This Is The One! - innocent -

俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。


<< 19世紀アメリカの文体とおしゃべり | main | 「前田、野村、緒方、金本、江藤、大野、佐々岡」 「田中、菊池、丸、鈴木、安部、野村、中崎」 >>



スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

広告
posted by スポンサードリンク |-|-





I'm in a T-shirt on a Sunday

JUGEMテーマ:音楽






昨日、ウェールズ代表はラグビーでニュージーランドに負けて、サッカーで北アイルランドに勝った。
サッカーはユーロ2016のベスト8に進出だ。
しかも、グループリーグでは同組のイングランドの上位につけて決勝トーナメントに進んだ。
ウェールズ国内はさぞかし興奮に沸いているだろう。
(ちなみに今年のシックスネイションズでは、エディー・ジョーンズ率いるイングランドの快進撃の前に、ウェールズは苦杯を舐めた)



で、その出来事とはあんまり関係なく、俺がたまたま音楽をいろいろと検索していたら、Manic Street Preachersのこのビデオに行き当たった。
マニックスはウェールズの国民的バンドだから、このビデオはさしずめ日本で言うところの、サザンオールスターズが日本代表の公式応援ソングを歌っているようなものだろう。
マニックスというバンドは感情を表現し、感情に訴えかける事に非常に優れたバンドだ。
ハードロックバンドであり、メロディメイカーである。
代表チームの公式ソングを歌うのに、チームの歴史と選手の名前をふんだんに盛り込むという、直截的であると同時に天才的な手法を使った。
いつの時代も詩人が英雄たちの名前や、過ぎ去った戦いの数々を歌ってきたように、マニックスもまた本物の詩人として、サッカーウェールズ代表の勇勲を歌った。
この歌のできばえに、誰もが満足しただろう。
彼らにこの仕事を任せた時点で、すでに成功は決まっていたようなものである。
問題は、彼らがこの仕事を受けるか受けないか、というところにある。
彼らは自分に正直なアーティストだから。
彼らが自分に正直に、この仕事に熱心に取り組めさえすれば、そこには名曲ができる。


俺がいささか驚いたのも、またその点である。
つまり、いまやManic Street Preachersはこういう仕事をするバンドになったのだという事に驚いた。
別に、今初めてその事を知ったという驚きではない。
そんなことはわかっていたつもりだけれども、同じ事に何度でも驚くのである。
彼らも歳をとり、変わっていくこと。
時は流れるものであり、ある時に心から信じたものをやがて信じなくなることもありえること。
若い日に、人生のほとんどすべてを知っていると思っていたはずなのに、むしろ知っていることのあまりに少なかったこと。
そういった、変わり映えしない真実のすべてに、何度でも驚くのである。

若い日の彼らは、こうなることを否定したはずである。
彼らは国民的バンドになどなりたくはなかっただろうし、代表チームのアンセムを書きたくなどなかったはずだ。
彼らは音楽を職業にする気もなかったし、音楽を通じて誰かを喜ばせようという気もなかった。
ただ、いけ好かないこの世の中に少しでも爪を立て、少しでも亀裂を入れたかっただけである。





この歌を歌っている、あごのとがったグラサンイケメン野郎が、上のビデオの歌をうたっているオッサンと同じ人間なのだとは、にわかに信じがたい。
が、その歌声は確かに同じだ。
若き日の彼らは、代表チームのアンセムをつくるというよりかは、どちらかというとアナーキスト寄りだった。
彼らは本気で社会を変えたがっていたし、そうでないならばむしろ人生そのものに興味がなかった。
彼らのほうから、今ある世の中に入れてくれと頼んだ事はないからだ。
彼らは彼らの生きたい社会に生きたいのであって、そうでないなら願い下げなのである。
それなのに、勝手に人間らしく生きろと押し付けてくる世の中に終始イラついていた。

破滅的な生き方というのはそれだけでいくらか魅力的だが、それに加えて彼らは美しかった。
ここに貼った「Motorcycle Emptiness」のビデオを見ればわかるように、フロントマンのジェームズは彼一人でも美しく、バンド4人が並ぶ姿もまたそれで美しい。
そして魅力的なメロディとハードロックサウンドがある。
彼らは生まれた事自体に嫌気がさしていたが、しかし彼ら自身は美しかったし、また美しくある事が彼らのいくらかの救いでもあった。
容姿や才能に恵まれない人間が自暴自棄になったところで、それはどこか当然で、人を納得させ、それほど興味を惹かれるものでもない。
しかし容姿にも才能にも恵まれた人間が何もかもを捨てて壊したいと自暴自棄になっている姿には、人の目を惹きつけ、何かを感じさせる力がある。
もしもシャカがシャカ王でなかったのなら、彼の出家にどれだけの力が生まれただろうか。



そうなることにまるで興味を示さなかったバンドが、結果として国民的バンドと言えるほどの人気を獲得するというのは、どこか皮肉な事態ではある。
今の彼らには、その地位を自分からぶっ壊してしまいそうな、あのあやうい美しさは、もちろんない。
しかし若い肉体の美しさにさほど意味はないように、彼らのあのあやうい美しさにも、意味はそれほどないのである。
生まれた事、生きていく事をそれなりに受け入れた。
ただそれだけの事だ。

マニックスの創作活動は、今もつづいている。
売れる事が目的のバンドだったなら、すでに目的は遂げているから止まっているところだろう。
ところが彼らにとっては、売れた事は成功を意味しないのである。
それで彼らは、国民的バンドとなった今でもなお、創作活動は衰えるどころか、アルバムの発売頻度は上がるほどなのだ。



しかし、もしも、と、俺は思う。
彼らがこれほどの成功もせず、生き残っていなかったならば、どうだったであろう。
この問いは、さまざまに形を変えては、いつも俺の心に浮かぶあの疑問だ。
生き残り、終わりのない困難な挑戦に勇敢にも挑みつづけることと、ある時美しいままに死んでしまうことの間では、いったいどちらが望ましい事なのだろうか。

もしもリッチーが生き残っていたら、このバンドは今も存続できていたのであろうか。
もしかしたら空中分解していたのではないか。
バンドの中に、美しいままで欠けた穴があることによって、妙なバランスが保たれながらここまで来たのではないか。
代表チームのアンセムを歌えるほどに世慣れし、賢くなってきたバンドと、心が狭く生き方が下手なままいなくなってしまったリッチーと、この運命の違いは何だろう。

運命とは皮肉なものだ。
夢はたいてい、望んでいない形でかなえられる。
美しさとは、壊れるためにある。
大切な事は、あとから知る。
皮肉で、残酷なものだ。
人間の都合のいいようには用意されていない。


イギリスの通販サイトでプリントしてもらって、今日俺が着ているティーシャツの画像。

manics-Tshirt_blog



 

広告
posted by kach 19:18comments(0)trackbacks(0)





スポンサーサイト

広告
posted by スポンサードリンク 19:18 |-|-


この記事に対するコメント











この記事のトラックバックURL
トラックバック機能は終了しました。