This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:日記・一般 実習の同期の女の子の家で鍋をした。 男1人、女2人。 俺は24歳、2人はそれぞれ21歳と二十歳。 12月に、11月に、1月に、3人はそれぞれ恋人と別れた。 俺の提案のもとに出汁をとってキムチの素を入れて作ったキムチ鍋は、出来合いの鍋の素を使った前回よりもずっと美味しくできた。 俺が嫌がるので今までならまずありえなかった、テレビをつけながら会話をするという状況は、なじんでしまえば調和して自然な居心地をつくりだした。 今日のうちに言っておきたいことを持っていたとしても、言えるうちに早く言おうと焦るのではなく、待っていればいつか自然な糸口を見つけられるものだし、そのようなときに切り出したほうが上手くしゃべって伝えられる。 数時間をかけて、いろんな話題と空気を通り過ぎたあとでも、なお糸口を見つけられなかったのならば、それは言うべきことではないのかもしれないし、少なくとも今日のところ縁は無いということだ。 お互いの間合いを崩さず、かといって退屈ではなく愉快に。 この瞬間を最も誠実に、大切に過ごすこととは、相手と場を尊重し、場を自分の理想形へと無理に近づけようとしないことだろうか。 自分を最も的確に伝えることとは、自分の理想形で語ることではなく、自分の伝えたいことと相手の耳の両方に合わせて言葉と語り方を選び、場が変われば切り口も対応して変えられるような幅と深みを持つことだろうか。 成熟とは、きっとこういうことだ。 大丈夫、俺の体はきっと成熟に拒否反応を示さない。 3人にはそれぞれの関係があり、状況があり、思いがある。 もともとそれほど大差ない人間の個体同士で、同じ時代の同じ年頃の同じ土地の同じ学校社会に属し同じ実習を履修している3人が、微妙な差異を語り合って微妙な差異だけが重大事で。 いつまでもいつまでも、未分化と分化の合間で、小さな重大事にアタマを悩ませて、それは愉快なことだと笑いたい。 倦んでしまえばいつでも、見下してしまえばいつでも、迷ってしまえばいつでも、小さな重大事のあまりの軽さ(小ささ)にもあまりの重さ(大きさ)にも耐えられないような気持ちになってしまうから。 いつしかこたつで眠りに落ちた家主に別れをつげて、駅までの歩き道と電車の一駅だけを2人で帰った。 駅の券売機で俺が切符を買い、ふりかえると彼女は前方の一点を見つめて凝固していた。 「なんだよ?w」と、何事も喜劇的に受け止めてまずはシリアスを回避できる、あのトーンで俺は声をかけた。 まさにその声の途中で、彼女は近づいてくる茶髪の男の子に「あぁ」みたいな微妙な声をかけ、向こうも「おぅ」みたいな微妙な声を返した。 ヘンな間合いで声をかけてしまった俺は「なんだ知り合いかw」と、振り向いた直後のことだったから場をつかみあぐねていたのだということを、2人のどちらにも聞こえる調子でアピールした。 時計にとってはとても短く微小で、3人にとっては長くて何か重大な、一瞬が過ぎ、男の子は歩き去った。 彼女はいつもの明るさで「ああぁぁあ、あ」みたいな微妙なことを言い、その男の子が今日も何度か話題に出ていた元カレであることを俺に知らせた。 彼女は二人が別れてからこのところのお互いの関係や状況を話し、俺は「こういう(めったに来ない駅でドンピシャで遭遇するという)ほとんどあり得ないようなことこそ、えてして起こるものです。不思議だね」と、特に面白くもつまらなくもない真実をつぶやきながら聞いていた。 その二人のかつての恋人関係の中では、基本的には彼女が好かれて、最後も彼女がフった。 だからといって、それはきっと、今日のような出来事に彼女として特に感じることも多くない、ということを意味しないだろう。 彼女が語った近況の細かいことはここに書かないが、1駅だけ乗り合わせる電車の中で彼女が簡単に言ったこと。 「どうせいつか終わるなら、わざわざやらなくてもいいんじゃないかって思う」。 どうしてこの言葉だけはクリアに覚えているかというと、この後の俺の返答が微妙に合っていなかったような気がしたからだ。 俺がその言葉を受け止めそこねていたのではないかということが微妙に感じられた。 その日は就活の話題もたくさん出ていた、ということを踏まえたうえで、俺の言ったこと。 「そこがキャリア的思考のむなしさだよね。ある期間に生じたできごとが、その後のある時点でなんらかの成果を残していないからといって、それが意味のないことであったというのはむなしい。ある瞬間に自分の望むこと、楽しいことに取り組めたのなら、それはそれで全てだ」。 彼女は、「うん、そうなんだけどねぇ」などとあいまいに言いながら、今の状況のどんなところでどんな思いを抱くか、それがどんなふうに自分の器量の小ささを感じさせるか、ということについて語った。 そのまますぐに彼女は電車を降りていったのだけど、どうもこの最後のところは、どこか少しズレたままだったように思う。 1人になった俺は、いい気分でいたくて、iPodを取り出した。 恋人と別れた後輩のためにかつてつくった、別れの歌ばかりを集めた「for O」というプレイリストを再生した。 