This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
|
一定期間更新がないため広告を表示しています
posted by スポンサードリンク |-|-
JUGEMテーマ:読書 小説家の天分というのは、「複数の視点を持つ」ということだ。 クンデラは、初の小説家としてセルバンテスを挙げている。 ドン・キホーテが踏み出した道こそ、相対性の道である。 ドン・キホーテ、サンチョ・パンサを始め、数々の登場人物たちが現実を勝手に理解して、それぞれの見解をしゃべり倒す。 そこでは、共同体から与えられた、誰もが共有する先験的な見解というものを、ほとんど期待することができない。 それは、各々が完全に別個の視点を持った他なる個人である、という、個人主義への道でもある。 小説はまさに「個人主義の文学」であり、個人主義の時代の芸術なのである。 ということを考えたうえで、氷室冴子という小説家は、稀有な存在である。 まず単純に、作家としての力量が素晴らしい。 俺が頭をふりしぼって切り開いてやっとこさたどり着いた境地が、簡単な一節にまとめて書いてあったりして、かなわんなぁと思うことはよくある。 よくぞこんなに人間について多くのことを知ってるものだと感心させられる。 そういう優れた小説家が、良き時代のコバルトで書いていたというのが、また面白いところなのだ。 当時のコバルトの位置づけというのはたぶん、少女マンガが小説でも読めるというようなものだったのだろう。 だから、面白いのは、それぞれの小説が、同じ舞台の同じ登場人物をめぐって書かれていたりもするところだ。 読者としては、雑誌連載のマンガのつづきを手に取るような気持ちで、またあの登場人物たちに会えると思って嬉しくなって読むことができるというわけである。 それでいて、連載もののマンガや現代のライトノベルと異なるのは、単純に同じタイトルの巻数が増えていくのではなくて、それぞれに別のタイトルを与えられた別の作品であるというところだ。 それぞれの小説はやっぱり独立して完成した作品で、それ自体で一つの小説世界をつくっている。 同じ人物を、同じ土地を、同じ出来事を、別の作品の世界観の中で眺めることができる。 たとえば横浜であったり、北海道であったり、あるいは時代も土地も現代日本とはまったく異なった場所であったり、どこかで誰かがそれぞれの人生を生活している息吹を感じることができる。 「あの場所では、あの人とあの人とあのコたちは、今日もあんなふうに生きているのだろう」と。 『なぎさボーイ』、『多恵子ガール』、『北里マドンナ』というのは、北海道の地方都市である「蕨ヶ丘」というところを舞台にした連作で、それぞれに主人公が異なっている。 蕨ヶ丘の第一中学校から、蕨町高校へと進学する五人組がいて、「なぎさ」「多恵子」「北里」というのが、そのうちの三人の名前である。 あと二人、三四郎と野枝のうち、三四郎の物語は、これよりも先に書かれた『蕨ヶ丘物語』に収められている。 時期としては、中学一年生から高校二年生まで、というあたりで、それぞれの作品で微妙にズレてもいるが、同じ出来事をそれぞれがどのように見ていたのか、ということを知ることもできる。 そして、そこが小説家氷室冴子のすごいところなのだが、「なぎさ」「多恵子」「北里」というそれぞれの登場人物の視点をみごとに描くのである。 それぞれにはそれぞれの人生があって、都合があって、想いがある。 それをお互いに、予想したり、疑ったり、期待したり、がっかりしたり。 この「わからなさ」、どうしようもない遠さこそが、個人と個人の隔たりなのである。 小説は、それを明らかにする。 しかも、それに重ねて、これらの小説を感動的なものにしているのは、彼ら彼女らの年齢である。 中学一年生から高校二年生、12歳から17歳。 まさにその年齢こそが、お互いがどうにも離れた他人同士としての個人なのだ、ということに気づかされる年齢である。 それまでは、自分以外の人、友達や親などの想いや都合などかまうことなく、ただ一緒に遊んでいればみんなだいたい同じような気分だろうと高をくくってやってこられたのが、いよいよせっぱつまる出来事などに直面して、これはいったいどういうことなのだろうと考え悩みながら、そうか他人のことは考えてもわからないのだからそれなりに思いやって尊重しなくちゃいけないのか、と身につまされるのが、いわゆるティーンエイジというやつである。 