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あるいは運命という名の道化

朝井 リョウ
新潮社

JUGEMテーマ:読書

 


「心配しなくてもどうせいつか自分の運命については知る」というような事をテッド・チャンが、ヴォネガットの言葉になぞらえながら書いていた。
『あなたの人生の物語』の主題は、だいたいそんなところだと。


あらすじを言われると怒る、という人が世の中にはいるらしい。
書評をする時にはこの点で紛争を呼ぶ事があるのだと、いつかどこかの新聞の書評欄に書いてあった。
俺は自分の運命に興味津々ではあるが、運命を知ったとしてもやはり人生に興味津々だろうと、なんとなくそう思う。


だいたい、どんな優れた小説も、論文も、演説も、あらすじにしてみれば大した事は言っていない。
骨子と結論はだいたい三言ぐらいに要約できる。
『あなたの人生の物語』にしてみれば、「主人公が地球外生命体に出会う。その地球外生命体は、人間が空間を把握するのと同じぐらい観察的に時間を把握できる。主人公も、その時間把握の仕方を身につける」といったところだろうか。
これを三言と呼ぶのかは俺は知らない。


こういった要約に感銘を受けるとすれば、それはとても幸運な体験である。
そんな時には、自分の脳内にまるで参照できる概念がなく、また金輪際生まれてこないだろう発想に出会ったという事だからだ。
こういったあらすじを読んだ場合、何を言っているのかよくわからないので、本文を読むしかない。


「誰でも人生に一度は傑作を書ける。自分の人生だ」
という意見を何度か読んだ事がある。
俺はこれに賛成しない。
精々、人生のあらすじが書けるぐらいだろう。
人生のどの場面をどのように書くか。
これが傑作かどうかを分ける。

人生の味わいは、運命を知った時ではなく、それを実際に生きた時に知る。
問われるのは「何を(what)」よりも「どのように(how)」であり、知恵や技法の居場所はここにある。
あらすじが本文に対してそれほど関係ないのと同じぐらい、運命は我々に対してそれほど関係ない。
その逆は、切り離し不可だが。
どんな運命であれ、我々はそれを生きるのである。
道のりそれ自体よりも、その運び方にこそ人生の妙は満ちている。


しかし俺はそれを知った上で、自分の運命に興味津々だ。
ことほど左様に、我々はギャンブルが大好きなのだ。
俺の行く末について、あるいは植え付けられた性質について、「知らない」という事に喜びを見出し、「答えが出る」事に喜びを見出す。
自分の手に負える事より、むしろ手に負えない事の方に熱中する。
ギャンブルが常に魅力的なのは、ままならない不自由について我々に教えるからだろうか。

若者にとって「結局ぼくらが何者になるか」は、興味深い問いかけだ。
成功するのかしないのか、抜きん出るのか出ないのか。
それはいわば未来予想図。
出馬表の◎○△は統計学的に優位かもしれないが、俺の人生の試行回数は1だ。
心配しなくとも我々はどうせ、長く生きれば生きただけ、少なくとも何者かには絶対になる。
気は小さいくせに態度と腹回りばかりでかい無知で高慢なオヤジになる可能性もある。


将来「何者になる」かよりも、今「何者である」か、さらに今「何者になれる」かを問う事。
自由はそこにある。







 

 

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