This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:音楽 SHIBUYA-AXでMy Morning Jacketのライヴを見た。 名古屋公演が中止になったので不安に思っていたけども、ヴォーカルの調子も問題ないようで安心した。 全体の感想をざっくり言ってしまえば、「きっとすごいだろうと思っていたけど、思っていたよりも、すごかった」。 ただ、それゆえの限界も感じたのだけど。 予定よりも10分ほど遅れてバンドはステージに登場したとき、フロントマンはサンプラー(っていうの?あれ)を首から提げて、なにやらSFじみた格好がキマっていた。 そのいでたちに象徴されるように、音を電気で増幅して歪ませて効果をかけて重ねまくるっていう手法が、まずはこのバンドの主な武器。 プロレスラーみたいなドラマーがたたき出すド迫力ドラムに乗っかって、ギュインギュインに攻めてくるわけです。 もう爆音、爆音。 とにかくでかい音を鳴らしたいっていうのはバンドを始める一つの初期衝動なんだろうと思うけど、このバンドはいろんなところに、そういう「初期」への忠実さを感じさせる。 あれだけのジャムバンドっぽさを持っていながらも、ヴァースとコーラスの構成や、3分から5分の尺という、ポップソングの形式をほとんど壊さないところとか。 ライヴで"Move on Up"とかを普通にカヴァーしちゃうところとか。(今回も日本人ホーン部隊がいたから、やるかと思った) 今やバンドとしては完全にそれを会得していて、数多のアマチュアバンドたちが近づけない境地に達していると思う。 だからこそ、限界を感じる。 もはや極めた、と。 バンドを始めるような若いときに抱く理想や衝動って、歳を重ねればどうしても幼稚に感じられる。 あれだけの知性とセンスをもった人たちだから、それを推敲しながらこれだけのバンドをつくってこれたけど、あれだけの知性とセンスをもった人たちだから、遠からずそれには飽きるんじゃないか。 「このバンドの主な“武器”」という言葉を上で使ったけれど、歌詞の世界に比べて、音はあまりにも攻撃的だ。 爆音のハードロックの精神性は、攻撃性や支配欲にもとづいている部分があると思う。 攻撃性や支配欲を、他者とのコミュニケーションの俎上にのせるには、それなりの様式を伴う必要がある。 このバンドが彼らなりの音の様式を持っているかといえば、そうは思えないのだ。 わりとシンプルに歌を聞かせるようなときであっても。 すごかったけど、何か新しくて素晴らしいものに出会ったという感覚はなかった。 このバンドはライヴ音源に対してかなり寛容な考え方を持っていて、録音も公開もほとんど制限しない。 実際、ナマで見る彼らは、ライヴ音源で聞くよりも格段に迫力があった。 ネット経由の情報には絶対に負けないライヴを常にしているに違いない。 ただ、ロックバンドの定型としては図抜けた実力者ではあるけども、かなり極めてしまった感がぬぐえない。 俺にとって今回のライヴは期待していたよりもずっとすごかったけど、ロックにもう一度目覚めるということはなかった。 むしろロックの攻撃性になんの魅力も感じなかったことで、かつての自分との距離を知った気がした。
JUGEMテーマ:音楽 発売日の夜に、『Wrecking Ball』を数回聞いた上での感触をざっと書いた。 それからおそらく10周ぐらい聞いたけれど、これが素晴らしいアルバムであるという意見は変わっていない。 いくつか書いておきたいことが出てきたので、ここに書く。 まず、表題作の"Wrecking Ball"について。 俺はこの曲がニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムについて歌ったものだと知らなかった。 この曲は、ジャイアンツ・スタジアムが取り壊される前の最後のツアーにおいて、その場所でのライヴで演奏されるために書かれた曲であるらしい。 俺がこの曲を初めて聞いたのは『London Calling - Live in Hyde Park』でのことだった。 そこで「ジャイアンツがゲームをした」というラインに寄せられる大歓声が何を意味するのか、俺は理解していなかった。 