This Is The One! - innocent -

俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。





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ゆうきまさみ 『機動警察パトレイバー』

JUGEMテーマ:漫画/アニメ
 

おもしれーし、萌えるし。
のあか、おたけさんか、南雲隊長か、どれもヤバす。
敵役がまた憎々しくて、おたけさんに手ぇだして泣かせた時点でリチャード万死に値する!!って感じだし、黒埼も内海追っかけんのもたいがいにしろよって感じよね。
戦闘シーンがちょっとわかりにくいけど、そんなの関係ないっす。

なんにしても一番重要なのは、一人ひとりが大人の人間として立ち現れてくること。
たぶんそれにはそれぞれの「生活」がほの見えることが重要なんじゃないかな。
あぁ、遊馬も後藤さんも太田も野明もおたけさんも、生活を営む一人の人間なんだなぁ、ということが伝わってくる。
だからこそ、太田の短気っぷりが笑えるし、後藤隊長の普段のダラけ具合と引き締まるときのギャップと、それにあきれながら付き合う南雲隊長に萌えるし、あんなにしっかりしてるおたけさんが突っ走っちゃうときにはグッとくるし、野明と遊馬の不器用な距離感にドキドキするし。
それも全て、一人ひとりが人間として立っているから。
整備班のシゲさんや刑事の松井なんかの脇役までしっかりとそうだから、その人間関係は見ていて面白い。

昔のマンガのほうがそういうところがしっかりしているのかなぁと思って、ちょっと古いマンガを読んでみようかなぁと思ってる。
これも少年マンガ。
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posted by kach 15:20comments(0)trackbacks(0)





尾田栄一郎 『ONE PIECE 第56巻』

JUGEMテーマ:漫画/アニメ
 
あけましておめでとうございます。
2010年初投稿であります。
年が変わったことで新しい気持ちになれるのは、人間の不思議。

2010年は「見きわめ」の年。
さらに流動化していく世界はどこへ向かうのか、そして俺の人生はどこに向かうのか。
一年間勉強しまくって、そして来年の今頃には「2011年は実行の年、勝負の年であります」と高らかに宣言したいものであります。
しかしバイトして思ったけど、金稼ぐのって厄介だなぁ〜。


ま、それはそれとして、年末年始はマンガばっかり読んでましたよ。
そこで気づいたことが一つ。
ワンピースっていうのは「ファンタジー」なんだね。
何をいまさら、とか言っちゃ嫌よ。
ディズニーやハリー・ポッターや指輪物語やナルニアの映画しか見てないお前らと違って、俺はファンタジーには一家言ある人なのだ! (←図々しい)

この物語が想像上の幻想世界で繰り広げられる、という以外にどの部分で「ファンタジー」なのか。
それはこのマンガが「象徴としての単純化」を効果的に使いこなしているところにある。

その一つの例を挙げよう。
ご存知のように「ワンピース」は海賊を主役にすえた物語であるが、海賊とは文字通りにアナーキーな存在である。
ルフィ以下クルーたちは、これまでもいくつかの「国」やそれに準ずるものと深く関わりながら、どこにも帰属することなく冒険をすすめてきた。
そのアナーキーな立場から、国家と人の関係を見つめてきたのだ。
このところのインペルダウン以後の大盛り上がりがまさにそうであるように、国家や権力というものが多くの人々にとっての生活感覚といかにかけ離れたものであるか、個人の自由の希求とどのように対立するか、などさまざまなことを描いてきた。
そしてここのところが「ファンタジー」なのであるが、それをとても単純化した機構と出来事で描いていくのだ。
現実世界ではあまりにも複雑でとらえがたいものを、想像上の世界におきかえてとらえやすくしてみよう、というのがファンタジーやSFの一つの効用である。
アーロンやドラム島のワポルのようにわかりやすい悪党などいるものでもないし、アラバスタという国家やB.W.という組織があんなにわかりやすいはずもないし、天竜人のように無条件の権力を伴った特権階級というものの存在ももはや許されていないのである。
しかし想像上の世界で、一つの象徴としてわかりやすいものを見せるというのは、自分たちの世界をとらえる上で、鏡のように役にたつであろう。
これはまさしくエンデの言っていたことである。
それに、複雑化してはわからないし面白くないであろう「少年」たちの心をつかむという点では、圧倒的に有利だろう。


