This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:日記・一般 さて、3月に入ってから初めての記事だが、その間にはもちろん大地震があった。 世代に共有される出来事というものがいくつかあるものだが、年齢、重大さということを考えて、俺と同世代の皆には特別なものとして記憶される出来事になるだろう。 9.11やリーマンショックを超えて、最も大きな出来事になるかもしれない。 東京に住む者として、目下の関心はもちろん原発の問題だろう。 報道は小さくなっていく一方だが、事態は悪くなっていることは間違いない。 当初からずっと俺が不安に思っていた、頭の上に放射性物質が降り注ぐという事態は、専門家たちの必死の否定もありながら、起こり得ないことだとは未だに思えない。 「人は、科学がそれについて何も言っていないことについては推測し、科学の応用による副作用を数え上げ、最悪の結果に対する覚悟を決めている。」 とはウルリッヒ・ベックの文であるが、今の俺はまさにこのような状態だと言っていいだろう。 正直、どこかで覚悟は決めている。 覚悟を決めながら、しかし毎日を懸命に過ごしている。 そうしてこれからも生きていく中で、今、心を配らなければならないことがいくつかある。 目下重大なのが、経済のことと、政治のことである。 財政政策案が否決されたポルトガルは、ギリシャ、アイルランドに続いて救済を受けることになるだろうという見通しだ。 さらに最も懸念されるのは、ポルトガルにつづいて危ういスペインの金融事情で、スペインの金融が破綻するとEUが恐慌に陥るのではないかという不安がある。 サブプライムローンの崩壊が2007年で、リーマン・ブラザーズの破綻などが2008年、経済不安というものがここで終わったと考えてはいけない。 1930年代のいわゆる「大恐慌」のとき、大暴落が起こったのは1929年であるが、恐慌のピークは1932年から'33年と見られている。 さらに、経済の本当の回復は1950年代まで待たねばならず、この間にはもちろん大戦があったのだ。 もし、ここでヨーロッパ経済が危機に陥ると、アメリカ・ヨーロッパという経済の中心が不況に陥ることになる。 アメリカは金融で帳尻を合わせているものの、実体経済はひどいものだ。 国内の、特に低所得者層の生活は混沌としているにも関わらず、オバマの福祉改革はまったくの骨抜きに終わった。 地震以降は話題にものぼらなくなったTPPは、輸出で経済を活気づけるしかなくなったアメリカが日本の市場をもっと食おうと手を伸ばしてきたものである。 新自由主義の信用凋落もはなはだしいこのときに、あのような政策を嬉々として受け入れようとしている管直人は何を考えているのであろうか。 地震のどさくさの後でいつの間にかTPPが実現している、などという悪夢は避けたいものだが。 危機を避けるためにはスペインをどこかが支えなければいけないのだが、その中で支援大国日本がこのような状態に陥ったというのは、タイミング的に見ても最悪と言えるだろう。 日本の金融政策は、信じられないほどに混乱している国内経済を支えるために巨額の資金を国内市場に投入しているところだから、余裕をもってヨーロッパに回せる状況ではないだろう。 飲食店でバイトしている俺も先週からまったく仕事がないが、話に聞く限り外食業界はどこもかしこもそんな状態で、アルバイトたちはシフトからあぶれている。 さらに、追い討ちをかけるのが計画停電である。 福島の原発の影響と合わせて、電力事情による逆経済効果がどれほどのものなのかはとても見通せないだろう。 俺のこの労働事情がこのまましばらく続くとすると、他のバイトを探さなければいけなくなるが、誰もがそんな状況なのだからバイト探しは簡単ではないだろう。 9月に開催されるラグビーワールドカップをニュージーランドに見に行くつもりで貯めていた貯金を切り崩して生活していくことになるのかもしれない。 それもまた、経済効果である。 俺がクライストチャーチに落とすつもりだったお金は、回らない。 一つ余計なことを言うと、だからお金をどんどん使わないヤツはけしからんのだ、というとんでもない経済観を振りかざす向きがあるが、それは本末転倒である。 我々は経済のために生きているのではなく、それぞれの切実な人生をカネとモノで測ったのが経済学だというだけの話である。 経済学から倫理を考えることは十分にできるが、経済=倫理だというのは勘違いである。 さて、マネーが最も溜まっているのはウォール街でバカ金を稼いだ投資家たちのところであろうが、このマネーはもちろん支援には回らず、それどころか破綻を積極的に仕掛けてさらなるマネーを生み出そうとするだろう。 