そのことを理解したうえで、俺のこの曲に対する解釈はあまり変わらない。 というのも、この曲が具体的なものごとを歌ったものであることはもともと明らかであったし、素晴らしい詩の特性である、具体と普遍のイメージの自在な飛躍というものがそこにはあるからだ。 「俺は鉄のところから育った。ここ、ジャージーのみすぼらしいところで」という言葉からこの曲は始まる。 そこが鉄工で栄えた時代と、やがて廃れていくさまが、ジャイアンツ・スタジアムのかつての栄光と取り壊しに重ね合わされている。 若さや美しさが塵と化し、勝利や栄光が駐車場に変わったとしても、せめてそれを自分たちの手でぶっ壊してやろうぜ。 厳しいときは行ったり来たりするものだから、今回の苦境では腹を決めて盛大な一撃をお見舞いしてやろうぜ。 曲の流れとしてはこんな感じで、この曲単独で語られていることはだいたいこんな感じのものだと思う。 これをアルバムの流れの中に置いてみると、もう少し違った角度で見ることができる。 俺の聞いたところ、アルバムの主要なテーマは少なくとも2つあり、1つは「不況」や「経済」のこと、もう1つは「約束」のことである。 鉄工や炭鉱を始めとした重工業を基礎に出来上がった町が、世界のあらゆるところで20年程度のあいだに壊滅的に廃れていった。 それが引き起こしたこととは、その町におけるコミュニティの壊滅である。 20世紀後半の数十年のあいだ、製鉄所や炭鉱を持つことによってそれらの町は栄え、組合が整備されて、戦後の平和と経済成長にもとづいた黄金期を謳歌した。 Now when all this steel and these stories, they drift away to rust いまや全ての鉄と物語は 錆びついてしまった And all our youth and beauty, it's been given to the dust 俺たちのすべての若さと美しさは 塵と化した When the game has been decided and we're burning down the clock ゲームは決着がつき 俺たちは時計を燃やし尽くしている And all our little victories and glories have turned into parking lots 俺たちのすべての小さな勝利や栄光は 駐車場に変わってしまった When your best hopes and desires are scattered through the wind お前の最高の希望と欲望は 風のなかに散らばっている いまや仕事はなく、この町が新しくできることは見当たらない。 組合が廃れた今では、人々のつながりを保つ唯一のものとは記憶に結びつく記念碑だが、それらの建築物も駐車場へと変えられている。 いったいなぜ、この町はここまで廃れてしまったのか。 労働者たちがしっかり働かなかったのか。 経営者が重大な失敗を犯したのか。 不景気が長くつづいているのか。 そうではない。 経済が変わってしまったのだ。 もう後戻りはありえないほど、何かが決定的に違ってしまったのだ。 それは誰かが望んだ結果なのだろうか。 部分的にはそうである。 資本の流動化によって、大金を手にした一群の人々はいる。 では、彼らがその流れをつくりだし、責任は彼らにあるのだろうか。 どうやら、そうではないようだ。 たまたま彼らの地位についていた人々の名前と顔と人格がそっくり他の誰かと入れ替わったとしても、おそらく同じことが起きただろう。 労働者たちが取替え可能な労働力としてみなされてきたように、いまや資本家や経営者や投資家たちもまた取替え可能なものとしてみなされるのだ。 このような視点に立つとき、主役は人間ではなく経済になってしまった。 では、経済を誰かが止められるのだろうか。 あるいは、経済を誰かがコントロールできるのだろうか。 こんな時代に、「俺たちが自分たちの世話をみる」というのは、どういうことなのだろうか。 その答えを出すのはひどく難しい時代であるようだ。 