This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:小説全般 フランスでの「本屋大賞」に選ばれた小説だそうで、日本でも少し話題になっている本です。 <ホームレスの少女「No(ノー)」 と、飛び級で高校に通う13歳の「私」。ひとりぼっちで、いつもみんなの輪の外側にはみ出していた私は、ノーといるときだけ世界にくっついていられた。かけがえのない存在、「いつもいっしょ」のふたり。けれど、ひとつの季節が終わる頃、私の中のなにかが変わっていった……。> (カバー折り込みより) 様々な場面で人と人との間に引かれる強固な「境界線(ボーダーライン)」というのは、あらゆる社会的命題の根本にある一つのテーマだけど、そこに挑戦しようという態度のある優れた小説だった。 成長物語の一つの類型として、ある「楽園」の獲得とその消失、挫折というものをとおして一回り大きくなる、というものがあるが『ノーと私』もこの類型に則した小説だということができると思う。 13歳のルーは、世の「分別ある」人間ならば絶対に尻込みし見えないふりをするであろう領域を、まっすぐに見つめて飛び込んでいった。 そして初めて手放したくない大切なものに出会った。 しかし「分別ある」人間たちがそこを無視する理由は、ただ安全な生活を脅かされる恐怖のためだけではなく、境界線(ボーダーライン)の向こうとわかり合い交わろうとする努力は、ほぼ例外なく徒労に終わるであろうという予測に基づいてもいるのだ。 物事はいつでも長続きせず(Things's not goin' long)少しずつ変わっていく、歯車が狂っていく(Things's goin' wrong)。 ルーはそのことを身にしみて知ることになるが、さて、果たしてノーの行動は徒労であったのだろうか。 物語をとおして複雑性のある多面的な「大人」の代表として登場し続けたマラン先生は、最後にルーにこうつぶやく、「あきらめるんじゃないぞ」と。 一人の人間が抱える疑問に対して答えを探したいと思うのならば、探し続けるしかないのだ。 徒労になるであろうから始めからやらなくてもいい、というのは疑問を放棄し、人生の大部分を放棄することである。 小説として、境界線(ボーダーライン)に挑戦した結論はいかがなものだっただろうか。 マラン先生の言うように、シンプルに「それを越えようとし続けろ」である。 境界線の向こう、違う世界を見ようと努力し続けるところに、人生の滋味もあるように思う。 ノーの存在が介入することによって、ルーの両親にどのような変化が起こったかを見れば、一層そのように感じる。 そしてまた同じように、ノーがどのように自らを保てなくなっていき、ルーの両親がどのようにノーを「排除」しようとしたかを見れば、この世界で「越えようとし続ける」ことの困難さも身にしみてくるだろう。 ルーの戦いは始まったばかりなのである。 「私にとっては、この同じ世界の中にいくつも世界があるなんて、知ったことじゃない。それぞれがそれぞれの世界にとどまらなくてはならないなんて、そんなことはどうでもいい。自分の住む世界が、ほかの世界(部分集合AやBやC)となんの交わりももたない部分集合Dであったり、黒板に描いた閉じた円であったり、「空集合」であったりしてほしくない。私自身は集合の外にいて、世界が重なり合い、互いに意思を疎通させている場所へ導く直線の上を進んでいたい。境界を越えて行き来できる場所へ、断絶することなくまっすぐに人生が流れる場所へ、わけもなく突然ものごとがストップすることのない場所へつながる直線の上をたどっていたい。」 (p.85より)
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