This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:日記・一般 越後湯沢から関越トンネルを抜ける。 雪国から抜け出して、やっとこさ家にたどり着くと、そこは銀世界だった。 東京では珍しい大雪の日、5年ぶりのスキー場から帰ってきた。 スノーボードは2回目。 どこへ出しても恥ずかしくない、正真正銘の初心者である。 友情のために動員されることにした。 八百屋をやっている俺の友人の彼女がスノボ大好きで、一緒に行きたいとねだられているのだが、友人はスノボが苦手。 そこで、初心者である俺を誘って、足手まといを増やそうというのだ。 メンバーは5人。 八百屋の彼は初心者をちょっぴり超えて、おまけすれば中級認定ぐらいの腕前。 彼の彼女は一年に何度も通う常連。 体育会系の友人は、もはやインストラクター級のベテラン。 八百屋の彼のいとこの友人(?)は、こないだも北海道で滑ってきたという常連。 そして、俺はスキーを2回、スノボを1回体験したことがあるだけ。 まぁこういうのは付き合いですからね、やりたくないことにも手を出さなけりゃいけない日はあるものです。 接待ゴルフと同じようなものだと思ってよろしい。 その内実はどのようなものであったか。 転んだ回数は100回は下らないと思う。 転ぶだけなら、苦痛は知れたものだ。 ひろーーいゲレンデの中でも五指に入るだろう未熟さの俺なのに、初心者エリアにじっとしていないものだから、とにかく周りに気をつかう。 信じられないスピードで滑降してくる暴走族みたいな連中に怯え、せっかく上手くなりかけてる見知らぬ中級者の順調な滑走に衝突して台無しにし、なかなか来ない俺を待ってくれている友人たちに気をつかう。 「放っておいてくれたら一人で勝手に練習してるから別のところで勝手に楽しめばいいのに」 スポーツの練習は基本的に一人でするものだと思い込んでる俺は、友人たちにそう言いたくなる。 しかし「せっかく一緒に来てるのだから」と言いくるめられることは目に見えてるので、言わない。 俺を待ってることが彼らにとっては別に嫌なことではないということはわかるが、俺のほうが気をつかうから嫌なのだ、とは言えない。 そんなに人間嫌いだと思わせて、友人たちをがっかりさせるわけにはいかない。 それぐらいに人間嫌いなのではないか、と自分でも思いそうになる。 体育会系の友人が時間配分などを考えてくれていたらしいのにもかかわらず、八百屋の友人が腹が減ったというので、13時に昼食を取りに食堂に行く。 狭苦しくて脂ぎった小屋に詰め込まれた人間たち。 すべてのテーブルが埋まっているように見える中からどうにか席を探し、その間にもう一方では並んで食券を買う。 スノボをしに来るような連中って、汚い。 パチンコ屋や品の悪いクラブにいそうな、元から汚い連中がまず多い。 退屈を持て余している連中だ。 そういうのは、数が多くて声がでかいと相場が決まっている。 さらに、普段はもう少し身を整えているのだろうと思える人たちも、半日滑れば疲労と雪に濡れて、すっかり汚れる。 4人掛けの席に5人で座り、寒さと疲労に震え、さんざん待たされたあげくの高くて少なくて不味いカレーを食いながら、俺はいったい何をしているのだろうと思う。 接待ゴルフならばまだ仕事の一環だが、今日はわざわざ金を費やしてこんなことをやっている。 次に俺がスノボをやるときには、プライベートゲレンデにしようと思う。 湯沢にマンション別荘を持つなんていう小粒なことは絶対にやらない。 やるならプライベートゲレンデだ。 そう誓って、こんな小屋でカレーを食わされるようなことを楽しみだと思っている小市民たちを軽蔑して、精神のバランスを保つ。 昼飯を終えて、1時間ぶりぐらいにゲレンデに出ると、午前につかんだコツをすっかり忘れていた。 つま先側に体重をかけてエッジを立てて、進行方向に対して右に曲がっていくコツ。 できないと思っていればかかと側のエッジだけで安全運転するのだが、できると思っていただけにつま先側のエッジを当たり前に使おうとしていた。 あらら?できない?と思っているあいだに、コース横の崖に落ちた。 コースより1メートルほど低いところで、ふかふかの雪にはまりこんで動けなくなった。 落ち着いてボードを外して、ひとまずボードを投げ上げたが、雪がやわらかすぎて自分が這い上がれない。 