This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:音楽
『6歳のボクが、大人になるまで』という映画の鑑賞が特別な体験になった理由の一つは、そこに間違いなく俺が生きた時代が映っていたからだ。 時代、といっても通史的というかクロニクル的な歴史ではなくて、そこに生きる人間にとっての時代、いうならば実存的な時代のことだ。 それが、映っていた。 俺がたとえばこのブログを書くのも、たとえば小説を書くのも、俺は未来の人に向けて書いている。 少し倒錯的なことを言えば、過去の人に向けても書いている。 要は、この時代を生きていない人に向けて書いている。 だいたい目安として、100年後ぐらいの人をめがけて書いている。 さらに、今日を生きる遠い人に向けても書いている。 たとえば今日、60歳の人がこのブログを見て、同じ日を生きる27歳について何か新しいことを知るとすれば、その人はその意味で俺と同じ時代を生きていないのだ。 過去や未来を生きるそのような人が、もしも俺の生きるこの時代について知ることができないのなら、その人にとってこの時代はいつまでも謎のままなのだ。 謎であるというよりも、知らないことをすら知らないのだから、もはや存在しないも同然である。 その人がもしもその人と違う時代を生きた人について知らないのだとしたら、その人は自分の生きる時代についてもよく知ることができない。 俺が生きるこの時代について俺が少しでも何かを知っているとしたら、それは俺が他の時代について興味を持ち、学び、知ったからだ。 第二次世界大戦の中を生きた人の生活と実存について知り、19世紀後半の近代が速度を上げていった中を生きた人の生活と実存について知った。 実存とは、ある人の目をとおしたその時代と土地のことである。 つまり、俺の実存とは、さらに言えば俺自身とは、俺の目をとおしたこの時代と土地のことである、と言ってしまってもかまわない。 俺が開高健やトウェインを読んで学んだように、俺の文章がいつか誰かに何かを気づかせられたらいい。 加藤ミリヤの『勇者たち』という曲を聴くとき、俺は同じ思いを抱く。 ここには、俺の生きた時代が歌われている。 まさにこのイントロ、このメロディ、この歌詞を、俺たちは生きたし、今もまだ生きている。 「この状況を嘆くよりも先にやるべきことがあった ここぞという時に楽な道を探す怠け者だった」 「不器用なままでは世間は冷たい」 「忘れていいよ、僕のことは、大丈夫だから」 「競い合う事に疲れ評価を恐れて逃げ出したくなった」 「僕が持ってないもの君は持ってから惹かれたのかな」 「いつかの夢に見た勇敢な人になりたいよ 笑っていてよ、微笑む先が僕じゃなくても」 「いつかはいつかはまた君の胸で泣きたいよ 果てない空どこまでも行けるような気がしてた」 このインストゥルメンタル、このメロディ、この歌詞。 完璧な言葉というものは、もはや何も付け加える必要がなく、完成している。 たとえばアルバム『Wrecking Ball』に寄せた、スプリングスティーンのビッグマンへの追悼文がそうであるように。 そこにはまさに、我々が悩み、葛藤し、時に決断し、何度も足を踏み出し、立ち止まり、憧れ、挫折し、喜び、悲しんだ日々がある。 我々は真面目で、人生に期待し、その期待にふさわしい自分であろうとし、期待に沿えない自分に失望し、まぶしい人や未来に憧れ、時に誰かと心寄り添えたことに何よりも感謝した。 我々が生きるのは個人主義の時代だから、我々が誰かと寄り添うのはお互いがそうと望んだときのみだ。 我々の真面目さと他人への関心は、徹底して研磨された個人主義を出現させた。 我々が生きるこの個人主義の時代において、何よりも重視するのは他人の自由なのである。 何よりも個人の意思を尊重し、自由意志に基づく以外の決断と判決を不十分なものとして退ける。 我々は誰かに甘えない、依存しない強さを自らの中に練成し、孤独を耐え忍ぶ方法と強さを見につける。 我々が望むのはまさに、愛する誰かが彼(女)自身の自由意志において喜ぶ場所にいて、笑っていることなのだ。 誰かが私への興味を失ったのなら、私はその事実を甘んじて受け入れなくてはいけない。 私にできる唯一の方法とは、相手がまた自分に興味を持つように上手く仕向けるか、さもなくば、別れを受け入れることなのである。 「And I know you’re going somewhere to make a better life I hope that you find it on the first try」 (そして私はあなたがどこかに行ってしまうことを知っている。 今よりマシな人生を築くために。 