なぎさも多恵子も北里も槇修子(そういう登場人物がいるのだ)も、それぞれの素敵なところもあれば足りないところもあって、そういう一人ひとりが切磋琢磨する様子こそが現代の人生であって、それを描くのが小説なのだ。 必死で誰かのことを考え、自分のことを考え、そうであればこそ自分の醜いところをまざまざと見つめなくてはいけないこともあり、人とかかわるのは良いことばかりというよりかは、むしろ悪いことばかりのような気がするときもあるのだけど、それでも誰かのもとへと向かっていくのは、心がそう命じるから。 そういう、人生の輝かしい側面、というよりも人生そのもののようなものを、氷室冴子は見事に鮮やかに描くのだ。 なぎさがいて、多恵子がいて、北里がいて、それぞれのもとに何やらいろんな人が押しかけてきたり、自分からいろんな人に突っ込んでいったりしながら、そこで起こる様々な出来事を連ねて、そこに一つの世界を作り上げていく。 「あぁ、蕨ヶ丘というところで笑ったり泣いたりしていた人たちがいるんだなぁ」ということを、読者の心の中に届けるまでに。 氷室冴子に見えているさまざまな風景、人物などを、読者の心へと投影していく。 それはもちろんお互いに同じようでいて違うものを心の中に描いてもいるのだけど、でも、ある世界で生きていた同じ人物を同じように知っているというのは、なんだか素敵なことで、そこには小説、というよりも芸術や表現活動一般の素敵なところがある。 それぞれは別の個体同士だけど、同じものを見て語り合うことはできるし、自分に見えているものを頑張って表現すれば何か伝わるものはある。 別々の個人同士で寄り添いながら生きるのだから、お互いの懸け橋になるそういう活動は、どうしても大切にしていかなければならないのだ。 それには、もちろん技巧や形式というものがあり、現代に生きる人々はそれを少なからず学びながら生きているのである。 その中で、時代によって何が参照されたり、何が好まれるというのは変わるものだ。 だから、どうかこんなに素敵なものがいつまでも人々の手元に残るといいな、というのがファン心理で、そういう気持ちでこのブログを書いている。 それで、いつしかファン心理を超えて、あの作品に感謝をささげる気持ちで、自分も作品を作り上げてみたくなったりもする。 作品というものはすべからくそうやって作られ、そうして世界にまた一つ素敵な作品が増えもするのだけど、素敵な作品が一つ新たに生まれるということは、その分だけ過去の作品たちは見られなくなっていくということでもある。 そもそも自分が見つめてきたあらゆる作品に感謝をささげるつもりで作品を作ってみたところ、それは結果的に、感謝をささげるつもりだったそれらの作品の死に寄与することになる。 それはまさに親殺しであり、どうにも心苦しくて必死でほうぼうであの作品への愛と感謝を語ってみたりもするのだけど、それもやはりすべての作品について完全に名誉回復をというわけにはどうしてもいかないから、自分を育てたあらゆる作品のほとんどはこの世から少しずつ影を薄めていく。 人の連なりとはそういうものであり、そういう連なりの大きな流れの中で、個人は生きる。 氷室冴子がいなければ、今の俺はいなかっただろう。 やがて氷室冴子は誰にもかえりみられなくなり、やがて俺も誰にもかえりみられなくなり、氷室冴子の名前も俺の名前も、この世のどこからも消えて無くなる。 それでもそこには、氷室冴子が育て、俺が育て、さらにその次の誰かが育て、さらにその誰かが育てた次の誰かが、その世界でやっぱり切磋琢磨しているのである。 氷室冴子がいなければ、俺がいなければいなかったであろう誰かが、そこにいる。 逆のほうを振り返ってみれば、その人がいなければ氷室冴子も俺もいなかっただろう誰かが、そこにはいるのである。 たとえ、少しの影も見えなかったとしても、氷室冴子が書いて、今の俺がここにいるということは、その誰かも必ずいるのである。 その連なりの言語的な側面が文学であり、小説は文学の一側面である。 