ところが、こうまでも高度なことをやっていながら、ワンピースというのは様々なマンガ賞で読者投票以外の受賞というのはほとんどない。
知識人、専門家などからの評価が高くないのだろう。
こう言ってもいい、「大人の鑑賞に堪えない」と。

その理由を、俺はこう推察する。
現実のとらえ難さを象徴化してとらえやすくすることができるファンタジーやSFの効果を上に二つ挙げたが(現実の鏡としての効果、単純なものをより楽しむ「少年」の心をつかむ効果)、ワンピースは後者の効果に成功していても、前者の効果には成功していないらしい。
それはおそらく、ワンピースのキャラクターたちが「キャラ」でしかなく、具体的な人間として立ち現れてこないからだろう。
ワンピースを「薄い」と評する人がいるが、上で書いたように、そこに含まれるテーマや哲学というのは、必ずしも薄くない。
では薄いのはなんなのか。
キャラクターたちが薄いのである。
ルフィの海賊団の仲間となるキャラクターたちには、一定のパターンでそのキャラクターの背負う歴史というのが示される。
一定のパターンとは、ある出来事が起こり、その目の前の出来事を理解するために彼の(彼女の)の歴史を知り、納得した上で出来事にあたり解決する、という流れのことである。
なるほど、これで確かに彼の(彼女の)個人史は知ることができた。
しかし人が誰かのことを知るとき、それは個人史やトラウマの情報を与えられたことによって知るのではない。
その人と関わっていく中で、些細なところに次々と表れてくる事柄をすくいとっては、その人のひととなりを知っていくのである。
個人史やトラウマというのは、あくまでもサブ情報だろう。
この些細な事柄の描き方が、ワンピースはとても足りないのだと思う。
人の動きが、どうしても「意味」で進んでしまう。
こういう出来事があったからこの人はここにいてこういう気持ちです、と。
そういう進み方だと、人間の動きとしてリアルに立ち現れてこないし、下手な意味を与えて出来事を薄くしてしまうと「現実の鏡」としての効果も薄くなる。
ワンピースを読んだところで、しょせんキャラたちが繰り広げていることなので、耳が痛かったり胸が痛くなったりすることはほとんどないのだ。


「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」とはハンター×ハンター1巻に出てきた言葉であるが、俺はルフィが何に対して怒りを感じるかはわからない。
同じような事柄に対して怒ったり怒らなかったりするし。
それはルフィが自分の気持ちに従っているからで、それならば人間味があるじゃないか、ということではなく、おそらく作者の意図した「意味」にしたがってルフィの行動が変わってくるから、だろうと思う。
おそらく作者の尾田栄一郎という人はとても頭のいい人なのだろう。
頭がいいから現実に目の前の出来事の「意味」もすぐにつかめる人なのだろうし、自分のマンガの登場人物の全てに気を配ることもできるのだろう。
しかし気を配って、説明することのできる「意味」を与えてしまっていることで、ワンピースには「他者」がいないようにも思える。
「他者」がいないというか、「他者」を知る衝撃がないというか。
「意味」でなく、細やかな動きでその人を表現できるようになると、登場人物たちがもっと躍動感をもって立ち現れてくるし、深みのある他者も描けると思うんだけどな。
「悪魔の実」が「スタンド」や「念能力」とちがって、個人の内面と無関係に表れる能力だっていうことも、これらのことの一つの象徴のような気がする。



まぁ、例によって筆がとまらなくなって、とめどもなく書いてしまったけども、ワンピースはギャグも最高だし、最上級に楽しいマンガだというのは間違いない。
作者のファンへの惜しみないサービスの姿勢は、Lady Gagaなんかと同じで、この世界との付き合い方を知っていて「大人」だなぁと思うし、尊敬します。
ただまぁ、もう一歩すすんだ面白さもあるんだぜ、ってことで、まぁそれは次回作で見せてくれるかもしれないしね。
これだけの物語を、どうやらきっちり終わらせられるらしい、というのはものすごいことだね。
さ、ジャンプ読んでこよ。



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posted by kach 11:46comments(0)trackbacks(0)





冨樫義博 『HUNTER×HUNTER 27巻』

JUGEMテーマ:漫画/アニメ

 
「少年」漫画として、これほどふさわしいものがあるだろうか。
痛々しいまでの「成長」をこれでもかと詰め込みながら、念能力バトルなどによるエンターテインメントもまったく外さない。
そしてコマ割り、絵の迫力など、漫画としての仕上がりも抜群。
あまり漫画を読まない俺であるが、こういうのを読むと、もっと読まないともったいないかなぁと思ってしまう。
少年よ、どんどん読みなさい。