だから、弱ったヨーロッパがスペインを支えるのに頼れるのは、落ちゆくアメリカと読めない中国ということになる。 中国の不動産バブルと賃金価格の上昇については前に書いたとおりである。 こういう不安定な状況の中で、恐ろしいのは信用が崩壊し、非寛容の空気が醸成されることだ。 上にも書いたとおり、1930年代の大不況の後には、第二次世界大戦があった。 ファシズムの横行と暴走を抑え切れなかったのは、ファシズムを生んだ国内にも、それに対応した主要国にも国内政治への不安と国際関係の不信があったからだ。 国内経済と政治基盤を守るあまりに、信用と信頼が崩壊してしまったのだ。 経済政策への意見の不一致で、EUが割れるようなことがあってはならない。 さらに加えて、リビアの事態である。 民衆運動がつづく北アフリカから中東の国々の中で、リビアが例外的なのはガダフィという体制の性格による。 ガダフィという人の思想は前時代的な対立のイデオロギーの中にあって、ブッシュが「悪の枢軸国」として名指しをしたときにもそこに含まれていたような国である。 だからリビアでも民衆の抵抗活動が始まったと聞いたとき、世界中が「ヤバイな」と感じたのだ。 実際、ガダフィは強烈な掃討・弾圧政策をとり、それを抑えるための飛行禁止空域設定からは、連合軍の即日攻撃である。 飛行禁止空域設定が即攻撃につながるとは知らなかった甘ちゃんの俺は、心底驚いたものであるが。 ユーゴスラビアのときはヨーロッパ域内の問題だったためにNATOが出て行く大義名分もあるにはあったのだが、今回はどこが出て行くにしても微妙なところだ。 このあたりがイラク戦争のときと同じように物議をかもすところで、それぞれの利害が微妙に絡み合う外交問題である。 しかもイラク戦争のときと違って、今回は深刻な不況の中である。 EUが割れるようなことがあってはならない。 おそろしく複雑で何がどうなるのかわからないのだが、アメリカは明らかに腰が引けているだろう。 アフガニスタンとイラクにも巨額を投じている中で、さらにリビアに腰を入れて乗り出すわけにはいかないだろう。 さしあたってガダフィをどうにかしないことにはリビアの抵抗軍が殲滅され、市民が弾圧されることになってしまうが、だからといって堂々と内政干渉できるものでもない。 リビアのことはリビアの国民のものなのである。 しかし放っておいたら国民が死ぬ。 複雑なジレンマと、外交。 そういう中で、若者たちはかなり厳しい時代を生き抜くことまで覚悟しなければならないかもしれない。 まずは原発がそれなりに穏やかに治まったとして、そこからは東北の太平洋沿岸を中心とした「復興」が始まる。 関東大震災の後に後藤新平が言ったように、ここを「復興」のきっかけとして積極的に捉えることができるだろう。 しかし関東大震災の後とまったく同じ意味ではありえない。 我々は違う時代に生きているのである。 今回の震災を日本という国にとって、一つの積極的な転換のきっかけにすることができるだろう。 地震の被害にショックを受けて、どうやら目を開かれた若者が多いようである。 かく言う俺もその一人であるが。 まとまって前向きなこの精神を生かさない手はない。 しかし大切なのは、常に熟考して、ということである。 明らかに、経済成長型の消費生活モデルは限界を向かえているのである。 地球環境、原料枯渇、財政圧迫を見たまえ。 東北の新しい町づくり、あるいはそれに対しての議論は、まったく新しい生活モデル、パラダイムを模索するのに絶好の機会だ。 どこぞの知事や市長のようにノリのいい言葉でごまかすのではなく、きちんと考えられて伝える言葉で、町づくりを考えたいものである。 それが本当の自治というものだろう。 そしてそれは町だけにとどまらず、日本に、世界中に自ずと広がっていくのである。 今の日本における大きな問題はその政治力で、ルーズヴェルトやチャーチルとは言わないまでも、オバマ程度の政治家すら日本の国会いるとは信じられない。 しかし地方自治が目指される今日だからこそ、腐りきって機能しなくなった政党制以外の民主主義を考えてみてもいいのではないか。 若き志は遠くまで夢を見るのである。 しかし、実行は手の届くところから。 そういうわけで俺は勉強をするのである。 そして、何よりもまずは、俺は祈ることしかできないのだが、原発をどうにかしてくれ。 俺はこんなことで死にたくない。 そしたら、俺はちゃんと生きるから、それだけは許してくれ。
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