どうも現状のやり方を少し変えてみる、というぐらいでは、人々は経済に翻弄されるがままでいるしかないようだ。 一度、根本から考え直す必要がある。 そんなとき、お前ならどうする。 お前が何を手にして、お前に何ができるのか見せてみろよ。 お前の鉄球をもってこいよ。 最高の一撃をお見舞いしてやろうぜ。 "Wrecking Ball"はそういうことを言っているように、俺には思えるのだ。 アルバムのテーマのもう1つ、「約束」については、まだ上手く書ける気がしないのでまだ書かない。 ただ、アメリカの開拓と勤労の精神が、千年王国論の考えに基礎を置いている、という指摘がされている本を読んだことがある。 このアルバムを聞くと、そのことがよく理解できるような気がする、ということだけ書いておく。 最近、Bruce Springsteenの歌における女性の位置づけについて、ブロガーたちのあいだでちょっとした話題になっているようだ。 そのことについて、少しだけ書く。 まず、おそらく揺るがないだろう前提として、Bruce Springsteenは男である。 彼は男として世界を見ているし、そうであるしかない。 だから、彼の歌の主人公に女性が少ないことを不満に思うのは馬鹿げているだろう。 彼が一番関わりがあるのは彼の人生であり、彼が共に時間を過ごす友達も男のほうが多いだろうから。 まさか、そのことに文句を言いたい人はあるまい。 歌詞に登場する人たちのうちで、その数と重要性の男女比が等しくなければならない理由はない。 彼が女性を重要なものと見なしていないのではないか、という指摘については、たしかにそのとおりかもしれないと思える部分がある。 彼の歌には意外性のある女性が登場しない、というのはたしかにそのとおりだと思う。 もうちょっと辛らつに言うなら、人間として現実的に生き生きしている女性は少ないかもしれない。 しかし、これについても、同じ理由から仕方の無いことではないか、と俺には思える。 つまり、彼は女性について、男性と同じ程度によく知っているわけではないのだ。 よく知らないということは、無視しているということではない。 彼の歌詞世界において女性が最も重要なものの一つであることは疑いようもないし、彼はそのことについて必死に考えをめぐらしているように思える。 それでも、彼がきちんとそれについて歌えるほどに理解できる女性の側面は、男性についてよりは多くないのだろう。 そのことは、男性の人物も女性の人物も特に登場せず、普遍的なものごとについて歌っているような歌についても同じくついてまわる欠点になりうる、ということは確かにありえる。 しかし、それ以外に彼には何ができるというのだ。 彼は彼の歌えることについて精一杯歌っている。 そして、この世界には女性もいることを彼が忘れているかといえば、そんなことはとてもありえないことのように俺には思えるのである。 もっと多くの女性の側面についての歌を聞きたい人がいるならば、彼よりもそれについて詳しい人が歌っているのを探すのがいいかもしれない。
JUGEMテーマ:洋楽歌詞・和訳
JUGEMテーマ:日記・一般 また、言えなかった。 素直な気持ちを言えなかった。 言いたかったのに、言えなかった。 今日はなんだかいつもと違うね。 ドキドキしてきたよ。 すごくかわいくて魅力的だ。 どうしてそんな笑顔ができるの。 もっといろんなことを知りたい。 もっとドキドキできる気がするよ。 いろんな君を見たい。 見るだけじゃ足りないかも。 つよく抱きよせて全身で君を感じたい。 匂い、感触、息づかい。 俺の言葉を聞いてほしい。 君はなんて言うんだろう。 俺のいたずらに君が笑う。 必死だからきっと何も覚えてないよ。 ワイルドに歩こう。 俺たちは誰にも見劣りしない。 魔法をためしてみたいんだ。 失敗したら捨ててしまおう。 今日だけは帰らないで。 生まれ変わるような気持ち。 春が、来るみたいだ。 いつまで、この苦悩と痛みと逡巡を楽しんでいるのだろう。 そろそろ、それはできるようになって、その次に起きることで悩みたい。 口に出せないことを悩むのではなくて、口に出したあとの俺と君とのすれ違いに悩みたい。 ボブ・ディランの歌の、ロマンティックなカヴァー。