成長に限らず、人間の変化には多くの場合に恐怖が伴う。
ある場所にとどまり続けることができるのならば、もしかしたら人は安心して暮らせるのかもしれない。
しかし幸か不幸か、とどまり続けることは人間には許されていないのだ。
人はいつでも変革を余儀なくされ、そこには恐怖がつきまとう。
見通しのきかない場所に歩を進めるのは恐ろしいが、とどまろうとして目をつむり耳をふさぐのも、実は同様に恐ろしいばかりでなく、むしろ危険な賭けになるだろう。
「生きること」の恐怖に打ち克つには、恐怖そのものに挑みかかるしかない。
それに気づき、果てしない荒野に足を踏み入れてひたすらに進んでも、なお見えてくるのは、いっそう果てしなく、複雑に広がっていくばかりの地平なのである。
道を見究めんとて歩めども歩めども、複雑さととらえどころのなさは増すばかり。


「HUNTER×HUNTER」で描かれるのは、まさにそこで戦い、苦しげに「成長」していく者たちの姿なのだ。
主人公ゴンとキルアをはじめとした討伐隊一行は、「キメラアント」との壮絶な戦場、まさに「死地」に赴かんと腹をくくって乗り込んできた。
「死地」、生と死が肉迫するその場こそが、まさに「生きること」を体現する場だと知っているから。



「楽園」は、あった。
そのように生命に満ち溢れ、しかし死も溢れた荒野で、心やすらげる場所「楽園」。
それはゴンとキルアの友情だった。
お互いに、同年代の付き合いとは無縁に生きてきた二人が出会ったのは、11歳から12歳になるころ

友達、こんなにも自分を知ろうとして大切に思ってくれて、自分もまた相手を知りたいと思い大切だと思える相手。
お互いに夢中になり、心のままに飛び込んでいける相手。
そう、そこには恐怖がなかった。
相手の問題は自分の問題であり、自分の喜びは相手の喜びだった。
二人の距離は限りなく近く、今までもこれからも、離れたことなどまるでないように思えた。

しかし、すべての「楽園」は儚く消失する運命にある。
ゴンとキルアの「楽園」は、26巻でゴンが「関係ないから」という言葉を口にした瞬間に、その色を失った。
これからの二人は、もう今までの二人ではいられないだろう。
一人ひとりの人間と人間の関係、よくある友達というものでしかなくなるだろう。
ここでゴンとキルアに捧げる"A Love So Beautiful"の引用。


The summer sun looked down on our love long ago
夏の太陽が僕らの愛を見ていた

But in my heart I feel the same old afterglow
大人になった今も 僕の心には同じように感じる

A love so beautiful in every way
あらゆる意味で あまりにも美しい愛

A love so beautiful, we let it slip away
あまりにも美しい愛 僕らはそれを手放してしまった


We were too young to understand to ever know
体験したことを理解するには 僕らは若すぎた

That lovers drift apart
恋人たちは離れていく

And that's the way love goes
それが愛のあり方なんだね


これが男女間の恋愛だと、恋愛から友達への移行というのはスムーズに行かないのが普通だから、多くの場合は別れ話につながるものだ。

キルアは、壮絶な人生を体験している人だから、そのことを知っていた。
ゴンとの関係がどんなに自分にとって大切で、どんなに貴重なものか知っていた。
そしてそれが、どんなに脆く儚いものであるかも知っていた。
俺は、キルアのことが心配でならない。



キルアとは別にもう一人、人一倍壮絶な荒野を生きている人物がいる。
ネテロである。

ネテロの立場から見ると、美学で生きられるモラウ一門も、恐怖に負けることができるノヴも、「何かのため」に戦えるゴンやキルアも、みんないいよね、って感じになる。
ネテロが引き受けてるのは、人間に対する絶望と、その上での人間世界の護衛だろう。
キメラアントの王がいかに理想にもえた気高き精神で人間と接してみても、キメラアントと人間の共存はありえないだろう。
ネテロは、人間に対する絶望から、そのことを知っている。
キメラアントが「王」としての運命を背負って世に生まれている以上、人間が生きるには、キメラアントを抹殺するか、封印するしかない。