俺が落ちるところをたまたま見ていた八百屋の友人の彼女に上から手を差しのべてもらって、やっと戻れた。 危うい。 彼女が見ていなかったら、見知らぬ人に声をかけなきゃいけないところだった。 まるで人のいないゲレンデだったら、どうなっていたことか。 今回はまだ浅い崖だからよかったものの、深くて急斜面の崖に落ちていたらどうなっていたことか。 ゲレンデにいると、命への脅威を身近に感じる。 元来が、よそからふらりとやってきた人間の生きていける環境ではない。 施設と、スタッフと、スキーウェアで、やっと俺の命の火を燃やしつづける環境を切り取って、そこで呼吸して熱を維持しているだけだ。 リフトに乗って、足下の崖を見ながら、ここで落ちたら足を折るだけですむだろうかと思う。 山深いところでリフトから降りて、ここで停電したら俺は人里までたどり着けるだろうかと思う。 上に載せた図を見ればわかるが、ゲレンデの奥のほうからは、山を越えなければ帰って来られないのだ。 茫漠とした孤独。 だからこそ、この広いゲレンデを一人きりで滑ってみたいとも思う。 ただ滑っているだけでも、このスピードで打ち所が悪ければ首の骨も折れるだろうかと思う。 自分の命、存在を強く意識する瞬間。 忘れる瞬間。 体育会系の友人が運転するクルマは、高速道路を120キロで走る。 追越車線から走行車線に移り、追越車線のクルマを追い越してからまた追越車線へ。 この追い越しぎわに、助手席に座る俺がこのハンドルを右方向へグワッと回したら、俺の人生はそれでお終いか、あるいは大惨事で大きく方向転換するか。 いずれにせよ、人生に大変動が起こるのは確実。 このクルマに同乗の友人たちにも、幅寄せされて路肩に激突するだろう追越車線のクルマの搭乗者たちにも、さらに後ろの玉突きに巻き込まれる人たちにも。 俺がそれをやらないという脆弱な信頼の上に、高速道路は成り立っている。 時速100キロというとてつもないエネルギーを、施設と、運転技術と、信頼で、どうにか安全に支障ない範囲に抑え込む。 この均衡の、一点が狂えば境遇は一変する。 この安全の守られる範囲が正気で、その外はすべて狂気だ。 俺は、「ハンドルを右方向へグワッと」などという狂気について考えないよう、正気な自分に意識を集中する。 それが俺だ。 自分を知って、小さく、既知の範囲で、とにかく安全にまとまっていようとするのが俺だ。 ゲレンデで、人の邪魔をして邪険にされながら、簡単には立ち上がれないほどに全身の筋肉は疲れて、帰るべき駐車場ははるかかなたで、3時を過ぎてからなぜかライオネル・リッチーだけをかけるようになったスピーカーの音楽に苛まれながら、吹っ切れてしまおうかと思う。 立ち上がり、斜面に対してボードをまっすぐかまえ、あの先に見える深い崖から一気に飛び出してしまおうかと思う。 しかし俺は、ため息ひとつ吐くだけで、よれよれと立ち上がり、また少しずつ慎重に刻んで下りていく。 下った先で友人たちに会ったらちょっと安心して、笑顔を見せる。 このままちょっとずつ頑張って、家に帰って、休んだら、俺にはまだ、今の俺のままでやりたいことがある。 ここで捨ててしまいたくない。 そういう自分で、よかったと思う。 だからきっと、明日からも、この世の中で通用する俺で生きていける。 それを嬉しいと思える、いいことだと思える自分でよかったと思う。 最後の斜面をノーミスで滑って、キラキラと輝く建物があたたかく迎えてくれたとき、来てよかったなと思う。 何度もアドバイスしてくれた体育会系の友人に感謝をささげ、好きになる。 さぁ、気持ちよく帰ろう。 そう思ったら、「ごめん、ここじゃなかった、まだ駐車場はまだ下のほうだった」と言われた。 レンタルの締め切りの17時を目前に、最後の坂はとてつもなく混み合う。 もはや、ノーミスがどうのとか言ってる場合じゃなくて、どうにか人に当たらないように下るのに必死。 終わりだと思って弛緩した筋肉にムチ打って、100回の転倒を支えつづけた首と腰と手首をさらに何回も何回も痛めつけて、まっすぐ立たない膝を叱咤して、這いつくばってる俺を邪魔だと軽蔑する人たちに追い抜かれて泣きそうになりながら、やっとこさ次の建物にたどり着いた。 さぁ、やっと帰れる。 ここでもう一度、「ごめん、ここじゃなかった、まだ駐車場はまだ下のほうだった」 絶望してやめてしまいたいけど、帰りたいから絶望したくもない俺が学んだこと。 