酔いにまかせて散漫な気持ちのままに聞き流しながら電車を降り、駅から歩いていたとき、ヘッドフォンから流れていたのは中森明菜の「約束」だった。 その、結末のワンフレーズ。 いつかどこかで すれ違っても 知らないふりして通り過ぎる 約束を交わしたとたん 涙がひと粒 ぽつんと落ちて アドレス帳の 名前消したの この歌を聞いたときの、どうしようもない気持ち。 手も足も出ない厳然たる事実という意味で、まさにどうしようもないというあの気持ちが、また俺にその事実を確認させた。 何もかも、終わるのだ。 心から笑ったあの瞬間。 ただ見つめること以外にするべきことなどなかった自分。 近くにいるだけで自然と光に照らされた二人。 他のなによりも大切なものを見つけたと確信していたあの日々。 すべてがそこにあった、まさにそれ。 それを知っているのはこの世で二人だけなのに、その二人がもう永遠に目を合わせることもない。 自然にそうなるのみならず、はからず近くに居合わせてもつとめて離れるように約束をするなんて。 二度と、本当に二度と、それを見ることは永遠にない。 よく知った事実のはずなのに、ともすると忘れがちな俺。 何もかも、終わるのだ。 もしかしてあのとき、彼女はそういうことを言っていたのかもしれない。 それを俺はノーテンキに、目的論的に人生を解釈するのは退屈だよ、という講釈を振り回してしまったのかもしれない。 ちょっとズレていたような気がした、あの空気は、その受け取りそこないから生じていたのかもしれない。 あまつさえ、「それは乗り越えないと」というようなことすら言った気がする。 「俺はもう、ありがとうって思うだけだよ」と。 「乗り越える」という表現はおかしいとしても、それはそうなんだけど、そんなふうに言えるのか、俺は。 でも、どうすればよかったのだろう。 ただ、ふんわりと「そうだね」と、俺もそのことはよくわかっているし、誰もがきっとそうさ、と。 『霧の中の風景』のあのセリフのように、「みんなそうなんだ」と。 何も言っていないけれど、とにかく何かを共有していることだけは伝わる、そういうことでよかったんだろうか。 彼女は必要以上にシリアスだったり叙情的だったり悲劇的なものを求める人では全然ないので、まぁふんわりと「うん」と。 実際の俺の返答にしても、結局はどんな返答とも大差なく心地よく無意味で、彼女も俺も気にしないままにそれですべてよかったんだろう。 ただ、俺がいつまでもそれが終わって欲しくないぐらい、今日を楽しんだというだけで。 結局、えらそうに言ってるくせに、胸痛めてるのだ、俺は。 こんなに素晴らしい日々がいつか終わるということに、逆らいたいのだ。 満ちて張りつめた幸福は、いくらかの恐怖と痛みを含む。 今日のすべてが、楽しくて、好きで。 もうすぐ春になることすら、疎ましい。 家主がこたつで眠りに落ちて、彼女はトイレに立った。 テレビが鳴るなか、俺は静かに虚空を見つめていた。 女の部屋で女2人と鍋を囲み、1人は眠り、1人はトイレとは、なんだか貴重だなぁ。 とりとめもないながらそんなことを考えていたとき、家主が長く安定した屁をこいた。 あぁ、こういうところで俺は生きてるな、と納得した。
JUGEMテーマ:洋楽歌詞・和訳 論文の提出が一応終わって、現状の第一志望のグループ面接も終わった。 それがおととい、15日のこと。 窓が開け放たれたような気持ちを感じている。 それで昨日は意気揚々と図書館に自転車を走らせてみたりしていたら、昨日は説明会の予定があったことをすっかり忘れていた。 前日には頭にあったのに、綺麗さっぱり消えていた。 それなりに大切なものごとを、人はここまで視界から消せるものかとけっこう驚いた。 それで、開放的な気分の俺は、久しぶりに一冊の本をきっちり読んだ。 それが江國香織の『スイート・リトル・ライズ』という小説。 気合入れてシモーヌ・ヴェイユとか坂部恵とかも借りてきたのだけど、夕飯を食べてから寝るまでのあいだに読みたかったのがこれだった。 気合入れなくても読めて、でもちゃんと面白いだろうやつ。 この小説の主題は、(現代の)人間の二面性についてである。 と言ってしまえば、それはもちろん嘘だ。 ほとんど嘘だ。 もちろん二面性も主題として含まれていると言うことはできるが、それだけではない。 そもそも、主題が何だ、と明確に指摘できる小説などありはしないのだが。 ところが、Bruce Springsteenの「Two Faces」という歌を聴いたあとにこの小説を読めば、それでもやはりこの小説の主題は二面性なのだとして読むことができる。 それが、詩である。 それが、詩の言葉である。 詩の言葉というのは、それ自体の中にたいそうな意味など含まない。 「俺の持つ二つの顔」と言われれば、あぁそうね、そういうことはあるかもね、と思うだけのことだ。 ところが、いざその言葉を置いて、自らの生活を見てみると、あらゆるところにその言葉が現れる。 もはやこの生活はこれまでもずっとその言葉を中心に成り立ってきたし、これからもそうして成り立っていくだろうとしか思えない。 目にするあらゆるものごとの主題は、まさにそれだと感じるようになる。 