、というのと近しいものがある。 誰かのオナニーをセクシーだと感じるかどうかというのはその人との関係やその他の諸条件に依存するが、このようなステージを楽しめるかどうかというのも近しいものがある。 ブルーズというのがステージで演奏して他人に見せるものかというと、微妙なところだ。 ブルーズはやはり、演奏者のものなのだと思う。 ましてやフェスで、でかいハコで。 St. Vincentはプロのミュージシャンとしてステージで見せることを選んだわけだけど、この日のステージは結局、どっちつかずの微妙なものだったように思える。 後半には、なんだか客を踊らせるためと思えるキャッチーな曲もやりはじめて、俺は「やっぱりな」と思った。 オナニーの比喩をしつこく持ち出すとすれば、前半のブルーズもライブチャットのカメラの前でのオナニーぐらいのものでしかなかったのだ。 見世物と自己満足のどっちつかずの宙ぶらりん。 最後には観客の中にダイブまでしちゃって、痛々しくて見てるのがつらかった。 結局、このステージで彼女は、禁止行為のダイブをやるしかないところに追い込まれてしまったように見えた。 あのやり方でテンションを引き絞れば、ダイブして観客に媚びる以外に落としどころはなかったのかもしれない。 さて、空き時間にまた後輩二人とダベりつつ、Passion Pitのマウンテンステージへ。 前座(じゃないけど)のStroboyが俺の心に点火してくれた、ギターのカッティングとシンセのメロディーで踊りたい気持ち、それを抱きながら期待と共にPassion Pitへ。 10分前ぐらいに入って、そこそこの位置を確保できたのだが、いざ始まってみるとものすごい数の人。 Passion Pitってこんなに人気あるんだ。 それなのに、10分ばかりの遅刻。 まぁ、外タレには珍しいことでないけれど、フェスでは守ってほしいよね。 ましてや、スケジュール的に50分しか時間を与えられてないんだから。 時間がカブってるRussian Redも見たい後輩二人はそわそわ。 いざバンドが出てきて演奏が始まってみると、一曲目から観客は大盛り上がりのシンガロング。 Passion Pitってこんなに人気あるんだ。 ところが、観客の盛り上がりとは対照的に、バンドの演奏はイマイチのらない。 フロントマンは「いったいなんだってこのオーディエンスは勝手に盛り上がってるんだ」と理解に苦しんでイラだっているようだったし、バンドの一人ひとりも、集中しているとは言えないヘラヘラムード。 観客のほうは、バンドの様子なんかおかまいなしに、自分たちがただ盛り上がりたいだけ。 たぶん、マイク全部抜いてCDの音源流しても、同じように盛り上がったと思う。 実際、そんなようなもんだったし。 自分たちがいようがいまいが同じように盛り上がるんだろうと思える観客を前に、フロントマンはそれを受け止めかねていた。 だから、「へっ、なんだこの狂った日本のオーディエンスは」とシニカルに笑ってみたり、「サンキュー」と言ってるふりして「ファッキュー」と言ってみたり、そんなふうに俺には見えた。 そしてそのうちに、どうせ観客が求めているものははっきりしているんだから、自分たちとしてはそれだけきっちりこなせばいいだけなんだな、という方向に腹をくくって、求められているものを与えることを心掛けるようになった。 あの観客の相手をするんだったら、それが一番賢い方法だと俺も思う。 どうせまともに見てやしないんだから、適当にこなしちまうのが一番だ。 まぁ少なくとも、それをやろうとしてきっちりやれるんだから、さすがプロの人気バンドはすごいということだ。 あの観客たちは帰り道で、「Passion Pitすごかったねー」などと語り合うのだろうか。 すごかったのは自分たちだというのに。 ここいらでだいぶ、夏フェスというものの正体がわかり始めてきたような気がする。 つまり、バカ騒ぎをしたい連中が集まってるだけなんじゃないのか。 いや、そうじゃないとは誰にも言われたことはないけれど、そうだとしたらわざわざ来るほどのものでもなかったのかもしれない。 バンドなんてのは盛り上がるネタに過ぎなくて、何を見ようと同じように“踊って”、「ヒューー!」とか奇声を発して、サイコーだったと言い合うのだ。 