JUGEMテーマ:音楽 正式には明日発売の、今日から店頭に並んでいるBruce Springsteenの新作『Wrecking Ball』。 俺もさっそく、バイトの休憩時間に立川のHMVで買ってきた。 今やっているバイトは休憩時間が何度も何度も回ってくるのだが、そのたびに持ち込んだCDプレーヤーで音楽に耳をすませていた。 帰ってきてからも聞いて、ちょうど2周ぐらい聞いたと思う。 そんな、今の時点での感想。 1stシングルであり、リード曲でもある"We Take Care of Our Own"。 全体をとおして聞いたときに、この曲の力はあまり強いとは思えない。 歌の構成もシンプルだし、アルバム全体で彼のアレンジの新しいスタイルを作り上げた中では、アレンジも特筆すべきところがない。 だからといって、たとえば"Radio Nowhere"にあったような、ドライヴとパワーがあるわけでもない。 日本盤に多く寄せられている“解説”のどこかで指摘されていたように、この曲はアルバム全体の「下敷き」として位置づけるのがいいのかもしれない。 アルバムを聞いていく中で浮かんでくる数々の物語と共に、「We Take Care of Our Own」という一節を置いてみると、その一説の意味がどれほど多様であるかということを思い知らされているのだ。 そして、その多様さこそが、現在の我々を惑わせる多様さの、一つの象徴的な姿なのだということも。 だからこそ、日本盤の和訳に注文をつけたいのだが、この歌詞の内容を勝手にアメリカの文脈に位置づけてはいけなかった。 「this flag」は「星条旗」ではなく「この旗」と訳すべきだったし、「the promise」を「アメリカの夢の約束」と勝手に解釈するのもいただけない。 ブルースがたとえアメリカの現状を見ながらこの歌詞を書いたとしても、それが詩となれば文脈から自由になることができるのだ。 それを文脈のなかにつなぎとめ直すということは、政治的態度表明のようなものに詩をつくり変えてしまうことだ。 一般的な感覚で見れば、1stシングルとしてもっともふさわしいのはおそらく表題曲の"Wrecking Ball"だろう。 歌詞も構成もアレンジも、少し長いということを抜きにすれば、ラジオに乗ってリスナーを引きつけ、アルバムを紹介するのにピッタリのように思える。 「bring on your wreckin ball」という挑発的な連呼は、聞き手の血をめぐらせて、いてもたってもいられないほどにパワフルな気分にさせる。 これこそ「ロックンロール」がもっとも得意としてきたことではなかったか。 「パンク」以前に「ロックンロール」を純粋に鳴らすことができた世代も、もはや残っているのはわずかだ。 そのうちの一人であるブルースが、明らかに新しくありながら純粋にロックンロールである、という神業を見せつけている。 1stシングルはこの曲だろう、というのが一般的な感覚だろうと思う。 しかし、現実には"We Take Care of Our Own"がその役目を担った。 その意味は、もう少しアルバムを理解してから考えたい。 ところで、"Shackled and Drawn"や"Death To My Hometown"がさかんに若者に呼びかけていたことを思えば(というかまぁ、思うまでもなく)、"Wrecking Ball"の挑発的な連呼の対象には若者が含まれる。 かつて"Badlands"で「I wanna go out tonight, I wanna find out what I got(今夜出かけて、俺が何を手にしているのかを発見したい)」と歌ったブルースは、いまや「let me see what you got(お前が何を手にしているのか見せてみろよ)」と呼びかけるのだ。 ブルースは犯罪者ではない。 権力者にとって、犯罪者よりもはるかに怖いものがある。 ブルースは犯罪者ではなく、反逆者である。 ブルースは王様のドアを叩いて城を乗っ取ろうとしているのではない。 巨大な鉄球で城を木っ端微塵にしようとしているのだ。 ハンマーやシャベルや、ましてや素手で城が砕けるわけがない。 城を砕くには、鉄球が必要なのだ。 