This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:読書 話題の、大江健三郎最後の書。(ゲド戦記4巻的な意味で) 後期大江健三郎の小説はまったく読んだことがなくて、俺が読んだのは70年代の小説が最後だ。 エッセイや講演はけっこう読んでるのだけど。 「晩年の仕事(レイト・ワーク)」とは実際にはどのようなものなのだろうか、と思いながら読んだのだが、結論としては、これが果たして「レイト・ワーク」に当たるのかどうかに疑問を持った。 大江の友人でもあるサイードによる定義として本文中に示されているところを引用すれば、 「本当の芸術家は年をとると円熟とか調和とかとは逆の地点に到る、その「晩年の仕事(レイト・ワーク)」をつきつめることで、時にはカタストロフィーにすら見舞われる」 ということである。 しかしこの小説からは、円熟も調和も見えていると思う。 大江健三郎という一つの人生の様々な重大事を、一つの小説として見せていき、そして言葉を媒介として、ある風景へと何度も還っていく。 晩年にさしかかった老人の物語であるにもかかわらず、諸々の人生の難題が青年の俺にも身近なことと感じられる。 その描き方というのは、「円熟」という言葉が適切かは微妙だが、人生の先達としての練達の筆致を感じずにはいられない。 そして、小説全体をとおしての構成、というかバランスには「調和」が見えるとも感じる。 この小説を読み通して「レイト・ワーク」について思ったことは、それはもしかして発表されないのではないか、ということだ。 この『水死』という小説は「レイト・ワーク」ではなくて、もしかして別の「水死小説」がどこかにあり、本当の「レイト・ワーク」はそちらではないのか。 そして、それは出版される形で発表されることはないのではないか。 しかしそれでは、晩年の者にしか語りえない「レイト・ワーク」から、人生や死や性や国のことについて、切れっ端でも読みとりたいと考えている俺のような若者はどうすればいいのか。 それがどんなに作者以外の人間にはおよそ理解不可能なところへ突っ走ったものであれ、俺は読みたい。 そうした若い者に語りかけることは、大江にとって重大なことであるはずだ。 この小説は面白いし、大江健三郎入門としても勧められるものだ。 しかしそれだからこそ俺の期待した「レイト・ワーク」としてはまだ物足りなく、「おとなしい」と感じてしまった。 余談を一つ。 今回、俺が大江健三郎をたくさん読んでいることを知っている父がこの小説を買ってきてくれた。 その流れの中の会話で、俺と大江健三郎が、作中に「塙吾良」として登場する人物を介して、決して遠くもない親戚関係にあったことを知った。 血のつながりもないし、一時的なものになってしまったのだが、それでもなんとなく嬉しいミーハー魂。
JUGEMテーマ:音楽
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お昼1時にとって 外ぼんやり見たって 会社を9時に出て
ゆれるゆれる心、からだ ドアノブに働く手を添え
周りが気になって 街も変わりまして 孤独も知りまして
曲がる曲がる心、からだ 時のエスカレーターに乗って
もどる踊る心、からだ ドアノブに添えた手を見つめ
確かに今は厳しい時代であるのは間違いないから、目下の生活を維持するだけでも一苦労だというのは想像できる。
その状況でどうしても自分を納得させる説明を見つけなきゃいけないんだとしたら、俺だったらこう言うね。
知らないことがよかったと
ありとあらゆる種類の言葉を知って
陽だまりの 窓辺から 凍える町並見下ろすの 冷ややかな 階段を ざわめきの海へ降りてゆく 新しい靴は少し ぎこちなくて かすかな痛み ひきずるけど
たむらぱんの別の曲で「ちょうどいいとこにいたい」なんて、なんで「最高のところにいたい」って言わないんだろう。
JUGEMテーマ:読書 タイトルがもろに俺の好みだいうことはわかってもらえるだろうけど、俺はもちろん五木寛之のファンである。 まずは、時代の空気をよく捉えた小説じゃないかと思う。 当時は、こんなふうに人生をスウィートに感じとることのできる、夢見がちなロマンティックボーイやガールたちがいっぱいいたんじゃないかな。 そしてそれは、時も場所も越えて、普遍的な若者の姿として、そのまま俺にも当てはまるのだが。 そんなスウィートな夢を、文字におこしてパッケージしたのがこの小説だと思う。 その出来栄えの見事なところは、五木寛之の大衆作家としての面目躍如である。 何かと都合よくうまくいったり、可愛い女の子しか出てこなかったりするところは、現代のラノベやエロゲと同じノリである。 しかしラノベやエロゲがオタクたちの現状肯定に一役買っているのと逆に、もっと違う生活だってできるんだ、と焚きつけている点がこの小説は違うように思う。 そう考えると、現代のラノベも40年後に読んだら、そこに描かれているオタク生活ってけっこうエキサイティングに映るんだろうか。 人生を能動的に躍動的に生きようという気概を持った若者の姿も、見る人によっては、浮かれているだけのロクデナシに見えたんだろうとも思うと、何か悲しい。 世界は素敵なんだぜ、人生ってのは良いもんなんだぜベイビー、ってことを、誰かに上手く伝えることができないことがある。 そんなときはこの小説でもすすめてみたらいいのかな。 例えばその人が落ち込んでいたら、これ読んだってきっと「こんなに上手く事が運ぶわけないじゃん」っていうんだろう。 でも、大切なのは上手くいくかどうかじゃない。 上手くいく「かもしれない」ってことだ。 結果は、結果である。 