小説というものは、どんな詩の言葉をおいても、そのように読めてしまうものである。 『スイート・リトル・ライズ』を読んでいて、驚いてしまったのは、二人の主人公のことを俺がとてもよく「わかる」ということだった。 かつての俺はここまで「わかり」ながら読んでいたのだろうか、と疑う。 たぶん、わかっていなかっただろう。 その変化が何を意味するのか、俺にはまだ掴めていない。 何かを失い、何かを得たような気がする。 それはとても寂しいことだとも感じるし、喜ばしいことだとも感じる。 ただ、どちらか一方の感情だけを採用することだけはすまい、と思う。 なぜなら、それを端的に一言で表現するならば「変化」で、「変化」それ自体は価値も意味も持たず、避けられない運命であるというだけなのだから。 それは寂しいことだと感じることもできるし、喜ばしいことだと感じることもできる。 寂しいことでも喜ばしいことでもない、というのも、また正しい。 変化それ自体は避けられない運命なのだが、その中で俺にできることもある。 もしかしたら、しなければいけないことも。 それは、変化をむかえるべき「今」のうちにできることをやっておく、ということ。 今の俺の感受性でものごとをながめることは、今の俺にしかできない。 2年前の俺にも、2年後の俺にもできないこと。 その中で、見つけられる言葉があるのなら、見つけられるストーリーがあるのなら、それを見つけて形にしたい。 ただそれだけが、やがて変化していった先のどこかで穴に落ち込んだ俺を救うことができるだろうと思うから。 俺がこの世の中で生きていく道具それ自体、あるいは道具の材料になるのは、それだと思うから。 そのときに、恐れてはいけないのは、「ストレート」にそれを表現すること。 あまりにも直截すぎる表現は、見つけた人を一瞬、脅かしてひるませる。 たとえば、「Two faces have I」という表現。 自分の中にも理解できない領域があること、自分の知っている理屈では理解できないふるまいを自分がしてしまうことがあること、それを「俺の持つ二つの顔」という言葉で表現する。 あまりにも「わかりやす」くて、あまりにも直截な表現だ。 一瞬、それは凡庸でつまらない表現にも見える。 ところが、俺はしばしば忘れがちだし、忘れがちなのは俺だけじゃないとも思うのだが、その表現を見るのは自分ではないのだ。 その言葉を読むのは、変化した先の自分であるかもしれないし、他人かもしれない。 それらの人びとが、一瞬で理解できるのは最も直截な表現なのだ。 読み手も、一瞬それは凡庸でつまらない表現だと感じるかもしれない。 しかし、その感覚は、あまりにもよく「わかる」、または、あまりにもそれが「近い」からこそ生まれる感覚である。 それに成功したとき、それは詩の言葉にもなりうるだろう。 それこそが詩の言葉だ、とは言わないが。 今の俺が何かを見つけたならば、そのような表現で形にしておきたいと思う。 形にすることで、初めて自分でもそれを見ることができるのだから。 一方で、実際に凡庸でつまらない表現というものも、まぁ現実にはある。 それはどのようなときに生まれるのだろうか。 言葉というのは、根源的には他人のものである。 自分の見つけたものごとを表すのに、その他人から受け取ったものを使うからこそ、自分にも他人にも「わかる」ものになる。 自分が見つけたものごとと他人から受け取った言葉が直截に重なるとき、その表現は上手くいっていると言えるだろう。 上手くいっているものだけで何かを作りたい、と願うのが芸術家である。 凡庸でつまらない表現というのは、端的にこれが上手くいっていない表現のことだ。 言葉が単なる借り物としてしか響かないからつまらない。 特に言いたいことが無いのか、あるけれど言い方に失敗しているのか。 さてさて、あらゆる意味で未熟な俺は、使える言葉をもっと増やせるように、勉強でもしようかね。 何かを見つけるように目をこらす手段。 見つけたものを表現するための材料を獲得する手段。 それはどちらも勉強と呼ばれるものだろうと思う。 「Two Faces Have I」というポップソングがあったことを、今回初めて知った。 Bruce Springsteenは、ポップソングマニアだった。 Two Faces Bruce Springsteen I met a girl and we ran away 女の子と出会って 俺たちは一緒に逃げ出した I swore I'd make her happy every day 俺は彼女を毎日幸せにすると誓った And how I made her cry そして どんなふうに彼女を泣かせたことか Two faces have I 俺の持つ二つの顔 Sometimes mister I feel sunny and wild 俺はときどき 明るくて怖いもの無しな気持ちになるんだ Lord I love to see my baby smile 主よ 俺は彼女が微笑むのを見るのが大好きなんだ Then dark clouds come rolling by やがて 暗い雲が近づいてくる Two faces have I 俺の持つ二つの顔 