どうかあなたが迷うことなくそこにたどり着けるのを願っているの) 「I'mma try to be a big girl now Cause I don't wanna be the reason you don't leave」 (私はしっかりしたいい子でいようとしている。 なぜなら、あなたが旅立てない理由になんかなりたくないから) 心引き裂かれながらも、相手の幸福を本気で願うこの姿勢こそが、我々の誇りなのだ。 誰も彼もに取り残されていく中で、みじめにならないたった一つの方法でもある。 運命の行く末に、二人の道がふたたび交わることがあるのか、見えることのない未来を見つめながら。 我々のこの意志の強さを、勇敢さを、褒め称える人はいない。 脱落しそうな同士に、俺は心の声で呼びかける。 「頑張れ。皆同じだ。君一人じゃない。君の美しさを誰もが知っている。耐えろ。君は勇敢だ」 そして、俺が彼(女)に願うことはたった一つ。 「死ぬな。絶対に死ぬな。死ななければ、耐えれば、もう一度来る。必ず、笑える。やめなくてよかったと言える日が来る」 我々のこの純潔さは、何をもたらすだろうか。 俺の心の声は、こうも言っている。 「Why don't we change? Why don't we try? Why don't we turn around, help the other guy?」 どうして、もっと存分に友情を表現しないのだ? どうして、もっと心を無防備に開かないのだ? 感謝と謝罪を伝えるのは上手い我々なのに、素直な感情をあらわにすることは苦手だ。 我々はいつも他人のことを、そして最後には我々の子供のことを、考えている。 子供たちに、生きるための何かを伝えることができるだろうか。 我々の苦しみを、繰り返して味わわせてはならない。
JUGEMテーマ:音楽 俺が松田聖子の音楽を聞き始めたのは、たしか二十歳のとき。 興奮した。 以来、たくさん、たくさん聞いてきた。 今日も、聖子の歌を聞きながらバスに乗り、限りあるもの、終わりゆくもの、瞬間に輝く景色の美しさに胸を痛めていた。 若いころに狂ったようにいろんな音楽を聞いてみても、あとになってから思い出すのはスウィートなメロディーなのだ、と松村雄策がrockin' onに書いていた。 松田聖子の曲は、俺の記憶や風景、においと結びついている。 中でも色濃く結びつくのは、サークルで行った数々の合宿。 松田聖子はリゾートについて歌った曲が多いだけに、それと結びついているのだろうか。 優れたライターやアレンジャーたちが寄ってたかって作った曲たち。 それに耳をすますのは大きな喜びだ。 そして何より、松田聖子の驚異的な歌声。 松本隆の「ネアカ」な生活観の歌詞は、見慣れた風景も映画色に彩り、楽しませてくれる。 アメリカがその心の中にトゥウェインのような作家を持っていることは幸運なことだ、とル=グウィンは書いていた。 日本がその心の中に聖子・明菜・由貴のようなポップカルチャーを持っていることは幸運なことだ、と俺は思う。 この時代の生き方を、少し教えてくれる。
JUGEMテーマ:音楽 先週のこと。 9月20日、岡村靖幸のライブをSHIBUYA-AXで見てきた。 20分前ぐらいに会場に入ってから開演するまでの間に感じたのは、俺は岡村ちゃんファンとしてはかなり邪道なほうなんだろうなぁ、ということ。 客層の「濃さ」というのか、岡村ちゃん慣れしてるというのか、「待ってました!」的気分が充満していた。 俺のほうはといえば、彼がデビューしたときにはまだ生まれてもいないわけで、アルバムも『家庭教師』しか持ってないし、新しい2枚のセルフカヴァーアルバムも持ってない。 岡村ちゃんの生き様とか、これまでの変遷とか知らないし。 しかしそれとは別に、岡村ちゃんの歌が俺の人生に大きなものを与えた、ということも事実なわけで。 それで、そんな歌を作って歌ってる本人が目の前に登場する、というのもドデカい感動なわけです。 実を言うと、俺はライブを見るという経験がほとんどない。 Bruce Springsteen & the E Street Bandの『Working On A Dream』ツアー公演をニューヨークで見た。 それだけ。 あのときの感動もとにかくドデカいもので、Bruce Springsteenがステージに登場してお決まりの開幕曲「Badlands」が鳴り響いたとたんに、これには自分でもかなり驚いたのだが、涙が止まらなくなってしまった。 2曲目の「No Surrender」が終わるまで、俺は歌いながら(というより叫びながら)号泣していたと思う。 目の前の白人のおっちゃんに「なんだこの気持ち悪いアジアンボーイは??」