「人を無理やり働かせて学ばせたいなら、まず最初からとてつもなく遠いところまで連れていって、ここから帰りたいならやるしかないと思わせる。投げ出しそうになってるなと思ったら、あの見えるところまで行けば終わりだと言って、最後の力をふりしぼって頑張る気持ちにさせる。そこまでたどりついたら、本当の終わりはあっちの見えるところだと言う。そこまでたどり着いたら、本当の終わりはあっちの見えるところだという。以下、信じなくなるギリギリのところまで繰り返す。」 3度目の「最後の斜面」を下りる途中で、つぶれるように転んだ俺は、うしろから来た小学生の低学年ぐらいの子供にまで邪険にされ、「あーあ、止まっちまったよ、クソッ」と舌打ちされた。 あのねぇ、どんなときでも自分が子供だと思って甘えてるんじゃないよ。 俺はゲレンデに立てば生後二日のクソ素人なんだぞ。 この場ではお前のほうが経験ある大人なんだから、幼い俺に対して余裕ある寛容な態度で臨みなさいよ。 それが強者の責任、大人の態度っていうものでしょうが。 自分より弱いものを罵って気分がいいのかね。 とは一方で思うものの、本物の弱者の立場が板についてしまった俺は、どうにか立つことに必死になりながら、軽蔑されることを当然として受け入れてもいた。 せめて、一緒にじりじり下っていた、八百屋の友人が笑ってくれたから、嬉しかった。 帰りの関越自動車道は45キロ120分の渋滞。 ずっと運転してくれていた体育会系の友人が眠気をうったえたので、俺が運転を交代した。 眠るみんなの睡眠の妨げにならないよう、なるべくなめらかなアクセルとブレーキを繰り返す。 俺はこういうのあんまり苦にならないからいいし、明日はまだ三連休の最後の一日が残ってるからいいけれど、運転嫌いのせっかちな人がもしも明日から仕事でこんなことやってたらたまらんだろうなと思う。 そうまでして、スノボやりたいんですかみなさん、と、連なるテールランプに尋ねてみたい。 人だらけで思うように滑れず、苦労して不味いメシ食って、高いカネ費やして、移動にこんなに時間かけてまでも、スノボってやりたいものなんですか。 それでなんか、いいことありました? 楽しかったですか? 来てよかったですか? 渋滞を抜けかけるところのサービスエリアは、そこもまたゴチャゴチャに混んでいて、通路にまでクルマが停まっていた。 なんとか見つけたスペースに、バックでクルマを入れたのだけど、自分でわかるほどにとにかく下手くそで、当てなかったのは運だけのおかげだったと思う。 そこでまた運転を代わって、体育会系の友人は渋滞の遅れを取り戻すべく120キロでかっ飛ばした。 そこで、俺は彼にすっかり感心してしまった。 この人は、スノボも上手けりゃクルマの運転も上手い。 酒の席ではデリカシーがなくて耳障りだが、今日みたいな日にはクールで実際的な一面を見せる。 中学のときにはクラブチームに所属して、スポーツ推薦で入った高校ではキャプテンを務めた。 俺が「やりたいことだけやってたい」とのんびり過ごしていたときに、この人はいろんな付き合いや仕事をこなして、一人暮らしにクルマのローンも払っている。 スノボでも高速でも「命がけだこりゃ」などと俺がビビっている間に、この人はそんなことは考えの端っこにも浮かべないでかっ飛ばしている。 ある意味では無神経で、そういうこの人にイラだったこともあるけれど、俺とは全然違う能力を持っている。 こういう人がいるから、世の中まわっているのだ。 それでまわっている世の中がいいものかどうかは別として、こういう人のおかげで今の俺は生活しているんだろうなぁと思ったら、なんだかしみじみ感心してしまった。 お前の人生に、いいことがたくさんあるといいな、と祈った。 ついでに、ときどきデリカシーがないところも治るといいな、と、おせっかいな祈りも一緒にかけといた。 俺がいつかプライベートゲレンデを好きに使える地位に立ったら、お前にも使えるように必ず便宜をはかるよ。 そしたら、それを餌に女のコでも家族でも好きに呼んで、楽しんでくれよ。 帰ってから、本田翼のJRのCMを見て、それを味わって楽しめる材料を得たことに満足する。 スノボ好きな彼女でもできないかぎり、次のゲレンデはまた5年後かな。
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