This Is The One! - innocent -俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。
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JUGEMテーマ:読書
えー、というわけで、予想通りといいますか、気分が変わってしまったので、前回の続きは書かない。 The 1975がどんな風に現代生活に馴染むかは、この最新ビデオでも見てもらうとしましょう。
でもなんかせめて買いとこうと思うけど、特に書くことも思いつかないので、最近読んだ本の話でもします。 嘘です。 話はしません。 上に載せた3冊が、直近で読んだ3冊です。 『すべてのまぼろしは〜』は、まだ最後の一編を読んでいません。 どれもとても面白いです。
今後は、アメリカについて改めて勉強しようと思って、今日図書館で本を借りてきました。 ざっと目をとおしてみて、とても良い本たちを借りてきたと満足しています。 最近引っ越してきた、23区の中でも西のほうに位置する区の図書館は、今のところ悪くもなく良くもなく、と言ったところです。 図書館自体は、いつでもどこでもたいてい大好きです。
実感するのは、本を読んだり勉強をすると、元気が湧いてくるという事です。 とても勉強して、世界を旅したりして、その結果を丁寧にしたためた結果としての本は、やはり読む人の心に頭にとても良いものだと感じられます。 結果として何を生み出さなくとも、何の役に立たなくても、本を読む時間というのは豊かなものです。
そんなことを、感じています。
元気が湧く、と書いたら、なんだか貼りたくなったビデオ2本。
JUGEMテーマ:音楽
俺が18歳だったのは10年前のことだ。 ちょうど、このブログを始めた頃。 あの頃、俺はまだ行き着く先よりも始まる前の場所のほうに近くて、自分の故郷はどこなのかといつも探し求めていた。 どこにいても自分の居場所ではないと感じていて、ではどこにいればいいのかと問うても、それがわからなかった。 50枚のCDを背負って、ヘッドフォンをしながら吉祥寺や立川を歩き回っていた。 というよりは、街中に点在する中古CDショップを回遊しながら、それ以外のほとんどの時間は立ち止まってぼーっとしていた。
音楽がいくらなりか俺の心に触れて、時には和らげてくれさえしたのは、この世界でこんな言葉にできない気持ちを感じているのは自分ひとりではないと感じさせてくれたからだろうと、ふり返って思う。 「いくらなりか」と書いたが、当時の俺にとって音楽の存在はとても大きくて、音楽は人生の主役たりうるとすら思っていた。 (Badly Drawn Boyの「音楽は人生のサウンドトラックに過ぎない」という歌詞に出会ってビックリしたのは、19歳のときだった気がする) 俺の気持ちにぴったり来るような歌詞を見つけた時には、夢中になってそのアーティストの曲やアルバムをあさりまくった。 他にもたくさんそういう音楽があるんじゃないかと、いつも探し回っていた。 たとえば音楽雑誌や、CDのライナーノーツなんかで、気に入っているバンドが自分達のルーツや憧れや、時には毛嫌いしているバンドの名前や曲を挙げているのを見つければ、すぐに聞きたくて探し求めた。
そしてある音やメロディ、リズムだとか機材やエフェクトの具合、さらには挿入される飾りの音だとか流れていく進行の連なり、つまりは音楽の全体に、どこにも見つけられないあの場所を見るような気持ちになる事があった。 自分にぴったりとフィットして、美しくて落ち着ける、あの居場所というようなものに触れたような。 俺はもっと世界について知りたくて、それはつまり自分の居場所を見つけたかったからだ。 その時俺は、それを音楽をとおしてやっていた。
The 1975というバンドの音楽を聞くと、あの頃の気持ちを思い出す。 夕暮れ時や、真夜中に、長いケーブルでプレイヤーとつながったヘッドフォンを頭につけて、ベッドにもぐりこんでただ耳をすませていたあの頃、音の中に見ていた景色や心を、思い出す。 今では言葉や音の、社会的あるいは機能的な側面のほうに興味がある俺だが、あの頃の事を思い出すと、言葉や音の芸術的な側面の興味深さを思い出す。 言葉にできなかったり、自分でもまるで理解も整理もできないものを、なんとなく表現してくれる、芸術だけに許された領域。 ただし俺はそれについて、純粋な芸術について書く気はまだない。 以下に書くのは、芸術の話というよりは、単にポップミュージックという文化についての話。 ただ、The 1975は、俺に忘れていた何かを思い出させてくれるというだけの事だけを書いてみた。
俺の気持ちや心象風景や芸術は置いといて、The 1975があの頃(10年前)と重なり合う要素はある。 このドラム、このカッティング、このリズム、このエフェクト、このコンピュータ、それはあの頃、ニューウェイヴリバイバルだとか、ポストパンクリバイバルだとか言われてもてはやされた、あのバンドたちと同じ趣味だ。 Franz Ferdinand、Bloc Party.、The Bravery、Future Heads、Hard-Fi、The Editors、Steleophonics、Razorlight、Kaiser Chiefs、Kasabian、Keane、さらにアメリカだけどThe Rapture、その他の、もはや名前も忘れてしまったたくさんのバンドたちのあの時代。
で、まぁ誰が誰に似ているかというミーハー的なお楽しみは別として、ここで俺が言いたいのはあの頃と今の時代のつながりについてだ。 当時、90年代(ニルヴァーナだとかオアシスやレディオヘッドの90年代!)を終えたばかりのあの時代に、ロック界においてダンスミュージックなんてダサくてナンパでミーハーなものだという雰囲気があった。(と、俺は思う) ちょっと知的で内向的で、芸術的感性と批判精神で鋭く切れ込むのが、かっこいいロックだった。 そんな時に、ニューウェイヴリバイバルだとか、ポストパンクリバイバルだとかの、上記のバンドたちが登場したのだ。 それから10年後の今、ポップミュージックはすべからくダンスミュージックであるとでも言い切れるかのような時代の状況だ。
ところで、Daft Punkが2001年に「One More Time」を出した時、それは大きな勇気と思い切りに満ちた行為だったのだということを、俺は言っておきたい。 明らかに、あれは浮いていた。 明らかに、あれは時代に対しての「裏張り」で、「ダサい」方向に振り切れる事によってポジショニングを確保するような、「裏笑い」に近いヒット曲だった。 それから10年間、彼らは他の誰とも違う場所で、彼らが自分で一番いいと思う音楽だけをやりつづけた。 「80年代」「ダンスミュージック」、これらが即座にダサかった時代が、かつてあったのである。 (Kylie Minogueという”貴族”だけは、体調不良で立てなくなった時をのぞいて、常にその位置に気高く、そして周囲と無関係に立ち続けた。その点、常に時代に媚を売るMadonna(見上げたショーガール!)がさまざまな変遷を遂げているのとは対照的。)
そして今では、EDM全盛で、ロックもダンスミュージックである事を余儀なくされる時代である。 The 1975から始まって、まあなんだか久しぶりに書いてて何を書いてるんだかわからなくなってきたが、そんな時代があって今があるよ、ということを書いておきます。 ちなみに俺は80年代、とても好きです。 俺の生まれた時代でもあるし。
眠気マックスになってきたので、つづきはまた明日。(か、そのうち) ・歳をとってワンダーが減る事 ・身体レベルのワンダーが減る(習慣化という克服)によって、左脳的記号的言語的ワンダーに没入していく事。 ・風呂釜に入りながら水を抜く話。 ・The 1975ってば2015年のTokyoに似合うよ、それでいて懐かしくていいよね。
そんな内容になるような展望があるような無いような。
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