小説家の心に、ある人物が浮かぶとき、それは一つの命なのだ。 一つの命が生まれるとき、母の中にあるものが外から来た父と出会ってそこにまったく新しい命が生まれるように、小説家の中にあるものが外から来た何かと出会ってそこにまったく新しいものが生まれる。 そうして生まれた人物は、胎児が胎児なりのやり方で、母に依存しきっていながらも固有の命を生きているように、小説家に依存しきっていながらも、人物は固有の命を生き始める。 そういう人物が生まれたとき、小説家は書かずにいられるのか。 胎内に命を宿したとき、母は生まずにいられるのか。 それを生むことこそが、生命のモラルではないのか。 生むにせよ、無かったことにするにせよ、それぞれには適切な仕方で対処しなければ、母体の命も危ぶめる。 それが生命の厳しさだ。 この世の厳しさだ。 誰の意思でそこに生命が生まれたわけでもないというのに。 しかしそれこそが生命の喜びであり、個人の喜びでもあるのではないか。 何かを求めるとき、意識するにせよ意識せざるにせよ、その欲求の先には必ず誰かにつながっていくものがあるのではないか。 誰かにつながっていくということは、そこに何かを生むということであり、何かを生むということはやがて自分が死ぬということだ。 何かを求め、そこに喜びを見出し、喜びの先に何かが生まれ、生まれた何かがまた新たな喜びをもたらし、それを育て、育った何かが自分の死を連れてくる。 氷室冴子が筆をとらなかった、最後の10年間について、俺はときどき考える。 氷室冴子は、書かなかった。 野枝の物語も書かなかった。 現代では、自分の面倒だけをみていられる自由が人にはある。 ましてや、あれほどの仕事を果たした氷室冴子のことだ。 そうしたところで、誰の責めも負わないだろう。 氷室冴子の書かなかった小説は、いつまでも永遠にこの世に生まれることはなく、それと出会うことによって成り立っていたかもしれない俺の人生の可能性も生まれない。 野枝の物語と出会えなかったことを思うと俺は寂しい。 でも少なくとも、野枝について考えることはできる。 どうしようもないことはどうしようもない。 ひとまず、それで満足しようじゃないか。 片想いで終わる恋もある。 恋がかなわなかったことについて、呪いと憎しみを抱きつづけるのは、誰にとっても望ましくない。 でも、恋をすること自体をあきらめてしまうのも望ましくない。 俺が俺の人生を全うしたいなら、いつかは恋を実らせて、子供を生んで、育てて、愛が連れてきた死に抱かれるように消えていきたい。 心に嘘をつかずに、欲しいものには手を伸ばして。 強く、強く生きたい。 個人主義の時代の倫理は、個人の心に拠っている。 共同体主義を唱えずとも、個人の幸福を追求すれば、そこから倫理は生まれるはずだ。 氷室冴子はきっと、子育てを終えて、仕事もやり遂げて退職したおばあちゃんのように、ただのんびり過ごしていたんだろう。 「その子はいつも、あたしをどきどきさせた。いつも感動そのものだった。 重要だったのは、大事だったのは、いつも考えていたのは、たったひとりの男の子のことだった。それだけだった。今も、それだけが重要なのだ。・・・ 離れれば離れるだけ、あの人は知らない人になった。他人の顔した人になった。 知りたい。 もっともっと、あの人のことが知りたい。 あたしはちょっとだけしか、あの人のこと知らなかった。それだけのことだ。」 『多恵子ガール』 p.257 「なぎさくん。 きみ、知らないでしょう。 あたしがどんなにきみが好きだったか、どんなに憧れていたか、どんなにきみに関わるすべてが好きだったか、知らないでしょう。 あたしは順序をさかさまにしてた。 嫉妬したってより先に、それくらい君が好きだっていうのを、ずっと、どれくらい好きだったかって言うのを忘れてた。 これから、わからせてあげるよ。思い知らせてあげるよ。逃げ出したら追いかけて、わからせてあげる。殴られたら、殴り返してわからせてあげる。」 『同』 p.259
posted by スポンサードリンク 19:34 |-|-
この記事に対するコメント
この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|