そして帰ってからは物販で買った「フェスTシャツ」を着て、自分もバカの仲間の一員であるということを誇示して満足するのだ。 ロックにはたしかにずっとそういう側面はあったけれど、もはやそれしかないというのか。 Russian Redを見に行った後輩二人と別れて、俺は一人でマウンテンステージのDeath Cab for Cutie。 Passion Pitのときほど、観客が前に押し寄せる圧力はない。 時間通りにあらわれたバンドは、すぐに演奏を始めた。 神経質そうに体を左右に揺らしながら歌うヴォーカリストは、マイクの音量を上げるように身振りで指示をする。 それ以外にも、とにかく神経質に、二本のヴォーカルマイクの位置を微調整したり、ピアノにまわるとその音量やピアノにつけられたマイクの音量の指示を出したりする。 ヴォーカリストだけでなく、ギターやシンセの担当も同じように、演奏しながら微調整を繰り返した。 演奏のほうはというと、前半は“引き”が効いていた。 ガッと盛り上がるかのように見せてそこでヴォーカルが逆に小さくささやいてみたり、観客に話しかけたり盛り上げたりすることもない。 しかし、退屈かといえばそうではなくて、担当の楽器を変えたりしながら次々に変化を見せる演奏は観客の耳目をひきつけていった。 知っている曲も、着ている洋服のテイストを変えたように、新しい印象で聞くことができた。 後半に向けて少しずつ盛り上げていき、終盤にはヴォーカリストがドラムを叩きドラマーとの連弾で楽しませる一幕もありつつ、最後は綺麗なメロディと怒涛の演奏で締めくくった。 と、ここで後半に関する俺の記述が具体性に欠けるのは、腹がへりすぎて飯を買いに行ったら前線に戻れなくなってしまい、細かいところが見られなくなってしまったからである。 とにかく、観客に媚びるわけでもなければ自己満足でもない、バンドも観客も共に楽しめる“音楽”があり、そういう上質の演奏がそこにあったのは事実だ。 前半の神経質なこだわりも、その日のライブをその場で“つくって”いく過程であり、その“つくって”いく感覚をはっきりと感じることができた観客は、「良いものを見た」という満足感を得られたはずである。 「なるほど、これが“良いバンド”というものなのだな」と妙に納得し、何かに感謝したい気持ちになり、デスキャブに感謝した。 ついでに、なんとなく内容の予想できるFranz Ferdinandを見にいったことでデスキャブを見逃したKくんと後輩二人を憐れみ、優越感を感じることでさらに一層の満足感を得たのであった。 次に見たのがソニックステージのNelly Furtadoである。 さすがにもう、足がすっかり疲れてしまっているので、これは遠くで座って見ようと思った。 しかし、1曲目のパワーがものすごくて、思わず立ち上がってステージの近くまで行ってしまったほどだった。 基本的にはバンドセットなのだが、ギュインギュインのギターと南米系の陽のパワーのポップネス、それにファータドの歌とラップとダンスがドーンと乗っかって、ものすごいパワーだった。 黒のスパッツに銀色のキラキラシャツを着たファータドは、ステージの上ででっかく見えた。 かっこよかった。 ステージ上には、何やらフラフープを操る男もいて、たぶんすごいことをやっているんだろうけど、いくぶん地味で謎の存在だった。 このあたりの、なんでもいいからオモロイもんなら放り込んどけ、という感じが、この日のファータドのステージをよく表していた。 とにかく、出し惜しみなしで、持てるすべてを使って客を楽しませる、というエンターテインメントに徹していた。 レゲトンなどもまじえたラテン系のノリで攻めながら、飽きが来たかなというところで、(たぶん)有名なバラードソング。 ここでファータドはステージから降りて、観客と触れ合いに行く。 St. Vincentのように警備員とカメラクルーを大慌てさせるようなものではなく、周囲に配慮しながら観客を楽しませに行くプロのやり方で。 キャットウォーク(じゃないけど、たぶん)を存分に使って観客と触れ合ったあとは、最新式のクラブテイストに味付けしたメドレーでオーディエンスを揺らす。 