This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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誰かを好きになるということは、誰かに期待するということで、それはとても危険なことだ。 期待は、夢は、憧れは、願いは、目的は、欲は、人を動かす力だ。 力は、すべからく、危険でもある。 人を動かしうるし、人を破滅させうる。 誰かを好きになると、期待をする。 あの人も私を好きでいてほしい。 私がこんなにもあの人のことばかりで、すべてをあの人とつなげてしまうのと同じように、あの人も私のことばかりであってほしい。 いつも一緒にいたいと、そう思っているのが私だけではないといい。 その期待が裏切られると、期待の大きさに応じて、大きな傷を負う。 好きにさえならなければ、穏やかでいられるのに。 でも、穏やかなだけの暮らしも味気なくて、誰かと一緒にいたくて人波に飛びこむ。 そこで傷を負って、(可能ならば)また傷を癒そうと、着実に静養の日々を構築する。 どうして、穏やかなだけで一人満足できないのか。 どうして、想いのままに、傷のままに生きて死んでしまわないのか。 いったい、本当には何がしたくてもがいてるのだろうか。 "Oh No" The Commodores I want you to want me 君に求められたい I'm goin' crazy knowin' he will be your lover tonight 今夜 彼が君との愛の夜を過ごすと知って 僕は狂ってしまうよ And when he comes I'll let you go それでも 彼が来たら 僕は君を手放すよ I'll just pretend as you walk out the door 君はただドアから出かけていくなんだっていうふりをしてね Oh, no 無理だよ I can't sleep 眠れない Oh, no こんなの無理だよ I'm goin' crazy with love over you 君への愛に狂ってしまうよ I need you to need me 僕は君にとって大切な存在である必要があるんだ I wanna hold you but you're holdin' someone else in your arms 君を抱きたいけど 君は他の誰かを抱いているね When I close my eyes I see your face 目を閉じると 君の顔が見える I'm just not sure how much my heart can erase 僕の心から どれぐらいまで君を消せるだろうか Oh, no 無理だよ I can't think, ooh 頭が働かない Oh, no とても耐えきれない I'm goin' crazy with love over you 君への愛に狂ってしまうよ Oh, honey オー、ハニー Oh, sugar オー、シュガー Oh, no 無理だよ I can't sleep anymore, baby もう眠れないよ ベイビー Oh, no 本当じゃないと言ってくれ I can't think anymore, baby もう考えられないよ ベイビー Oh, no こんなの無理だよ I'm goin' crazy with love over you 君への愛に狂ってしまうよ
更新が止まるかも、とか言いながら、むしろ増えているという新生活。 スマホアプリから投稿しております。 思えば、このブログを始めて間もない7年前、大学に入学したばかりの18歳の俺も、せっせとブログを細かく更新していた。 新生活とはそのようなものだろう。 刺激的で、ちょっと寂しくて、敏感で、何かを残しておきたい気分。 今日から金曜日までの4日間、大手人材教育会社の主催する新人社会人研修に通う。 「会社員というのはそういうことか!」と新鮮な驚きを感じたのは、まさに駒となり歯車として働くということを知ったことだ。 上司の指示の中で、進捗具合を共有しながら、完了したら報告して、また次の指示をもらう。 まさに他人のアタマと計画の中で、求められた動きをすることが必要なのだろう。 なんだか、そんなに他人のアタマで考えてもらっちゃって、こちらはケツに乗っかってるだけで分け前に預かっちゃって、もったいないほどおいしい話ですねぇ、という気持ちだ。 上司の意志の向こうには、会社の意志がある。 会社は常に何かを目指して動いていなければ成立しない、死んでしまうものだ。 それがどのような意味を持ち、どのような結果をもたらすかを考慮するよりも、何はともあれとにかく何かを目指して動いていかなくてはならない。 経済や経営にとって、停滞こそ最も忌避すべきことなのだ。 年率2%のインフレを目指さなければ人が死ぬとでも言いたげな経済観念は、つまりそういう発想にもとづいているのだろう。 人々の生活も、目標を定めて努力していなければ「何もしていない」とみなされるし、本人たちも由来不明な焦りにおそわれる。 しかし、やることが無いというのは、そんなに恐ろしいことだろうか。 