最高にスウィングするVan Morrisonの"You Make Me Feel So Free"からこんな一節を引用してみよう I'm gonna lay my cards just right down on the table 俺のカードをテーブルに伏せるぜ And spin the wheel and roll the dice ルーレットを回して ダイスを転がすんだ And whatever way it comes out そうしたらどのカードが出ようと And whatever way it turns out どの目が出ようともだな Well you know that's the price わかってるだろう それがプライスってもんなんだ Well I'll order again there's no need to explain さてもう一回やるぜ 説明なんかいらないよな I just need somewhere to dump all my negativity ネガティブなものを全部捨て置いてこれるような場所が欲しい But baby you make me feel so free しかしベイビー お前は俺にとびっきりの自由を感じさせてくれるぜ これだけ抜き出すとギャンブルに狂った男の八方破れな理屈みたいだけど、あの跳ねまわるピアノの音色と共に聴けば、何を言っているかしっかりと理解できるはずだぜ。 オザケンにも「ダイスを転がせ」という曲がありますな。 怖いに決まってるのさ、人生を丸ごと賭けてみるっていうのは。 でも賭けてみなくちゃ、勝利も敗北もないんだぜ。 せっかくこの世に生まれておいて、若いうちから自分のちっぽけな世界を必死で守っていていいのかい。 ここから余談だが、この小説の登場人物ケンを見ていたら、ロッキー青木の自伝を思い出した。 あと、五木寛之の小説としては、『海を見ていたジョニー』、『さらばモスクワ愚連隊』、『青春の門(第2部まで)』のほうが好きだ。 「世の中で自分でためしてみないで判る事なんかはないぜ。音楽は一つの体験だ。予想じゃない。頭の中で新しいコードを考えてるだけで、良い演奏家といえるかね? 君は白人女をためしてみるべきだよ。その上で無意味だと思えば、それが真実だ。仮定ばかりの上に自分の思想や、音楽を組みたてようたって無駄だと思うな」(文春文庫新装版 p.136)
JUGEMテーマ:ヘッドフォン・イヤフォン ヘッドフォンを買った。 例によって例のごとく、吉祥寺で。 吉祥寺のヨドバシカメラ。 むっちゃ広いけど、買うものをある程度まで絞って比較するには、この品揃えはうれしい。 なんの下調べもなく買いに行くと、物がありすぎて選べなくなるんじゃないかと思う。 かつてポータブルCDプレイヤーとCD50枚ぐらい持ち歩いてた時代には、Audio-Technicaの1万5千円ぐらいのやつを使ってた。(型番忘れた) でもそれが1年ごとに片耳だけ音が出なくなって、保証切れた時点であきらめた。 それもあってiPod買ったんだけど、それからはiPod付属のおなじみの白いイヤフォンで満足してた。 あれってなかなか音が悪くもないものね。 でも最近になって周囲のクッションパッドみたいのが外れちゃったので、耳から落ちるようになってしまったのだ。 そこで、久しぶりにヘッドフォンを買おうと思い立った。 なんかイヤフォンよりヘッドフォンのほうが好きなんだな。 見た目も「聴いてます!」って感じになるし、音も良いんじゃないかと思う。(もちろん物によるが) 俺は別に音質マニアというわけではないけれど、やはりそこそこの良い音では聴きたい。 近所のコジマやジョーシンやなんかを回って、めぼしい商品をあたっていくけど、視聴もできないし情報が少なすぎるので撤退。 価格.comで調べることにした。 で、めぼしをつけたのが、またAudio-TechnicaのSJシリーズとESシリーズ。 やっぱりAudio-Technicaのヘッドフォンはスタイリッシュなんだもの。 Audio-Technica以外で唯一目をつけたのが、このAKGというオーストリアのメーカー。 全然知らなかったけど、けっこう有名なのね。 これも格好いいなぁということで、だいたい見た目:音質が6:4ぐらいの判断基準で、もちろんそれに価格というファクターが大きく影響していく感じで選定していく。 ネットじゃ視聴のしようがないので、口コミレビューだけで判断していくしかないのだが。 俺は持ち歩いて外で聞くために買うから、格好いいのを選びたい。 頭にドーンと存在感のあるものはのせて歩きたくない。(仗助ばりにビシっと決まったヘアもつぶれちゃうしね) というわけで見た目重視なのであります。 それで今日、バイトの前にヨドバシ吉祥寺に行ったら、もうあるわあるわ、ヘッドフォンがズラーっと並んで視聴待機状態であります。 そそくさとAudio-Technicaを3つぐらいとAKGを装着して、音を聴きながら、装着した姿を鏡でチェック。 土曜日だからやたらと人がいる。 人でごった返ったこのイナカくさい雰囲気は好きじゃないので、さっさと決めてバイトに向かいたいところでありますな。 置いて見てみるとAudio-Technicaのほうが格好よく見えるんだけど、装着するとAKGのほうがさりげなくてスタイリッシュ。 音の迫力もAKGのほうがある。 確かに評判どおり低音は強いけど、低音一点張りの男一代バカ一本気って感じではなく、ちゃんと全体のバランスもよかった。 現代の常識をふまえた大人のこだわりとしての低音、って感じかな。 そしてダメ押しが、たたんだときの小ささ加減。 専用ポーチに収納すれば、あら懐かしのMDプレーヤーばりのコンパクトさ。 というわけで、AKG購入しました。 帰りにちょっと聴きながら帰ってきたけど、装着感は悪くないし、音も悪くない。 ま、今までがiPod標準装備のイヤフォン(耳からズレまくりの)だから、それは良く感じるというものだろう。 とりあえずストレスはなさそうなのでよかった。 使い込んでいくうちに気づくことはあるかもしれないが、ポケットに入るこの持ち運びやすさはとりあえずこれから重宝するだろうな。
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