J-Loの"On The Floor"やBritney Spearsの"Till The World Ends"のように、印象深いリフレインの繰り返しのもとに味付けし直された"Maneater"でアツくなったところで、音がスーっと引いていき観客の注意力を集中した瞬間にリフレインが帰ってくると同時に4人のダンサーと揃ってキメポーズのダンスに入る。 あの瞬間はサイコーにかっこよかった。 その後も「アタシが"jump!"って言った瞬間に飛びなさい!」というひねりの無い盛り上げ方でもサイコーに盛り上がった。 俺は、途中からやっぱり遠くで座って見ていたのだけど。 観客が期待している形で、しかも観客が期待している以上に盛り上げる、という覚悟を最初から決めてる、プロのエンターテイナーのステージを見た気がした。 もちろん、自分の音楽を持ってない人が最新式のクラブテイストを借りてきたところで大して盛り上がりはしない(少なくとも俺は)のだから、ファータドの懐の深さがうかがえるというものだ。 ここで思い出したのは、「小説家もまた、読者の奴隷にすぎない」という言葉。 しかもこの言葉を書き留めたのは、生半可な青二才などではなく、比類なきマーク・トウェインなのだ。 ミュージシャンもまた、ある意味においては観衆の奴隷にすぎないのだろう。 そして、最後がSigur Rosだった。 これに関しては一言、この音楽は、こんな大勢でヒマ人みたいに突っ立って聞く音楽じゃない。 もっと個人的なものだし、観客とバンドの応答なんかまるで無くてざまぁみろって思った。 と同時に、足が疲れて立ってるのがつらくて、早く座って帰って寝たかった。 フェスなんか、二度と来るもんじゃないと思った。 しかしまぁ、シガーロスにしたって、バンド全員でバーンって盛り上げる以外の落としどころは無いもんかね。 なんか結局のところ予定調和で、すっかり脱力してしまうのだけど。 「あーはいはい、ここでもう一回フレーズ繰り返して、その最後にあのパートを入れて次への期待をもたせておいて、さらにもう一回繰り返してその最後で次のシークエンスへの導入をつくって、次で半歩横へ抜けおいて戻りながらバーンと盛り上がる、ね。はいはい。」 夏フェスに初めて参加して、なんとなくつかめたことがある。 俺は、期待通りの高揚感も、誰かとの安易な一体感も求めてはいないということだ。 たとえ俺が最前線でモッシュに押しつぶされていなかったとしても、きゃりぱみゅのコールに合わせて横のバカと一緒にバカみたいな手振りをするバカにはなれなかっただろう。 幼稚園のお遊戯でもあるまいし。 何が楽しくて何が悲しくてそんなことをするのか、給料が出るわけでもないというのに。 もちろん、先生役のきゃりぱみゅには給料も出るしうらやましがられるし尊敬もされるのだから、俺だってあっちの立場なら喜んでやる。 その場合、音楽は仕事と分けたプライベートな趣味としてやることになるだろう。 結局、何を見たって聞いたって同じように(本当に同じように)高揚するだけなのだとしたら、ライブや音楽なんてバカバカしいものだ。 サイレントディスコでチャンネル1(というのはおそらく、DJではなくてコンピューターによるMP3の垂れ流しだろう)で流れるFranz Ferdinandの"Take Me Out"を聞きながら、みんなで一斉に歌いながら“踊って”いる連中を見て、「あぁこいつらは実際にフランツを目の前にしても同じことをするのだろうな」と思った。 「ならば結局、こうやってヘッドフォンで聞きながら“踊って”ればいいじゃないか」と思った。 フェスなんか、やる必要ないのだ。 CDと同じように盛り上げてくれることを求めて、予定通りに“踊れ”れば、それで満足なのだ。 ヘッドフォンを外してみると、完全無欠のバカどもをそこに見ることができる。 しかし一方で、音楽が特別な体験をつくりだすことも、俺は知っている。 俺の体験では、大ファンだったバンドが目の前で演奏したことがそうだったし、それまで知らなかったミュージシャンに初めて聞くような音楽を演奏してもらって特別な気持ちになったこともあった。 夏フェスにおいて、そういう出会いが生み出されることもあるだろうか。 少なくとも、バカに囲まれて暑さでへばり疲れ切っている、というのはいい条件ではないだろう、というのは言える。 コミケも夏フェスも、生気のない頽廃の祭りだね。