One that laughs one that cries 片方は笑い 片方は泣く One says hello one says goodbye 片方は挨拶をする 片方はさよならをつげる One does things I don't understand 片方は俺の理解できないことをする Makes me feel like half a man 人間が半分になったかのような気持ちにさせる At night I get down on my knees and pray 夜には 俺はひざまずいて祈る Our love will make that other man go away 俺たちの愛が もう一人の男を追い払ってくれるようにと But hell never say goodbye でも 地獄はけっしてさよならをつげない Two faces have I 俺の持つ二つの顔 Last night as I kissed you neath the willow tree 昨晩 柳の木の下で俺がお前にキスしていると He swore he'd take your love away from me ヤツはお前の愛を俺から奪い去ると宣言した He said our life was just a lie 俺たちの生活はただの嘘だと言った And two faces have i 俺の持つ二つの顔 Well go ahead and let him try さて ヤツのやりたいようにやらせてみろよ
JUGEMテーマ:洋楽歌詞・和訳
JUGEMテーマ:洋楽歌詞・和訳
JUGEMテーマ:洋楽歌詞・和訳 俺はかつて自分をそこそこ器用な男だと思っていたけれど、今では不器用な男だと思っている。 間違わないように裏切らないように、些細なことに注意を払いながら小さく生きている。 願うことは、やりがいのある仕事を見つけて友と談笑し妻と抱き合いながら眠ること。 そういう生活がいつまでもつづけばいい。 どこかで、「あがり」にたどり着いてしまうことを欲しているのかもしれない。 (たぶん)おとといの朝日新聞に、イスラエルでの公演をひかえている演出家の蜷川幸雄のインタビューが載っていた。 その中に、こういう気の抜けない現場にいつも身をおいていたい、というような趣旨の一言があった。 なぜ?と思う。 気を抜いて和やかに、庭の景色など愛でればいいではないか。 俺が今までに具体的な形に残してきたものの中で、唯一気に入っているものは、約一年前に書いた詩のいくつかである。 そのうちの二つはこのブログに載せたものだ。 それらの詩にたどり着くまでに、俺はずいぶん苦しんだと思っている。 自分を救うために必死だった。 追い詰められる中で、言葉への感性を鋭くしていた。 今の俺は、もうそれを失ったと感じている。 あの体験は楽しかった。 ノートに一時間も向き合って、たった5行程度の一節ができる。 それは、もうそれ以外にありえないという言葉たちだった。 別に誰に見せるわけでも褒めてもらいたいわけでもない。 ただ、それ以外の何ものでもない時間がそこにあったような気がする。 人間の「幸せ」というものがわからない。 そんな言葉で何かを名指すことの意味がどれぐらいあるだろうか。 仕事に充実感を得て友と談笑し妻と抱き合う。 追い詰められて逃げ場もなくしながら必死で何かを探す。 他にもいくつも考えられる人間の喜びのあり方を、「幸せ」という状態の名前で呼ぶことは、どれぐらい的を射ているだろうか。 状態を名指す言葉の扱いは常に難しい。 状態の中に、具体的な細かい現象が満ちているから。 ただ、確かなことは、着実な生活(love)を望む俺の気持ちも、追い詰められて何かを見つけること(fear)を望む俺の気持ちも、どちらも確かに本当の気持ちだということだ。 そして、もちろん欲望とは俺一人のものではない。 どちらも、欲しがっている人をよく見かけるから、俺もつられて欲しがっているだけのような気もする。 人生を導くのは欲望だ。 この世でできることは多くないから、何かを望むならばそれに集中するしかない。 それ以外の望みをあきらめざるをえないこともあるだろう。 だから、俺は慎重に自分の道を見据えたいと思う。 このあたり、俺もcautious manだ。 一方で、望みがすべて叶うことなどありえない以上、常に満たされない気持ちも抱えるだろう。 欲望は満たされることはない。 人生を導くのは欲望だ。 欲望は満たされることがない。 人生は満たされることがない。 「人生」など捨てちまえ、とも、思う。 