This Is The One! - innocent -

俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。


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22歳

JUGEMテーマ:日記・一般


昨夜のこと、大学の後輩と会って、酒を飲み交わした。
俺は2回留年、1回休学、彼も今年留年。
おそらく俺も彼も、キャリアというものをじっくり考えるようには、頭の構造ができていない。
そういう人間は、かつて俺が思っていたよりも、この世をしのいでいくのに苦労をしそうだ。
しかし我々は輝ける。
ときに人生が、どんなに魅力的に眩しく輝くかを知っているから。


お互いにホームグラウンドであるところの吉祥寺で待ち合わせをした俺たちは、金曜日で2時間制となっている土間土間へ。
ここは中学からの友達が働いている職場でもある。
彼は22歳にして、すでにこの店で2番目の年長者なのだそうな。
とすると、俺たちを給仕してくれている店員さんたちも、ほぼすべてが俺たちより年下だということになる。
ふーむ、いつのまにか俺たちはすっかり大人になっているのだなぁ。
自分が何をしていても、こういうことに感じいることはほとんどないが、年下の人たちが少しでも大人びたことをやっていると、自分の歳を再確認する。

カウンター席に落ち着いた俺と後輩は、ひとまずお互いの現状確認。
会うのはほぼ10ヶ月ぶりである。
メールを交わしていたためにそこそこ把握できているが、やはり顔を見て話を聞くというのは違う。
お互いに、いかに自分の生活が自堕落で情けないことになっているか、そこを脱却するためには何が有効なのか、二人の共通点と最近の発見を交換した。

ここらで、俺たちの席を給仕してくれてる女の子(推定19歳)のサービスがとても好ましいことに気づく。
お顔は決してイケてるクチではないが、物腰が好ましい。
これは面白いぞ、ということで帰り際に少し声をかけていこうかと相談する。
ちなみに、この後輩はこの手段で女の子とお近づきになった経験が何度かある。
今の彼女(27歳)も、似たような手口でゲットしたようなものである。
俺自身の名誉のためにも言っておくが、キャリアのことを考えなかったり、経済的にこの世をしのいでいくのに苦労しそうだからといって、現実世界で物事をうまくこなしていくことが不得手なわけではない。
むしろ、こちらのアプローチのしかたによって、この社会での振る舞いはだいぶ自由にできることを知っていることで、世界の有利な楽しみ方も我々はある程度まで知っているのだ。
俺は「出会いがない」と嘆いたことは一度もない。
ただ、「望むような形の出会いが生まれてこない」とは嘆くかもしれないが。


まぁ結局は、そういうことする気になるほどの女の子でもないかな、ということで、声はかけなかったのだが。
そうして情報交換してほろ酔い気分になった俺たちは、井の頭線で渋谷へ。
道玄坂を登りきったところにあるバーへと向かった。
ここは高校のときの友人が働いているところである。
今日彼がいることは確認済みなので、連絡をとって店に向かった。

案の定迷ってうろついている俺たちを迎えに来てくれた彼とともに、地下にあるバー「AULD LANG SYNE」へと足を踏み入れる。
「AULD LANG SYNE」とは、みなさんご存知「蛍の光」の原題である。
これがイメージどおりのお洒落なショットバー。(ちなみに俺はこういうお店初体験であります)
チェケラッチョ!お洒落手帳!である。
まだ10時ぐらいなので、店内には俺たちと店主だけ。
リラックスして話せる。
後輩はチャイナブルー、俺はおすすめのジンを飲みながら、まずは打ち解けるためのエロトークに花を咲かす。
男というのはこのあたりの面倒がなくてよろしい。
そしてグラスがウィスキーへとすすむころ、話は必然、人生の話題へ。
だって俺たち左から21歳、22歳、22歳。
ズボンをはいた雲!
3人が3人ともに、それぞれ三様の美男子!
体は鍛えれば応えるし、精神も柔軟で負けず嫌い!
これ以上に何を望むというの!
この世界の痛みに、喜びに、ただ全身で飛び込むのみ!
ただ、それだけ。
ソウルミュージックのリズムを抱え、冷たく静謐な水を流し込み、阿鼻叫喚の表通りを軽やかに歩くだけ。



ただそれだけのことが、近頃の俺にはどうやらできていなかったようだ。

約1年前ぐらいからの俺のモットーは「沈黙は金」。
逆をいえば「口は災いのもと」。
どうしてか、どうしてそう思ったのか。
見栄っ張りでカッコつけな自分に嫌気がさしたからである。
深く考えて知ったわけでもない事柄に対して、相手より有利に場を支配するために偉そうなウンチクを語る。
そこそこ上手くこなせる俺のことだから、相手が幼くて無知な間はこれで上手くいく。
でも上手くいっていても、そんな自分を見つめたらかっこ悪くてしょうがないよね。
それに、そろそろ同年代も経験をつんで大人になってきて、ときに俺の嘘っぱちもばれるようになってきた。
これは大変よろしくない、自分のためにも他人のためにもよろしくない。
そこで取り入れたモットーが「沈黙は金」。