「お前の鉄球をもってこい」と、ブルースは言っているのである。 反逆者の心意気を見せろと言っているのでなければ、反逆する理由を教えろと言っているのでもない。 「お前には何ができるのだ?」と聞いているのだ。 では、かつて自分には何ができるのかわからなかった彼が、今では「お前に何ができる?」と聞いているとすれば、ブルース自身はすでに自分に何ができるのかを見いだしたのであろうか。 それはアルバムのいたるところで明らかにされている。 ブルースにできることとは、「歌う」ことなのである。 「歌う」ことが反逆の鉄球になりうるなんて信じられない、という人がいるだろうか。 そういう人は、こういうことを思えばいい。 このアルバムを聞いて、とてつもなくパワフルな気持ちになって、自分の鉄球を見つけるために踏み出した若者が世界中にいることを。 すでに手に入れた鉄球を振り下ろすかどうか迷っていた世界中の男たちが、このアルバムを聞いて決心を固めたことを。 そして、そんな危険なアルバムが『Wrecking Ball』と名づけられていることを。 このアルバムがどんなに今の世相を反映しているか、ということがさかんに指摘されている。 もちろん、このアルバムは世相を反映している。 世相を反映しない芸術などありえない。 "Death To My Hometown"や"This Depression"を聞けば、このリーマンショック後のユーロ危機の時代について歌ったものだと感じるのは当然だし、実際のところそのとおりだろう。 しかし、注目すべきなのはその側面だけではない。 ブルースが見ている、その先の景色にも目を向けよう。 "This Depression"のコーラス部分の歌詞は、驚くべきものだ。 This is my confession I need your heart In this depression I need your heart 構成はこの上なくシンプルだが、驚くべきなのはそのモチーフだ。 常識的な感覚から言って、経済用語は詩のモチーフには適しない。 「これは俺の告白だ。お前の愛が必要だ。」 これだけでは詩でない。 この一連を詩にするのは、そこに置かれるモチーフだ。 たとえば、月並みだが、こんな表現。 「これは俺の告白だ。お前の愛が必要だ。こんな雨の夜には。」 ここにおいては、語り手が見つめたり聞いてたりしている夜の雨に、語り手の心情が重ねあわされて、それで詩になるのである。 あるいは、「嵐の中では」でもいいし、「晴れた日には」でもいいし、「一人ぼっちの渡り鳥のように」でもいい。 ところが、ここにブルースが持ってきたのが「こんな不況では」なのである。 このことが何を意味するかというと、「不況」がもはや人間に属すものではなくなった、ということだ。 「嵐」や「不作」のように、ある神秘と共にやって来るもの。 そう捉えるとき、「不況」は詩のモチーフになりうるのであり、ブルースにとって現実はもはやその程度まで達しているのである。 となれば、もはやこのアルバムは単に現在の世相を反映しているだけではない。 ブルースは、「この」不況や「この」経済について歌っているだけではなく、くり返される「不況」や「経済」について歌ってもいるのだ。 「it's all happen before and it'll happen agein(それはこれまでに何度もおこった出来事だし、またおきるだろう "Jack Of All Trades") 「they'll be returning sure as the rising sun(日が昇るのと同じぐらい確実に、やつらはまた戻ってくる "Death To My Hometown")」。 「hard times come and hard times go and hard times come and hard times go(厳しいときは訪れて、去り、訪れて、去り "Wrecking Ball")」。 そして、"Easy Money"の主人公たちも、いつの時代のどんなときにもいたであろう主人公たちである。 だからこそ、若者たちは歌を歌い、鉄球を見つけなければならない。 「不況」や「経済」に抗うために。 