This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:読書 前回の日記で大きなことを書いておきながら、東京においてさっそく引きこもり気味の生活を送ってしまっています。 友達の家でウイイレのサクセスみたいなやつやったり、自分のPCで遊んでたり。 その一環の一つとして図書館通いというのがある。 正確に言うと、たまに行って大量に借りてくるから「通い」ではないのだけど。 その中で、この話題の書が新刊コーナーに普通に置いてあったから借りてきた。 借りてきたその日に読めてしまうぐらいの読みやすさであり、こういう問題にそこまで興味を持っていない人たちに、まず安心してオススメできる良書であると思った。 基本的に著者の体験してきた出来事のみを述べようとしていて、そこになんらかの思想性や方向付けをなるべくしないようにしようという気遣いが感じられた。 何よりも、イメージや全体論で語ることなく、そこに暮らす一人ひとりの人間と向き合って書こうとしているところが気持ちいい。 体験記という読み物としての刺激も充分であるし、これから一緒に旅をしようかと思っている友人にオススメしようと思った。 この本を読んで、もっと世界を見てみたい!と思うか、こんなに大変な思いをしなければいけないなら日本で楽しくやれるうちにやっとくか、と思うか。 たぶん彼は一緒に出かけてくれると思う。
唐突な話ではあるのだが、三日前までニューヨークに一ヶ月ほど旅行をしてきた。 目的はといえばBruce Springsteenのコンサートを見るためなのだが、ついでにニューヨークという街も見てやろうということで一ヶ月間滞在した。 まぁ感想はいろいろとあるのだがそれはひとまず置いといて、あちらで自分に起こった変化というものを記しておく。 今の自分にとっては、それが最も重要な問題なのだ。 いつまでたってもそうなのかもしれないけど。 まぁ一言でいってしまうと、ものを考える力をだいぶ取り戻してきた、ということかな。 なぜかというとたぶん、常に他人と一緒にいる生活をしていたから。 ものを考えざるをえない、というか考えたい問題がさまざまに生まれてくるのは、やはり他者との関係の中からなのだなぁ、ということを改めて実感した次第。 で、日本に帰ってきて、恥ずかしながら昔(3年前ぐらい)に詩や思考の内容を書き溜めてたノートを見つけて読んでた。 これがなかなか泣かせるものでね。 当時は何一つ気に入るような詩や文章はなかったんだけど、あのころのいろいろを完全に忘れてる今になって読んでみると、これが興味深いのである。 そうか、少年の日の青臭くラディカルな視点からは、社会や人間関係の問題点や不満がこんなにも浮き彫りになるのか、といたく感心してしまった。 正直な話、あのころは常に死の不安と戦っていたために幸せだったかというと難しいものがあって、何をもって幸せと呼ぶのかという非常に根本的な問いも含むが、まぁあえて断言すればとっても幸せだったんだろう。 とてつもなく苦しかったけどね。 で、今はというと、なんともけったいな話かもしれないが、今もとっても幸せなのである。 今までの俺の人生において、幸せでなかったときがあったのか、思い出せない。 なぜ俺はそんなにも常に幸せな気持ちで過ごしているのかを考えてみると、原因はおそらく二つある。 一つは、単純なことに辛かったことを忘れてしまうのである。 これは良いことかどうかというと単純には言えないが、少なくともハッピーに暮らしたいという願いにとっては良いことであるのだろう。 もう一つは、常に未来にワクワクしているということである。 これから起こること、起こらないこと、幸せなこと、辛いこと、全部含めてこれからの俺の人生がどんな風に転がっていくのかということに期待を持っているということだ。 それにあたって、別にこんなこと改めて言う必要もないのだろうけど、何が起こるんだろうな〜、とボケーっと体育座りをしていても幸せになれるとは思えない。 なぜなら物事が転がっていかないからである。 俺が期待しているのは、とにかく何かが起こって(あるいは起こらなくて)人生がどんどん変化していくことであって、そのためには自らは出来る限り激しい運動体であることが望ましいのだ。 どうすればもっと人生を楽しめるのか、というのは俺の中にある一つの重要な命題であって、そのことから派生していく問題たちというのに頭を使うのがまた楽しいのである。 例えば、俺が楽しいということと、誰か他人が楽しいということの、相互の関係はどうなっているのだ、とか。 つまり、自分の幸せということを追及するには、他の主体としての人間たちと暮らしている以上、他者たちの幸せということを考えないわけにはいかない、ということである。 それが、俺が社会問題や世界情勢、テクノロジーやアートというものを気にかける理由の一つだろう。 もっともっと人生を楽しむために、もしかしたら全てはただそれだけのために、今までの俺の思考はここまでいろいろとやって来たのかもしれない。 死と生の問題はもちろん、愛、痛み、貧困、差別、嘘、恋愛、歓喜、アート、自由、戦争、カオス、認識、物語、神秘・・・ 脈絡なく挙げつらねればキリがないほどの、自分にとって重要なキーワードたち。 それら全てはただ人生をより楽しむために、そのときに避けられないからこそ出てきた問題なのかもしれない。 っていうね、ニューヨーク行っても結局こうやって頭の中でひねくり回してるばっかりで、特別すぎる体験というのをしてきたわけでもないんだわな。 もう「外に出る」とか言うのやめようっかな。 とにかく、頭の中で考えてることっていうのは一回限りに終わってしまう、消えてってしまうことのほうが多いから、それをどっかに残しておきたいっていう、そういう習慣を思いついたのがニューヨークかな、一つは。 まぁだからこの文章は上から順にダーっと書いたものですわ。 これからこういうのちょっと書いていってみようかな、って思ってる。 ま、それも一瞬で終わっちゃうかもしれないけどね。 もう自分にそういう一貫性みたいのを期待するのはやめたわ。
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