This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
|
一定期間更新がないため広告を表示しています
posted by スポンサードリンク |-|-
JUGEMテーマ:日記・一般 他人と付き合うときに、礼儀としてわきまえるべきなのは、こちらも一人の立派な大人の人間として相対することだ。 礼儀であると同時に、円滑な関係を築くための必要条件でもある。 こちらがきちんと自分を整えて、相手に向けて提示するからこそ、相手はそれを受け止めて、互いの応答の交換を始められる。 以前、テレビ番組でDa PumpのIssaが「モテるために心がけていることはありますか」と問われて、「常に、自分の好きでいられる自分でいるようにはしている」と答えていた。 それを聞いて、さもありなん、と俺はうなずいた。 This is the way it is. 自分で自分を好きでいられなければ、好きな女のコの前に出たときに、きちんと落ち着いて自分を提示できない。 自分に不安があっては、自分の落ち度が気になって、堂々とふるまえないのだ。 そんな卑小な人間に、他人としては魅力を感じないだろう。 まずは、自分で自分のことを愛し、尊敬して初めて、他人に愛され、尊敬される。 ところが、それはなかなか難しい。 というのは、たとえばIssaほどモテるオトコであれば、自分のことを好きなオンナがいるというだけで、もはや自分に満足してしまう可能性があるからだ。 途中で他人にオッケーを出されてもなお、自分のオッケーを出すまで粘りぬくというのは、俺にとってはけっこう難しい。 結局、他人との好意的な関係を取り付けるためにやっているのだから、オッケーを出してもらった時点で目的を果たしているのだし、やめてしまってもいいのではないかと考えてしまう。 しかしこの場合、たしかにその時はそれで支障なく円滑に進むのだが、その先でつまずく。 やめてしまった自分を見られて、一度は出されたはずのオッケーを取り下げられてしまうのだ。 オッケーを出した時点の水準を保ちつづけることを期待して出されたオッケーなのだから、それを維持しなければならないのだ。 ということはつまり、他人のオッケーを参考にしつつも、やはり基準を自分の中につくって、そのレベルを保ちつづけるしかない。 それをできるIssa、かっこいい。 ある時に、自分の基準を見失い、他人のオッケーも全然取り付けられない自分に気づく。 そういう時に、心の強い人ならば、自分を見つめ直し、一から鍛えなおすつもりで、生活を整えて築き直すことができる。 しかし心の弱い人は、さしあたってとにかく取り付けられそうなオッケーを探す。 「あなたはとっても素敵だよ、今のあなたも好きだよ」と言ってくれる声を。 しかしまぁ、そういう人を失っているから迷っているわけで、迷っている人に魅力を新しく発見して声をかけてくれる人は、基本的にいない。 Lil' Wayneの新作ビデオの「Love Me ft. Drake, Future」は、そういうことを言っているのではないかと思う。 といって、歌詞を見たわけではないから、フックの歌詞をなんとなく聞いた感じと、ビデオの雰囲気で言っているのだけど。 彼らがオンナを基本的に「ビッチ」と呼ぶのを、俺はよく理解できる。 なぜビッチなのかといえば、一度は自分に惚れたくせに、「もういいや」ってなったら、あっという間に他のオトコに目を向けられる、気持ちの軽さがビッチなのである。 オンナのそういう態度に、オトコは心底から傷つき、ショックを受ける。 逆に言えば、今は俺に惚れてるこの女のコも、昔は別のオトコに愛を向けていたはずだ。 そんなのは普通のことだから、女は基本的にビッチなのだ。 ホーアとかは呼ばないけど。 オトコだって浮気者だし、軽いから、そういうオトコを罵る言葉が欲しければ、つくってください。(もうある?) 元カノだとか、自分のことを好きだった女のコとか、自分が好きだった女のコとか、ちょっと気になってた女のコに、彼氏ができた話だとかを聞くと、俺は心の中で小さく「ビィッチ!」とつぶやく。 結婚したとなれば、なおさらそうだ。 彼女たちは何のルールも破っていないし、思うように生きているだけで何の落ち度もない。 