JUGEMテーマ:音楽
近頃、ハマっているMVがある。
それはT-ARAの「Lovey-Dovey」の日本語バージョンのビデオだ。
すげぇかわいいんだよなぁ。
今までK-POPもまぁまぁ聞いていて、音楽として楽しんではいたものの、特に誰かのファンということもなかった。
あ、Big Bangは大好き。
ただ、少女時代やKARAや2NE1を見て、アイドルとして魅力的だとか感じることはあまりなかった。
「私たち」のMVの西野カナのほうがものすごく魅力的だと思う。
Davichiのお人形みたいなほうはかわいいと思うけど、ただあれは人間味がちょっとなさすぎてどうもな。
T-ARAのこのMV、プロデュースの方向性としては歌詞に合わせて「モテ」を意識していると思うのだが、どうなんでしょう。
女好きよりも男好きがするような魅力を意識しているように思う。
女性の意見も聞いてみたいところだけど。
俺はすげぇかわいいと思う。
小刻みなステップも、髪をシャシャッてやるのも、微笑みをたたえたアトラクティブな目も、主張の弱いファッションも、かわいいと思う。
きっと結局、個人の欲望なんてバレバレなんだろう。
「こういうの作れば日本の男を引き寄せられる気がする」というつもりで作られたビデオに見事に引き寄せられているんだろう。
でもやっぱり、すげぇかわいい。
特定の誰がかわいいとかっていうよりも、全体として「こういう女のコ」好きだなぁという感じ。
ビデオ全編をとおして、画面に華と夢がある。
素敵だなぁ、素敵だなぁ、と思う。
もっと張り切って生きてみよう、と思う。
こんな女のコとお近づきになるために。
こんなふうに、魅力だけで人を元気づけられるような男のコになるために。
そうは言っても、何度も見てればメンバーの中にお気に入りはできてくる。
まぁそれ以前に見分けをつけるのにも時間がかかるのではあるが。
俺のお気に入りはウンジョンとキュリ。
お気に入り順に並べることもできる。
カーテンを開けてカメラにアピールしていく冒頭のシーンを、入場順に俺の好きな順位の番号をつけてみる。
4−1−6−3−7−2−5。
はい、わかりましたか?
たぶんわかりにくいと思うので、わざわざキャプチャした写真を貼っていく。
名前と顔の一致は、たぶん合ってると思うんだけど、確かめようもないので確証はない。
間違ってたらごめんなさい。
お気に入り、その1。
ウンジョン - Eunjung -
かわいいよねぇ、たまらないよねぇ、“甘え上手”って感じで。
個人カットでカメラを向けられたとときに、毎回外さずにツボをついてくる。
「心得てる」感があって、それが女として上手な印象を与えてくるから、魅惑されるほうの立場としてはスリリングだ。
この魅惑はおそらく俺特定のためにつくられて向けられてるものではないから。
しかしだからこそ、そんな女のコの愛を勝ち得たい。
一番欲しいものを我慢するべきじゃないよね。
一度でも引いたら、どこまでも撤退し続けることになるから。
大丈夫、きっとこの火に焼かれても、身まで死ぬことはないさ。
お気に入り、その2。
キュリ - Qri -
キュリちゃんはまずなんといっても、目だね。
「さて、どうするの?」と挑戦的に問いかけてるようでいて、それでも包容力があって優しい。
こんな目で見つめられたら、会うごとに新鮮な俺になる。
いつも初対面みたいにドキドキしちゃうね。
身長は高くないのにでっかい存在感があるのは、自信の現れ。
自分が誰よりも優れているということではなくて、自分が誰とも違うということを信じている。
ふわっと結んだ髪をクルクルともてあそぶ彼女は、柔軟な強さを見せてくれる。
「あなたはあなたで好きにすればいいけど、私には私のものさしがあるってことを忘れないでね」と、簡単に言い放っているみたいだ。
こんな女のコと暮らしたら、生活のあちこちに気の利いた遊びを取り入れたくなっちゃうね。
ここからは「お気に入り」ではなく、「かわいいよね」って感じ。
かわいいよね、その1。
ボラム - Boram -
このビデオを初めて見た人にもっとも印象深いのは、このボラムだと思う。
すごく特徴的な魅力を見せてくれるよね。
