This Is The One! - innocent -

俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。


<< ちゃんと「まっとうに」生きるべきかどうかについて | main | Summer Sonic 2012 ; Day 1 (18th, August) >>



スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

広告
posted by スポンサードリンク |-|-





与太話

JUGEMテーマ:日記・一般
 


「人生とは、それすなわち、練習だ。」

「人生とは、それすなわち練習だ。なるほど、我々は無知で未熟な状態から始めるよりほかないわけですから、まずはとにかく身のこなし方を覚えるにしろルールを覚えるにしろ練習するほかないわけでありますな。とにかく練習をして量をこなすなかでもろもろのあり方を覚えていくこと、人生とはそのようなものだとおっしゃるわけですね。そうしますと、その練習の成果を活かす、本番とはいつごろおとずれるものなのでしょう。」

「本番とは、それすなわち、そこにある人生だ。」

「本番とは、それすなわち、そこにある人生だ。なるほど。もし仮に“死後の生”というものがあるとして(これは語義矛盾ですが、便宜的にこのように呼称させていただきます)、“死後の生”こそが本番なのだと仮定することもできます。この場合には、もしそれが輪廻のようなものだといたしますと、我々のこの生こそが前世の練習を活かすべき本番だということもありえるわけです。しかし、我々の知る限りそのような(前世での練習を活かしているような)人物や生物がいたことはない。もしそれが輪廻のようなものではなく、直線的な軸をもつものだと仮定しますと、我々のこの生では練習の成果が発揮されていないことから類推するに、我々のこの生は直線的な軸の始発点に位置するべきもののように思えます。しかし、この世界の広いことを知っていながらしばしば我々が自分こそは世界の中心だと思い上がってしまう愚かさのことを思うと、たかが我々のこの人生程度のものを軸の始発点に置くというのは尊大な思い上がりであるということのほうがほぼ確実にありえそうなことだと言えます。我々が透徹した思考を求めるのなら、この可能性のとほうもない小ささに思い及ばなければなりません。そういう立場に身を置いてみますと、“死後の生”が存在するのかしないのかという問題について考えるとき、我々の思考はこの問題を解くべき何のヒントも得ることがありませんから、これを確実に存在するものとして扱うのは利発なことだとは言えません。その場合にとりうる態度というのは、“死後の生”のことは是とも非とも結論をつけえぬものとして留保しながら、それがどちらであろうと対応することのできるような生活をおくることでしょう。そうしますと、まずとりうる具体的な方策としましては、“死後の生”は無いものだと仮定しながら日々をおくることなのでしょうな。といいますのは、このやり方をしておけば、仮に“死後の生”があったとしても、我々のこの生における練習の密度には曇りはないわけですから、立派に対応できるというものです。つまりそれはこの生を本番として生きることであるというわけですね。」
 
「練習とは、それすなわち、本番だ。」

「練習とは、それすなわち、本番だ。なるほど。練習とは常に本番に向けてなされるわけですが、練習がそれすなわち本番だということになれば、練習は向かうべき本番を失うことになり、本番は単なる本番以外のものではなくなってあくまでも本番であり、練習はどこにもなくなるということになるわけです。本番というのは常に練習の成果を発揮する場でありますから、練習とはそれすなわち本番だということになれば、練習抜きの本番というものがそこにあるわけですから、それは本番であるというよりも、単に徹底的に不慣れな者が未知なるもののなかで不恰好に暴れているだけどいうことになるわけです。練習とは、それすなわち、本番だ、という命題を置いてしまうと、練習も本番もどちらも消えて無くなってしまうわけですな。」

「人生とは、反射神経と即座の対応力を試す悪ふざけにすぎない。」

「人生とは、反射神経と即座の対応力を試す悪ふざけにすぎない。なるほど。我々が生活の中で学んだつもりのものを実践的に応用したつもりになってみても、次の瞬間にふと気づいてみれば状況は予期していたものとはまったく異なるものになり、我々はこの変化を包括する新たな学びのあり方と学びの結果を考え出さなければいけなくなります。その変化はあまりにもとりとめがなくて幅が広いので、我々としては突然目の前に現れたものをとっさにひっぱたいたり懐柔したりとりなしたりするばかりで、何か土台になるようなものを築く場所も時間もありはしないというわけですな。」

「知性のなぐさみ、それすなわち、笑いだ。」

「知性のなぐさみ、それすなわち、笑いだ。なるほど。我々がどうしたって学ぶことができない以上、賢い人は必ずやそのこと(私は学ぶ事ができない!)に気づくはずです。さらにその人が賢さを発揮するなら、どうせ大した成果が期待できないのなら、そのことを嘆くよりも笑ったほうが自分のためになるということに気づくはずだというわけですな。かねてより貴族よりも庶民のほうが笑いに長けていたということは、まるで人間の知性の悲しさを表しているようです。この世界に、人間のように笑う生き物が他にいないということも、人間の寂しさを表しているのでしょうか。」



広告
posted by kach 00:27comments(0)trackbacks(0)





スポンサーサイト

広告
posted by スポンサードリンク 00:27 |-|-


この記事に対するコメント











この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。