そんなことは完全にわかった上で、俺が腹をたてる理由は何にもないと完全にわかった上で、「ビィッチ!」とつぶやく。 ずっと俺を愛しぬくわけでもないくせに、ずっとそのオトコを愛しぬくわけでもないくせに。 どうせ俺も同じなのだから、お互い様なのだけど、理屈じゃなく感情で「ビィッチ!」と小さくつぶやいて、すぐに自分を取り戻す。 「素敵な人? 好き? よかったね」と微笑んで、心から祝福して、それで終わり。 これも結局、俺がきちんと自分を愛せていないから湧いてくる、卑屈な気持ちなんだろうとわかってはいるのだけど。 それでも、ね。 可愛い女のコが、素敵な女のコが、俺じゃないオトコを選ぶというのは、なんだか寂しいような、取り戻せない何かを失ったような。 クソっ! 小せぇオトコだぜっ!! と、近頃はこういう生活です。 でも、そういうビッチの中の一人でも、俺を愛して、「あなたは素敵だよ」って言ってくれたら、オトコの幼稚な自尊心は慰められる。 っていう歌だろうなぁこれは、と勝手に理解して、勝手に共感しています。 俺は今、実家で両親と暮らしていて、そういう生活は、精神的に一人前になるのにやっぱり望ましくないと思う。 どうしても、「この両親の息子」としての自分を抱えざるをえないというか。 単なる「〇〇〇〇(本名)」としての俺、として、他人とかかわることを望むときには、障害になっていると感じる。 今朝の朝日新聞を読んでいて、イタリアの若者も、経済状態の悪さから、両親と暮らすことが多くなっていると書いてあった。 そういうことは、未来の立派な人間を形づくるうえで、なにがしかの影響を与えるのではないかなと思う。 ただ、その一方で、たとえばDrakeぐらいに有名になって一気に稼いでしまうと、それはそれで一人前になるのに障害になる。 Drakeを個人的に知らない人でも、有名人としてのDrakeは知っているわけで、個人的な付き合いを持とうとしたときにそれは障害だろうなと思う。 その苦しみや苦労を乗り越えたときに、ずいぶん立派な人間が出来上がってはいるのだろうけど。 Lady Gagaさんみたいにね。 「fame」にまつわる苦労は、多くの人が歌にしているので、俺にもなんとなく想像がつけられるわけです。 ま、俺がfamousになるってこともないだろうから、その心配もいらないのだろうけど。 famousになってみたいっていう、俺の名誉欲というか虚栄心もけっこうあるのだけどね。 やりたいことがいっぱいできるだろうしね。 歌詞も書いてみたい、音楽プロデュースしてみたい、映画の脚本も書いてみたい、音楽や本をいっぱい紹介したい、ラグビーの解説とかコメンタリーをしてみたい、スタイリストと一緒にかっこよくキメて写真を撮られてみたい、友人とか知人たちに「ほら、あの人ちょっと知ってる人なんだよね」って噂されて「全然見せなかったけど、あんなこと考えてたんだな」って言われたい、テレビに出てみたい、映画に出てみたい、自分を売り物にして、みんなにうらやましがられて、いろんな人を助けられる、キラキラして有名な女のコとも知り合えるし、会いたかった人に会える、他人のカネで外国にも行けるかもしれない、そこで学を披露したりして、カネの使い方もいっぱい選べるし、そしてやっぱり誰かをちょっとは助けられるかもしれない。 こういうこと考えてると楽しくて止まらなくなるけど、ま、これは、一人前になるのとは、また別のことだ。 まずは、きちんと人とかかわれるようになろう。
JUGEMテーマ:日記・一般 このところ何度か、友人の結婚式の二次会に行く機会があった。 そこでは、いろんな人と会う。 今、俺の手元に、友人たちと一緒に写ったチェキ!がある。 幹事側のスタッフが、二次会のあいだ中に撮りまくっては手渡してたやつだ。 自室に座り、Jamie Foxxの「Fall For Your Type (Feat. Drake)」なんかをかけながら、チェキ!を見つめている。 素敵な女性が写っている。 この人も遠からず結婚するだろうか。 世の人たちはとかく写真を撮りたがり、せっせとウェブ上にアップするのに余念がない。 お前が撮った写真を俺も見て、俺の撮った写真をお前も見る。 俺はチェキ!をながめて、この写真を目にするのは俺一人だけだという悦びをおぼえる。 みんな酔っぱらって、撮られたことさえ忘れてるんだろ。 お前らにとってはこの世に存在しないものが、俺の手の中にある。 