「おーい何してんのー?」と呼びかけているようでいて、「ついておいでー」と呼びかけているようでいて。
ヴァースの部分における、足の付け根に手を置いて横に揺れるダンスがもっとも似合っているのは、ボランちゃんだと思う。
見られているのを承知しながら、まるで単に自分が楽しいから踊っているかのようだ。
たぶん、ビデオとして、彼女をよく映すことに成功しているのだと思う。
頭の横で両手をヒラヒラさせるダンスも自分勝手に楽しげで、よく似合ってる。
かわいいよね、その2。
ファヨン - Hwayoung -
ファヨンについてもまた、このビデオが彼女をよく映すことに成功していると思う。
髪が短くパーマもかかって軽やかに、画面内をはずんで跳ね回っている。
ここにおいて彼女はどちらかというと独立心が強そうに見え、セックスアンドザシティで言えばミランダのタイプのような印象を受ける。
ダボッとしたバスケットシャツが子供っぽい印象になってしまっているとしても、それすら遊びに見ることもできる。
自分の面倒を見たうえで、遊びをきっちり楽しめるというのは、男女問わず人間として魅力的だ。
そして、単に一人の人間として接してきた相手を「女」として意識する瞬間というのは、えも言わぬ官能的な瞬間だ。
かわいいよね、その3。
ヒョミン - Hyomin -
ヒョミンは開放的だね。
彼女は自分を魅力的だと思っているし、自分の魅力を発揮するのが好きだし、そうするのが自然なことだと思っている。
結果的に、ステージに立つことが仕事になっているのはラッキーなことなんだけど、彼女にとってそれは特別なことではない。
カメラの前でポーズをとることに少し酔ってるところがある。
でも、それが嫌味にならないのは彼女がそれを包み隠さないから。 彼女を目にする誰もを魅了するかどうかはわからないけど、飛びぬけた美人で、しかも悪人じゃないってのは確かだ。
かわいいよね、その4。
ソヨン - Soyeon -
サビのところで真ん中の位置に立つことが多いのがソヨン。
なんだけど、どうも動きにヴァリエーションをつけることができてないように思える。
ここをどう評価するかはそれぞれの嗜好の問題なんだけど、そこに表れてるのは彼女のある種の鈍さだ。
一義的に言ってそれは単に体の動きの鈍さではある。
ただ、そこからうかがえるなんとなーく全体的に鈍そうな感じをかわいいと思うかどうか。
結果的に、この鈍さは、俺にはあまりハマらなかったかな。
あと、彼女は論理的だったり体系的だったりする思考をするタイプではない。
ここも評価の分かれるところだけど、この彼女のそれは、俺にはあまりハマらなかったかな。
別に俺はいつでも女のコにも男と同じような思考を求めるわけじゃないよ。
ただ、ソヨンのそれはなんとなくハマらないだけで。
そんなこと言いながら、やっぱり十分にかわいいんだけどね。
ジヨン - Jiyeon -
このビデオにおいて、ジヨンはあまり魅力を発揮できていない。
それは必ずしも彼女の責任ではなくて、なぜかは知らないがこのビデオにおいて彼女の扱いはよくない。
彼女だけ、バストショットや、ちょうどいい距離の個人カットが一つもない。
もしかしたら、彼女は男を引き寄せるような態度が苦手だと制作者に判断されたのかもしれない。
それにしても、ダンスについても求められたものはきちんとやるけど独自の魅力を付け足そうという意欲も無いようで、コンディションが悪かったのかもしれない。
まぁ、舞台も与えられてないところで独自の魅力を出そうなどとは不可能だが。 別のところでは、彼女の半歩引いたような態度がクールさにつながっていることもあるだろうから、このビデオのコンセプトとは相性が悪かったのかもしれない。
いずれにせよ、彼女だけ、このビデオの世界に入りきれてないのは残念なことだね。
以上。
このビデオ“だけ”を見て、俺が好き放題に想像して書きまくってみたのでした。
T-ARAのメンバーが実際にどんな人たちで、今までどんな仕事をしてきてるのか、とかはほとんど知らない。
でも、このビデオを見れてよかった。
あと、できれば「運命」について書きたかったけど、時間が遅くなってしまったのでまたいつか。
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