キメラアントのことを知れば知るほど、殺しにくくなる。
王とネテロがわかり合う可能性すらあるだろう。
しかし、王とネテロの個人的関係など超えて、あらがえないものがこの世にあるのだ。
どうあがいても不幸な結末に行き着く以上、その芽は早めにつんでしまおう。
ネテロの胸中はこんなところかと推察する。
「間違い」を含めて全てを引き受け、一つの選択をする、というのはとてつもない「強さ」である。


イカルゴにできなかったのは、その選択である。
しかしイカルゴの「弱さ」を誰が責められようか。
選択をしない、ということの正しさだってあるのだ。



最後に、キメラアント、特に王直属護衛軍の魅力について書いておく。
(ネテロをのぞいて)誰もが揺らぐ死地において、最も揺らいでいて、それゆえもっと「生きて」いるのは王と護衛軍の3人(3匹)だろう。
彼らは文字通りに生まれたてで、子供のようなすごい速度でこの世界について知りつつあり、この世界の複雑さに困惑しているところである。
ゲド戦記第二の書『こわれた腕輪』におけるテナーのように。
彼らはこれから「自由の涙」を流すだろう。


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げんしけん―THE SOCIETY FOR THE STUDY OF MODERN VISUAL CULTURE (6)

評価:
木尾 士目
コメント:まだらめが…

深夜に、八王子のマンガ喫茶で、げんしけんに、軽く泣いた。
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posted by kach 02:25comments(1)trackbacks(0)





ソラニン


いや〜、今日は実はクリスマスなんだね〜。
今日はいつもよりちょっと人出の多い吉祥寺を、俺はいつも通りに徘徊して終わり。
なんもないクリスマスってのも久しぶりで、なかなかクリスマス気分にはなれないな。

そんな中で昨日マンガを買った。
マンガ買うの久しぶりだったんだけど、なかなかの当たりだった。

ソラニン 1 (1)
ソラニン 1 (1)
浅野 いにお

今は昔に比べて青年期が延びてるって言われてて、一般的に30歳ぐらいまで青年期にあたるらしい。
つまり大人になるまでの過渡期が長いわけだ。
昔よりも選択肢が多様化してる、ってことも一因にあるみたいね。
だから「自分はこれでいいのか。別の生き方があるんじゃないか」っていう悩みが大きくなる。
さらに今は社会が閉塞的で、未来に単純な希望を抱けない時代だから一層悩みは深い。

こないだ「ある子供」っていう映画を劇場で観たんだけど、その映画の主題はそれと似たようなところにあったみたいで、監督もいろんなインタビューでそういうことを言ってた。
大人になりきれない若者が多い、とも言ってた。
これはベルギーの映画だけど、ベルギーやヨーロッパだけじゃなくて、先進国に共通して見られる問題らしい。

このマンガは日本のそんな悩める若者をとてもうまく描いてると思う。
本気で何かをやることからちょっとずつ逃げてたら、いつのまにかいい歳になってしまっていた男の子。
普通にOLやってるのが嫌になって辞めたんだけど、その後になにをやればいいのかわからない女の子。
そんなカップルを中心に、現状を変えようと、見えない理想をつかもうと、確かなものを探そうと、先が見えない中であがく若者が描かれています。

なんて書くとめちゃくちゃ悩んで、なんか暗い感じのマンガみたいだけど、そうじゃなくて、けっこう軽い感じでギャグもかなりいっぱいあって、キャラもみんな普通に明るいどこにでもいそうな若者たちです。
随所に織り交ぜられるゆるいギャグはかなり笑えるし。
そう、いっぱい悩むんだけど全体的に明るくてゆるいし、ゆるいんだけど息苦しさは伝わってくる。

まるで他人事みたいに書いてきたけど、俺もそんな世代の思いっきり渦中なわけだし、これからのことを考えると悩んじゃうのは同じだから、かなり共感できました。
仕事ってやらなきゃいけないのはわかるけど、だからといって普通に会社勤めしていつの間にか中年になってる、なんていうのは絶対イヤだし。
そんなこと言ってもずっとフリーターでいるわけにもいかないし。
人生とか社会との関わりとか、どんな世代にも通じる普遍的な悩みと、今の若者にしかわからない悩みと、このマンガには両方あると思った。

俺ものんびりしてたらすぐに二十代の中盤になっちゃうんだろうなぁ。
そしたらどうするよ?
30歳なんてなっちゃったら、人生終わりとしか思えないよ。
やっぱ永遠の18歳でいたいなぁ。
でも、不可能だから悩ましいんだよね。
そんなことばっかり言ってると、ダルデンヌ兄弟に怒られんのかな。
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