繰り返しおとずれる「嵐」や「不作」に抗うことを人間は考えてきたのであり、不可避と思えるほどに常態化した「戦争」や「搾取」や「差別」にも抗ってきたのである。 ブルースは、銀行家をぶっ殺して銀行を閉鎖しろ、と言っているのではない。 「故郷のまちに死を運ぶもの」に抗おう、と言っているのだ。 お好みであれば、「地震」や「原発」に抗おう、と言ってもよい。 そして、"We Are Alive"で歌われる死者たちは、その意味において我々と共に生きているのである。 貧しい生活や自然の厳しさや人間の不和に抗い、今の生活をつくってきた数々の人たちがいる。 一方で、この歌の一節に出てくる犠牲者たちのように、その闇の部分に飲まれていった人たちがいる。 日本の高度成長には公害や抑圧が隠されているように、今の我々の生活をつくったのは学者や政治家たちだけではなく、"Easy Money"の主人公たちや"We Are Alive"の犠牲者たちなのである。 あらゆる挙動が次なる挙動への影響が不可避なのだとしたら、存在するものすべてが未来をかたちづくっている。 ブルースが歌うときにはエルヴィスが共にいるように、誰かが何かをやるときには必ず死者が集まってくる。 では、「歌う」こと、「鉄球をくだすこと」“だけ”が人間のやることなのだろうか。 もちろんそんなことはない。 もしもそうだとしたら、いつも「お前には何ができるのだ?」と迫られ、役にたつことや意味のあることばかりを求められることになってしまう。 ブルースの歌が、そんなものであるわけがない。 もっと、個人的なことがある。 「歌う」ことや「鉄球をくだすこと」が求められるのは、あくまでも他人と他人の関係の世界のことである。 他人との関係の世界で何かを実現するには、はっきりと形に現す必要がある。 「歌」はその一つの表現であり、「鉄球」は一つの方法である。 しかし、そもそもなぜ歌おうとしたのか、なぜ鉄球を求めたのか。 このアルバムのもっとも扇動的な数曲において、ブルースは自分にできることは「歌う」ことだと割り切っているし、それをまだ見つけていない者たちを鼓舞する。 しかし、"Jack Of All Trades"においては「歌う」こと以外であろうと何にでも手を出せると受けあってみせ、"You've Got It"では名づけることのできない魅力が人間にはあることを教えてくれる。 この2曲がラヴソングの形をとっていることは、偶然ではないだろう。 抗ってみせること以外の人間のやること、それは誰かと個人的に結びつきあうことなのである。 この結びつきを見つけられなかった者が、本当の怒りを抱くことなどないだろう。 抗うことは、別に目的というわけではない。 単に、やるべきこと、やらざるをえないことだ。 それがどんな意味をもつのか、何になるのか、答えられる人はいないだろう。 12時間のバイトを終えて、3時間書き続けたら、さすがにだいぶキツくなってきた。 そろそろ荒っぽくまとめるとする。 答えられない問いに答えようとするのは、哲学の一つの仕事である。 ブルースは、哲学を歌うときには、キリスト教の言葉を使うことが多い。 彼にはキリストがいる。 この世をさまよう人間たちは、しょせんどれも「lost souls」である。 そして「It's only our bodies that betray us in the end」なのだとしたら、人間はやるべきことをやるしかないし、それは報われる。 ブルースが怒っているとすれば、それは、やるべきことをやっていない人間がいる、と彼が感じているからだろう。 それで彼は歌うのだ、「手に入れたものを見せてみろ」と。 しかもそれは「ハンパなものじゃない、鉄球じゃなくちゃダメだぜ」と。 それがどれだけ大変なことか、やるべきことをやらなくては鉄球を手に入れられないと知っているから。 この記事に書いたこと、書こうとしたことのすべては、ブルースがビッグマンに宛てて書いた文章に書かれている。 それは本物の詩人だけが書ける文章だ。 この文章一つだけで、すべて足りる。
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