でもこれ、誤算があったみたい。
どうやら俺、慎重になりすぎて、主張することも忘れちゃったみたいになってる。
かっこ悪いことに、“ビビり”になってたみたい。
「心から言えないことは言わない」、これは正しいと思うけど、この世には「誰にもわからない」こともあるのだ。
そこに対して何も言わないというのは、自分の心さらけ出すことにビビってんじゃないのか。
恐怖を乗り越えられない人間は、“意気地なし”って呼ばれちゃうんだぜぇぇぇぇ!!!
「間違う」ことは怖いけど、間違うことさえままならない人間になりたいのか、お前は。
傍観者として清浄でいるよりは、間違って間違ってドロドロになってもいいから人生の主役になりたいんじゃないのか、お前は。


Lady Gagaの"Bad Romance"やLeona Lewisの"Happy"なんかはこういう気持ちを歌っている気がする。
欧米のポップソングは、さすがにそういう心意気が文化として根付いてるというか、恐れずに挑戦することを賛美する曲がいっぱいあってうれしい。
まぁ、そういう心意気で間違ってきたこともいっぱいあるから、反省しなきゃいけないところもたくさんあるんだけど。
少なくとも、近頃バイト先でエンドレスで聞かされる、日本の道徳的保守精神どっぷりなラブソングよりは、ずっと迫力ある心情が表現されていて、聞きごたえがある。

Leona Lewisの"Happy"から一番の歌詞を引用。


Someone once told me that you have to choose
選ばなきゃいけないって 昔言われたわ

What you win or lose
なにを勝ち取って なにを失うのかを

You can't have everything
すべてを手に入れることはできないんだって

Don't you take chances might feel the pain
痛みを伴うようなチャンスに向かっていくのはやめなさいって

Don't you love in vain
全身で愛するようなことはしちゃだめだって

cause love won't set you free
愛はあなたを自由にはしてくれないから

I can't stand by the side
でも横で見ているだけじゃ我慢できないの

And watch this life pass me by
この人生が通り過ぎていくのをただ見ていることもできない

So unhappy
幸せではないけれど

But safe as could be
でもできるかぎり安全に見ているだけ



So what if it hurts me?
もし傷つくとしたら?

So what if I break down?
もし私が壊れてしまうとしたら?

So what if this world just throws me off the edge
もし私がこの世界からこぼれ落ちてしまうとしたら?

My feet run out of ground
私の足は地面を離れて駆け出していく

I gotta find my place
私は自分の場所を見つけるわ

I wanna hear my sound
私は自分の音を聞きたいの

Don't care about all the pain in front of me
目の前にある痛みのことなんか気にしない

Cause i'm just trying to be happy, yeah
だって私はただ幸せになろうとしているだけなんだもの

Just wanna be happy, yeah
ただ幸せになりたいだけなの



傷つくかもしれない、自分が壊れてしまうかもしれない、世界に見捨てられるかもしれない。
そんな恐怖を前にしてもなお、幸せに向かって突き進めるだろうか。
この歌は、それでも突き進むのだという強い決心の歌である。
ちなみに本人いわく、これは友達の彼氏を好きになってしまったシチュエーションについて歌ったそうである。
どっちに進めば幸せになれるのかわからないけど、この歌の主人公は情熱に身をゆだねることにしたようだ。
かけがえのないものが、心の底から生まれてくることがある。
それによって世界の色が変わったとき、周囲の圧力に負けてそれを手放すようなことができるだろうか。
間違いだろうがなんだろうが、恐怖を乗り越えて人生に飛び込んでいくのだ。
おそらくそれが、この荒野のような世界を躍動感を持って生き抜く唯一の方法だろう。
恐怖に負けた人間には、ただ生き抜くことに精力を根こそぎ持ってかれて疲弊しきった、麻痺したような人生が待っているのみだろう。



最近の自分が意気地なしのビビりに成り下がっていた、ということに気づかせてくれたものがもうひとつ。
『ちはやふる』というマンガである。
タイトルから予測できるように、百人一首を題材にした少女マンガである。
『ヒカルの碁』の少女マンガ版といった感触だが、これが良いのだ。
何を隠そう、中学のころは「ヒカ碁」にしっかりとハマっていたクチである。
そして、人間関係の描写に丁寧な少女マンガも、俺の好みなわけである。

『君にとどけ』のように、最初っから両想いの二人がすれ違いつづけるさまを「あぁん、もう!」と地団太踏みながら見守り続けるようなマンガと違って、こちらは誰がどこにいくのかわからない。
わからないから、ドキドキしちゃうのだ。
ぬぁーー、太一がんばれーー!!!
もうダメ、太一見てると胸が痛くてページめくれない…
みーたーいーなー

まぁどれもこれも、ちょっと前からマンガに関して何度も書いている、細かい描写で厚みのある人間を表現していけるか、という問題がすばらしく出来ているからだろう。
キャラクター、一人ひとりが別の人間、他者同士に見える。
だから、太一の動揺が、千早の願いが、新の絶望が、肉まんくんの後悔が、机くんのコンプレックスが、かなちゃんのまじめさが、胸に迫ってくるのだ。

そして、このマンガが俺に教えてくれたこと。
それは「ひとと違うことを恐れるな」である。
何をいまさら。
でも、こんなことすら俺は忘れていたのだ。
他人をないがしろにしないように、他者への想像力を欠かさないようにと気にかけるあまり、自分がどういう人間であるかということをひた隠しにしようとしていた。
ある意味で、自分を恥じてすら、いたのだ。
このマンガの魅力的な登場人物たちは、他人と違うことなど恐れない。
むしろ他人と違うことそれこそが、魅力の源である。
俺は、まだまだ「生き」られる。
それが、うれしい。



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