我々の精神はそんなにも貧困だっただろうか。 わざわざやるべきことを自分で捻出しなければならないほど、人間の生活は暇で仕方のないものだろうか。 俺はレッドブルエックススポーツシリーズが嫌いだ。 やらなくていい、誰も頼んでない、むしろやらないほうがいいような、およそやくたいのないことばかりだ。 「新しいことをやらなきゃ」という強迫観念、貧困な精神と浅慮と、縮こまった発想から生まれた、人間の肉体や精神を解き放つのではなく制約する競技の数々。 レッドブルは、本質的に人間の精神への期待を捨ててバカにしているし、人生はそのままでは暇でやりきれないものだと捉えている。 それらのトッププレイヤーたちは、まるで偉大な仕事に取り組む英雄であるかのように、尊大で厳粛な態度で競技に臨む。 それを見るたびに、お前らは自由などではなく、自分の作った狭い範囲を世界だと思い込んでいるだけだ、と言いたくなる。 おそらくほとんどの会社は、ほとんどの仕事は、それが無くなったところで、ほとんど誰も困らない。 それでも、そういう中で仕事して生活していると、自分が大したことをやっているのだと思いがちだし、思いたくなるものだ。 そんな中で俺は、人間はもっと違うようにも生きられるし、今やっていることなど何の役にも立たないどころか、無いほうがいいのかもしれないぐらいだ、ということは忘れずにいようと思う。 それでも、そんな世界で遊べる程度には、俺もシニカルになったのだろう。 誰も何も考えてやしないのだし、俺も同じになろうとしている。 自分が暇だからというきっかけで目の前にぶら下げてみた人参から、いつしか目を離せなくなって足が止まらなくなっても、俺もそのゲームに乗るよ、と言いたくなってしまうほどには寂しいのだろう。 会社よ、せめてたくさん楽しませておくれ。 人間もまた自然であり世界だ。 現代社会ももまた、他のすべてものと同じぐらいには、見るべきもの、歌うべきものを備えているはずだ。 現代生活の中にも生まれる美しさを、俺は拾い集めることができるだろうか。
親元を離れ、一人で生活を切り盛りする。 生活を新しく整えようとすると、細々とあらゆるものを揃える必要がある。 家具や雑貨、調味料などの物品を揃え、掃除や洗濯、料理などの家事を覚え、それらの生活を維持するための人格を自らの中に少しずつ形づくっていく。 やってみて改めて実感することだが、現代生活において、これらを他人に譲渡することはとても難しい。 俺は今、この部屋を俺なりの考えにもとづいて整え、生活を作ろうとしている。 そして、俺によって俺のためにこの部屋に作られた生活は、俺がいなくなったとたんにただの廃墟、脱け殻と化す。 それらは大方を捨てられ、整理されて、無かったことにされていく。 しかし、それでも、俺はそうして今日を生きる。 今日がどこにもつながらず、何も残さないとしても、今日を生きる俺のために今日の俺は作業するのである。 もしも俺があと50年生きるのであれば、今の俺がしている作業は、確実に未来の俺の役に立つ。 新卒の新社会人の新生活というものはそのようにデザインされ、そのように過ごされることを期待されている。 未来の自分への投資としての今日の生活。 今、新生活に向けてあらゆるものを備えて整えていくのは、50年という視野で計算すれば、決して高い投資ではないし、とても確実で利率のいい投資だ。 俺は今、そのデザインに沿って、期待された役割を優秀にこなしている。 俺はきっと、俺よりも知性が優れているわけではない一般人たちから、褒められて憧れられる、立派な一人前の大人になる。 きっと、高い知性を持つ友人たちと愉快に過ごす時間も持てる。 ただし、俺はそこまでたどり着く前に力尽きるだろう、という予感も抱えている。 おそらく、その手前で、この体はついていけなくなる、ことによっては動かなくなるかもしれない、と。 それは、絶望だ。 未来に向けた生活の中で、その途上で潰える。 あとに残されるのは、誰にとっても何の役にも立たないし意味も持たない、廃墟だ。 それでもなお、俺は今日をそのように生きるのである。 結局のところ、俺にはやりたいことがそれほど多いわけではなく、その数少ない欲求のうちの主要な一つが、誰かとつながっていたいという願いなのだから。 生活を整えて、自分を整えて、少しずつ社会的に尊重されて安心される存在になろうとして、今日を生きる。 それは、いつか誰かと一緒にいられる日のため。 俺にはきっと、誰かを喜ばせたり、助けたりする力が備わっていると信じている。 たとえ、その願いが叶えられずに潰える運命であっても、俺はそのように生きるしかない。 なぜならば、どこへ通じるか、何が待つかわからない道に一歩を踏み出すことだけが、人間に与えられた唯一の意志的な行為だからだ。 自由とは、踏み出したい道に向かって足を踏み出すことだ。 たとえ、その道について何一つ知らないとしても。 何の根拠もなく、どうしてその道に踏み出したいと感じることができるのか。 それを説明できる人はどこにもいない。 ただ、心の声に従って踏み出すだけである。 たとえ、数歩先で息絶える運命だとしても、俺は足を踏み出す。 そのように、俺は生きるよ。
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