This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:広島東洋カープ
今日も、黒田が熱投した。 そしてカープは11連勝。 俺は今までに、こんなに強いカープを見たことがない。 いや、というよりも、強いカープを見たことがない。
俺が野球をちゃんと見始めたのは小学校の時で、今にして思えばあれは「メイクミラクル」の年だったのではないかと思う。 とりたててこれという明らかな記憶があるわけではないが、いつからか俺はカープファンだった。 何よりも魅力に感じていたのは、あの打線だ。
1、緒方(中) 2、正田(二) 3、野村(遊) 4、江藤(三) 5、前田(右) 6、ロペス(一) 7、金本(左) 8、西山(捕) 9、佐々岡(投)
そして代打に、右の町田、左の浅井がいる。 こんなにかっこいい選手しかいないチームが他にあるだろうか。 他に思いつくとすれば、無敗優勝の時のアーセナルぐらいだろうか。 あと、2003年の決勝を戦ったクルセイダーズとブルーズの両チーム。
やがて時は流れて、正田が東出になったり、佐々岡が黒田になったりした。 そして、いつでもカープは弱かった。 頼りない投手陣、続発する怪我人。 だから正直、黒田がいた頃のカープも、逆に言えば黒田しかいなかったし、応援すればするだけ泣けるほど弱かった。 もちろん、嶋や栗原、キラや永川、マエケンの活躍を忘れたわけではないけれど。
そうして、俺はしばらくプロ野球自体に関心がなくなっていた。 カープの順位は一応気にしていたが、気にしているだけ余計に興味が落ちるほどに相変わらず弱く、カープ以外のプロ野球には何の興味も湧かなかった。
そんな俺がまたプロ野球を見るようになったのは、黒田が帰ってきた去年からだ。 黒田は、かっこいい。 それだけじゃない。 今のカープは、確かにかっこいい。
1、田中(遊) 2、菊池(二) 3、丸(中) 4、新井(一) 5、エルドレッド(左) 6、鈴木(右) 7、安部(三) 8、石原(捕) 9、黒田(投)
あの頃に引けをとらない打線だと思う。 もちろん、あの頃のラインナップには、その後の実績と輝かしい通算成績があるから、さらに強く見えてしまうけれど。 金本などは、あの頃はまだ今の安部程度に、駆け出しだったと思う。
あの頃と今で最も違うのは、選手層の厚さだ。 ルナ、松山、會澤、赤松などがベンチにいる。 先発投手陣は、ジョンソン、野村、岡田、戸田、中村恭平。 さらに実績のある福井と大瀬良がいる。 中継ぎは新外国人のヘーゲンズ、ジャクソンの二枚に、頼もしくなった中崎が守護神。 今村や九里もいい仕事をしている。 今村がここまで復活したのだから、一岡や中田廉の復活にも期待が持てる。
そして今年のカープの意外な躍進を最も支えているのは、今年から台頭した新戦力たちだろう。 シーズン開幕前には、期待が低いというか、未知数だった選手達。 上に書いた先発陣のうち、岡田、戸田、中村恭平は、ローテーションに入るとは思われていなかった選手達だ。 野手では、下水流、西川、磯村。 安部と鈴木誠也の活躍も期待以上だ。
こんなにも強くて、未来に向けてもワクワクするカープなんて、見たことがない。 去年のズムスタでのオールスターで、カープは確かに変わったと感じられたものだが、さて、これからどうなるのだろう。
そして、これらの躍動する軍団のドンとして鎮座しながら、マウンドでは「今日が最後でも」と思いながら熱く投げている黒田に、男としての憧れを禁じえない。
JUGEMテーマ:音楽
JUGEMテーマ:読書
特に系統だった読書をしなくなって久しいが、単にキリッとまとまった短編小説が読みたくて、ビアスとホーソーンを借りてきた。 (あと、ローソンという作家も借りてきたが、これはオーストラリアの作家で、図書館で見つけるまでは知らなかった。)
アメリカ人というのは現実主義者と言われる事があるけれども、むしろ大いに迷信深いところがある。 たぶん現実主義者なのかもしれないが、あまり科学主義者ではない。 謎の新大陸に分け入って住み込み、そこに生きる原住民の世界観もまた謎に満ちている中で、自分たちの歴史や世界観を一から作っていくというのは、とてつもない負担のかかることなのだろうと俺は想像する。