これからもいつまでも、この写真は俺だけのものだ。 もしも俺が今酔っていたら、電話をかけているのかもしれない。 “あなたは知らないでしょうけど、俺は最近あなたの姿を見るのを楽しみにしているんです。 あなたは俺のことを好きだったと言ってくれたけど、俺もずっとドキドキしてた。 ただ、俺は「好き」という感情に、いつでもとびきり慎重なんです。 今は酔っぱらってるから、思いきって電話をかけて、俺はずっと、今でもドキドキしているということを言おうと思ったんです。 別に、だからどうしたとか、何が目的だとか無いけど、ただ言いたくて。 写真を見ていると、二人きりで会ったらどうなるんだろうって想いが止まらないから。 言えるチャンスがあるうちに言っておこうと思って。 えぇ、ごめんなさい、酔っぱらってるんです。 でも、本当なんです。” 今は17時で、俺は一人きりで、しらふだから。 これから新宿にヤボ用を片付けに行って、たぶんついでにiPod Classicも買うんだと思う。 帰ってきたら、父のつくってくれた夕飯を食べて、チャンピオンズリーグのユナイテッドとレアルの試合をたれ流しながらピアノの練習をして、母の仕事の手伝いの内職をして、夜更けから自前の小説でもいじるんだろう。 誰も知らない写真、誰にも言わない思いは、明かされないままに溜まっていき、やがてどこからか静かに消えていく。 さよならも告げないままに。 せめて、ここに一人で言っておこうか。 さようなら、彼女はとても素敵だったんだよ。 さようなら、俺もとても素敵だったんだよ。 誰にとってもつまらない話でも、俺たちには本当の話だよ。 そんな日もあったんだよ。 なつかしい友人たちと集まって、写真を撮って、俺は一人でその写真を見つめながら、他のみんなはそんなこと知らずにそれぞれ違う場所で生きている、そんな日もあったんだよ。 やがて消えるだろうし、そのときには何も言えないだろうから、今言ってしまうよ。 さようなら。 ここまで書いて、アップしようとして、日付に気づいた。 あぁそうか、今日はバレンタインデーだ。 彼氏が出張で出かけてたりしない限り、今ごろはチョコを仕上げてる頃かな。 もう出来上がって、ラッピングされて隠してあるのかな。 ピース! ドリーム! ラッキー!
JUGEMテーマ:洋楽歌詞・和訳
JUGEMテーマ:洋楽歌詞・和訳
JUGEMテーマ:音楽 前回が℃-uteだったが、どうもこのブログにはニッチな趣味を上げるクセがついてしまっている気がする。 本当に好きなもので埋め尽くしたい気持ちもあるのだが、それはなんだか照れくさいというか。 ただ、後から見て、自分の趣味はこんなものではなかったはずだと思ってしまいそうなので、もうちょっと真っ当に好きなものについてもサラッと紹介していけたらいいと思う。 サラッと紹介するのは、数をこなすため。 Fountains of Wayneというバンドは、昔からの俺のお気に入りだ。 西海岸ぽいが、ニューヨークで結成されたバンドで、俺が中学の時の大ヒットソング「Stacy's Mom」で俺も知ったクチである。 なんだかんだとまぁいろんな人がいろんなバンドをやったりポップソングを作っているわけだが、そういう数多のポップミュージックのど真ん中に投げる実力があるバンドだと思う。 いいメロディと、わかりやすいアレンジと、日常を切り取る歌詞。 「Someone To Love」のビデオを今回俺は初めて見たのだが、なんだかすごく感心してしまった。 ポップミュージックをやる身として、たくさんの人間が生活することを助けるというか、応援する覚悟が決まっている。 俺がバンドをやるなら、こういう、まっすぐなバンドをやりたいと思う。 それにはセンスが必要なわけだが。 現代文明に、現代社会にそこまで寄り添うからこそ、ほんのちょっとした風刺も効果を発する。 ラストシーンで寂しいままに、薄い壁を挟んで向かい合いながら孤独に苦しんでいる姿は、私有制にもとづいた貨幣主義の現代文明を風刺しているかのようだ。 エルヴィス・コステロ風なバンドの容姿も玄人っぽくておしゃれだし、否定しどころのないバンドだなぁと思う。
(C) 2024 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.
|