という感じの目で見られたような気がする。 SHIBUYA-AXの幕が開いて岡村ちゃんが姿を現したとき、それも衝撃的な体験だった。 出てくる前から会場は悲鳴が響いていたのだけど、なるほど彼ら彼女らはこれを知っていたからあんな悲鳴をあげていたのか、と納得できた。 空気が、一気に変わった。 岡村ちゃんのものになった。 ドラムセットのためにあつらえた壇の上に立っていた岡村ちゃんは、踊りながら降りてきた。 猛烈な存在感で、岡村ちゃんの体がステージいっぱいに広がって見えた。 「こんなにカッコイイ人がこの世にいたのか!」という衝撃、そしてあの声で歌いだせば、大好きなこの歌を作った人が目の前で歌っているということの感動。 2曲目の「カルアミルク」で泣きそうになったけど、そこから先はもう怒涛の展開で、最も集中力を発揮しているときには時間が飛んでいくあの感覚であっという間に過ぎ去った。 聞きたい曲は全部やってくれたしなぁ、「ロングシュート」も「イケナイコトカイ」も「Super Girl」もやってくれたし(Dance, Chance, Romanceは自分しだいだぜ、そうだろ)、短いながらも「友人のふり」もやってくれたし。 ギタージャカジャカで「Out of Blue」やってたところに、バンドが入ってきたときはホントにうれしかったなぁ。 セットリストはこちらね↓ http://natalie.mu/music/news/56813 Bruce Springsteenのときは「これはライブじゃなくて“ショー”だ!」と思ったけど、今回は「これはライブじゃなくて岡村ちゃんの“ステージ”だ!」と思った。 失礼な話だけど、岡村ちゃん以外のバンドメンバーなんて目に入らない。 Bruce Springsteenとthe E Streent Bandが一緒にやってるところをファンは一番見たいだろうけれど(Thank you, and rest in peace, Big Man...)、岡村ちゃんの場合は岡村ちゃんが見たい。 岡村ちゃんの声、岡村ちゃんのギターやピアノ、岡村ちゃんの目配せ、岡村ちゃんのしぐさ、岡村ちゃんのダンス、岡村ちゃんのスキャット、岡村ちゃんの即興の語り。 YouTubeなんかのコメントとかで彼に関して「才能がありすぎる」ということをよく言われる。 そりゃあ誰だって、曲つくって詩を書いて、ドラムたたいてキーボードやギター弾いて、歌いながらダンスしてキメまくりたいに決まってる。 でも多くの人はヘタクソだったり根気がなかったりして小さくまとまるわけです。 岡村ちゃんは全部やってる。 全部、サイコーにかっこよくやってる。 みんなの夢がそこで実現されてるわけです。 みんながやりたいことをできるからってやらなきゃいけない理由は何もないのだからやりたくなければやめてしまえばいいのだけど、それでもやめないのは岡村ちゃんもきっとそれが好きだからなんだろう。 でも大好きなことをやっていればそれだけで幸せになれるかというとそうもいかないわけで、幸福というものの難しさがここにあるわけです。 夢に描くときはそこは完璧に見えるけれども、そこに立ってみればまた違う風景が見える。 そこに立ったことのない俺には、わからないこと。 とにかく、現代の日本でもすごいことやってる人はいる。 J-POPシーンで言えば80年代から90年代前半の、ものすごい才能と活気に満ちた時代にあこがれてしまいそうにもなってしまうのだけど。 今週のHunter×Hunter読んで感動しながら、すごいこと、すごいもの、すごい人はたくさんいるのだと実感するのです。
JUGEMテーマ:音楽
JUGEMテーマ:音楽
お昼1時にとって 外ぼんやり見たって 会社を9時に出て
ゆれるゆれる心、からだ ドアノブに働く手を添え
周りが気になって 街も変わりまして 孤独も知りまして
曲がる曲がる心、からだ 時のエスカレーターに乗って
もどる踊る心、からだ ドアノブに添えた手を見つめ
確かに今は厳しい時代であるのは間違いないから、目下の生活を維持するだけでも一苦労だというのは想像できる。
その状況でどうしても自分を納得させる説明を見つけなきゃいけないんだとしたら、俺だったらこう言うね。
知らないことがよかったと
ありとあらゆる種類の言葉を知って
陽だまりの 窓辺から 凍える町並見下ろすの 冷ややかな 階段を ざわめきの海へ降りてゆく 新しい靴は少し ぎこちなくて かすかな痛み ひきずるけど
たむらぱんの別の曲で「ちょうどいいとこにいたい」なんて、なんで「最高のところにいたい」って言わないんだろう。
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