ビアスとホーソーンの短編は、語る力の強さが、俺の他の読書と比べると抜きん出ている。 マーク・トウェインという人だけが、あのような力強い語りの技術を持っていたわけではないと教えてくれる。 19世紀のアメリカに生きていた人たちの、あれが文体であり話法なのだ。 書かれなかった言葉たち。 その土地を生きた無数の人々が互いに相手に向けて発し合った、相手に感銘を与えてやろうというおしゃべりたち。 笑わせたり、驚かせたり、深くうなずかせたり。 そういう無数のおしゃべりがあり、この力強い語りの文体がある。
現代アメリカにおいては、そういう語りの力は文学の中よりも、むしろ学問的読み物の中にこそ生きているような気がする。 (かつてジョン・アーヴィングの短編や『ムーン・パレス』を呼んだ時、俺は何を感じればいいのかわからなかった。ずいぶん昔の事だが。) もちろん、スポーツニュースのキャスター同士の掛け合いや大統領選を見ていると、人々のおしゃべりのパワーは今でも生きていると感じられるし。
結婚するということは、他人と一緒になるということだ。 組織で働くということは、他人と一緒になるということだ。 自分の都合だけで物事は決まらない。 常に、他人に合わせる必要が出てくる。 昔の俺を知っている人なら同意してくれるかもしれないが、俺は他人に合わせるのがそれほど得意ではない。(それで不快にさせた人もいるのかもしれない) 得意ではないというか、それよりも好きではない。 他人に合わせてばかりいると、不快になる。 苦しくなる。 生きているのが楽しくない。 きっと、誰だってそうだろう。 そんな時、俺は自分にこう言い聞かせる。 「落ち着け。 体になれ。 環境と調和しろ。」 どんな場所にいようと、結局は環境と自分との対話である。 そして自分とは、自分の体以外の何物でもない。 苦しい時、とかく人はアタマの中に閉じこもりがちである。 誰がどうしたとか、これからどうしようとか、「意味」や「言葉」、つまるとこら、自分でつくった世界で勝手に苦しんでいる。 それらを一度とっぱらって、自分を取り巻くのは、実際のところ、物質でしかないということを思い出す。 すると、体を好きに動かせるだとか、風や木々や柱や壁に興味を惹かれて、自分は思いのほか自由なのだと感じられる。 好きなように体が動かせるということをありがたく思えれば、悩み事など日々にそう多いものではないと見えてくる。 おそらく、殺されでもしない限り今日俺が死ぬことはなさそうだし、殺されるということもなさそうだと理解できれば、意外にこの世界は居心地がいいものだと気づくこともできる。 そんな具合に、俺は今日も生きている。
JUGEMテーマ:日記・一般
結婚をした。 妻は出産をする予定だから、産休に入る。 会社に産休の事を言った時、ただでさえ人手が足りない社内の、今後の混乱の事を思うと、同僚としては祝福よりも厄介に思う気持ちのほうが大きかったようだ。 あまり、歓迎されていなかったし、それは予測していた事だった。
妻の産休の事が発表された翌週に、同じ部署の別の女性が結婚して、彼女もやがて退社する事が発表された。 ということは、人手はさらに足りなくなったという事だ。 それで社内はますます険悪になったかというと、そうでもない。 不思議な事に、むしろ空気は和らいだ。 二度目の事だと、二人目の事だと、なんだかすんなり受け入れられて、むしろ祝い事に対して華やぐ気配すら生まれたほどだ。 人手不足があまりにも決定的になったために、付け焼刃ではなく根本的な対応をしなければどうにもならないことが明らかになったからだろうか。 みんなどこかしら、「よし、やってやろう」という気持ちにすらなっているのが感じられた。
二人目の退職者が出た事で、計算上、対処すべき負担は二倍になった。 それなのに、皆の不安は半分になったかのようだ。
もしも結婚にメリットがあるとすれば、これと同じような事なのではないかと俺は思っている。 論理的には足し算なのだが、人の生きる現実的側面としては、むしろ割り算になっている。 よく言うところの、「喜びは二倍に、悲しみは半分に」という具合である。
「慣れてしまわないといいね」と彼女は言った。 一緒にいることが当たり前になって、敬意を失わないようにしたいね、と。 それさえできれば、一人でいるよりもいくらか生きやすくなるのではないかと思っている。 そして、新しい命がやってくる。 単純に、楽しみだ。 そして、生きる事は嬉しい事なのだと、伝えるために俺はここにいる。
10年を超えたこのブログ。 死ぬまで書けたらと思っている。
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