Cautious Man Bruce Springsteen Bill Horton was a cautious man of the road ビリーは道路で働く慎重な男だった He walked lookin' over his shoulder 肩越しに振り返りながら歩き And remained faithful to its code ルールへの誠実さを残していた When something caught his eye he'd measure his need 何かが彼の目を捉えると 彼は自分がそれをどれぐらい必要としているのかを計った And then very carefully he'd proceed それからとても注意深くそれに手を出した Billy met a young girl in the early days of May 5月の初めに ビリーは若い女の子と出会った It was there in her arms he let his cautiousness slip away 彼が慎重さを手放すことができたのは 彼女の腕の中でのことだった In their lovers twilight as the evening sky grew dim 恋人たちの夕暮れのなか 空が薄暗くなっていくとき He'd lay back in her arms and laugh at what had happened to him 彼は彼女の腕の中でくつろぎ 自分におこった出来事を笑った On his right hand Billy'd tattooed the word love and on his left hand was the word fear 彼は右手にloveの文字のタトゥーを入れた 左手にはfearの文字だった And in which hand he held his fate was never clear そして どちらの手に運命を握っているのかはわからなかった Come Indian summer he took his young lover for his bride 穏やかな夏の日が来て 彼は若い花嫁を迎えた And with his own hands built her a great house down by the riverside そして川べりのところに 彼自らの手で彼女に素晴らしい家を建てた Now Billy was an honest man 彼は正直な男だったし He wanted to do what was right 正しいことをしたいと望んでいた He worked hard to fill their lives with happy days and loving night 生活を幸せな昼と愛する夜で満たすために 彼はがんばって働いた Alone on his knees in the darkness for steadiness he'd pray 一人で暗闇の中にひざまずき 安定した着実な生活を祈った For he knew in a restless heart the seed of betrayal lay 落ち着かない心の中に 裏切りの種があることを知っていたから One night Billy awoke from a terrible dream callin' his wife's name ある夜 ビリーはひどい夢から覚めた 彼の妻の名を叫びながら She lay breathing beside him in a peaceful sleep, a thousand miles away 彼女は彼の脇に横たわり穏やかな寝息をたてていた 何千マイルも彼方で He got dressed in the moonlight and down to the highway he strode 彼は月明かりの中で服を着て ハイウェイへと大またで突き進んだ When he got there he didn't find nothing but road そこへたどり着くと 彼は道路以外に何も見いださなかった Billy felt a coldness rise up inside him that he couldn't name 名付けられない冷たさが彼の内からせり上がってくるのを感じた Just as the words tattooed 'cross his knuckles he knew would always remain ちょうど両拳のタトゥーのように それがいつまでも消えないだろうことを彼は知っていた At their bedside he brushed the hair from his wife's face ベッドサイドで彼は妻の顔にかかった髪をなでた As the moon shone on her skin so white 月が彼女の肌をとても白く照らして Filling their room in the beauty of God's fallen light 神から落ちた光の美しさで部屋を満たしていた 一応、いらん注釈をつけておく。 「ハイウェイ」とは、かつてのBruce Springsteenの歌の主人公たちにとっては、希望と逃走の舞台だった。(「Thunder Road」や「Born to Run」) 彼がハイウェイの虚しさをも描き始めるのは、「Racing in the Street」の主人公たちを見つけたころからだ。
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