This Is The One! - innocent -

俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。


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(現状は)そのとおりだと思う。しかし(もしも)…

 


山手線に乗っていて、学習院大学のキャッチコピーが目に入る。
「世界は君を待っていない。君が、世界をつかみにいけ。」


そのとおりだと思う。
個別の個体に対して、世界が特別の興味を示す事はない。
そう信じていたのはエホバを心から畏れていた人たちぐらいで、彼らの頭上には天界があり、天界は彼らに視線を注いでいた。
今では、我々の頭上には半無限に広がる虚空がある。
我々の足下には地獄ではなく、地表と地殻とマントルと、それを過ぎればまた地殻と地表とがあり、その先にはまた虚空が広がっている。
そして我々に注がれる視線はない。
誰も、私を待っていないのである。


誰もあなたを待っていないから、もしもあなたが何かと関わりたいと思うのなら、あなたは自分から行くしかない。
自分から声をかけ、自分が何者であるかを証明し、自分に目を向けさせるよう仕向けなければならない。
もしもこの世界の一角に位置を占めて、自分なりの生活をしていこうと思うならば、世界はあなたをそのままで生かしておいてはくれない。
あなたの居場所はそこに用意されていない。



人間が、自分の生きる場所を自然の中から切り出していた頃、自然は我々を待ってはいなかった。
人間は、生きのびるために、いつも自分の生きる場所をつかみに行くしかなかった。
そして今でも、生きることは、自分が生きていく場所を確保することは、まことにしんどい。

しかしなぜだろう、と思う。
人間の生きる力がこれほど強くなった今でも、生きることがこれほどしんどいのはなぜだろう。
我々の生産力は上がったのではないのか。
我々は農産物を収穫しやすくなったのではないのか。
我々は安全で快適な環境を守りやすくなったのではないのか。
我々は法律や制度を発展させてきたはずではないのか。

今日の我々が置いていかれ、生きるためには居場所をつかみに行かなければならない相手というのは、今となっては人間である。
あのキャッチコピーにおける「世界」とは、人間世界のことだ。

人間世界もまた一つの自然であり、「世界」と言おうが「自然」と言おうが、いずれにせよ我々はいつも何かと対峙し、向き合っている。
今日の我々は、自然に対して生きる場所を確保できるよう働きかけ、強くなった後で、今度は同胞同士で競り合っているのだ。
自分の実力を証明し、生きる場所を確保したとしても、今度は人に対してその場所を渡さないよう防御の戦いをしている。
それで我々はいつまでもしんどく生きている。

これについて私は考えなければならない。
我々は、人間は、そうであるより他ないのか。
生まれ、育ち、生きていく時に、世界との関わりはやはり、自分が誰であるかを証明し、世界の一角に生きる場所を占めるためにつかみに行くより他ないのか。
それとも、我々がもしも次の世代のために、生きる場所を用意してやれるとしたら、人間はどうなるだろうか。
敵意でなく愛を、不安でなく安心を、試すのではなく信頼を、与えられるとしたら、何かが変わるだろうか。
そういう事を、考えている。

 

 

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