This Is The One! - innocent -

俺にとってのお気に入り(The One)を公開していくブログです。最近は目にしたものをどんどん書いていく形になっています。いっぱい書くからみんな読んでね。





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『パッチギ !』

評価:
井筒和幸,松山猛,羽原大介
コメント:キョンジャ

パッチギ!
まぁ、今日テレビでやってました。
この一ヶ月で(飛ばし飛ばししながら)10回以上は観たんだけど、テレビで観たらなんか気分が違うかなぁと思ってまた観てしまった…。
で、テレビで観るとCMが入るということと、けっこうカットされてるってことがわかりました。

この映画を、キネマ旬報の邦画年間1位に選ばれるほどの秀作たらしめているのは、キョンジャの存在にかかっていると思う。
言い換えてみれば、沢尻エリカの存在。
まったくなんという輝き!
多くの男が彼女に恋をすることだろう。
彼女に恋をしてしまった時点で、その人にとってこの映画は傑作になるしかない。
つまり、そこが井筒監督の手腕とも言えるか。
俺は、この映画の2つのシーンにおいてかなり大きな情動を得て、涙を流す。

電話のシーンの少女の可憐さを見よ。
共に演奏するシーンの若い恋の眩しさを見よ。

「悲しくてやりきれない」がかかっているシーンは、エンターテインメントとしての映画的な最高の盛り上がり。
在日問題に関しては、政治的主張のレベルではなく、むしろその存在の認知度を高めることにこそ重点をおいているのだろう。
それだからこそ、余計とも思えるようなわざとらしい説明セリフをつけたり、エンターテインを重視する必要があったと思われる。

井筒監督がこのレベルの娯楽映画を撮り続けられるなら、今の日本映画界においてなかなか稀有な存在になるのかなぁと思う。
でも、なんかこの映画観てても井筒監督の作品を追いかけようという気が全然起きないのは何故なんだろう。
けっこう、完結して満腹するものになっている気がする。
結局、キョンジャなのだろうか。
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posted by kach 02:00comments(0)trackbacks(0)





ハウルの動く城

ハウルの動く城
ハウルの動く城

ジブリ大好きっ子の俺なのだが、一昨日に初めてこれを観た。
で、正直なところ、「あれ?」って感じ。

かなり期待して観たのだが、出だしはとても良くて、宮崎監督が描く世界観は相変わらずにとても魅力的で、早くから引き込まれた。
ところが、物語が進むにつれてイマイチのめり込めない。
ストーリーには語り足りないところがかなりあるように思うし、物語がどこに向かって進んでいるのかさっぱりわからない。
ソフィーの呪いがいつ解けたのかもわからなかった。
考えてみれば、「火の悪魔とハウルの契約の秘密」(これがなんだったのか、もイマイチ説明不足)を暴いた時、つまり(おそらく)カルシファンをハウルの心臓のところに持っていった時、にソフィーの呪いも解けたのだろうが、しかしその前から若返ってたような気もする。
あとは、主人公2人の声優もあんまり良くなかったし(声の出し方は工夫してても、感情の持たせ方が下手)、2人のお互いへの「愛」もあまり感じることができなかった。(ラピュタやもののけ姫ではビシビシ感じた)

しかしまぁ、それでもなおこの作品を魅力的に見せているのは、最初にも言ったが世界観の魅力と、それと(主人公以外の)キャラクターの魅力だろう。
マルクル(「待たれよ」)や犬、カルシファンはみんな個性的でかわいいし、動く城にはワクワクするし、なにより荒れ地の魔女が良かった(クソ弱いけど)。
でも、なんで荒れ地の魔女は王様のお城にそんなに行きたかったのかわかんないよね。
ってか、そういうの言い出すとキリが無いくらいに、語り足りないことが多すぎると思う。
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posted by kach 22:55comments(0)trackbacks(0)





もののけ姫


もののけ姫
もののけ姫

ジブリ作品の中では見た回数は比較的多くなかったし、最後に見たのがかなり昔のことなので、そんなに強い印象は無かったんだけど、久しぶりに今日見たら、
なんて素晴らしい作品なんだ、と。
なんてことだ、と。
もはや宮崎駿にはひれ伏すしかなかった。

作品中繰り返し語られるテーマは「生きろ」ということ。
あとは、これは最近俺もずっと考えてたことだったのでとても共鳴したんだが、「人と自然が完全に共存できる理想的な状況は作り出せるのか」ということ。
っていうかまぁ、そんなことよりまずは見ればいいじゃない、っていう。
たまたま日本に生まれたってことで、こんな素晴らしいものが身近にあるんだからこれは見るしかないだろう、と。
ホントにもう宮崎作品にいつでも触れられる、っていうことだけで日本に生まれた価値は十分に果たされる、っていうぐらいのもんですよ。
っていうか、人間に生まれたからには見とけ、っていうぐらいのもんですよ。
後にも先にもこんな天才は二度と生まれないんじゃないか、っていうぐらいのもんですよ。

あぁ〜、見終わった直後に書いたからちょっと興奮しちゃって文体おかしいけど、でもそれだけのもんですよ、これは。
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posted by kach 15:59comments(0)trackbacks(1)





白いカラス

白いカラス Dual Edition
白いカラス Dual Edition

こないだスターチャンネルで観ました。
あまりにも孤独な、老人と女性が出会い、お互いの傷を埋め合うように付き合っていく、とりあえずはそんな感じ。

俺が良い映画だと言うものの一つの判断基準を言うと、観てる間の2時間(もちろん時間的な長さはなんでもいい)は自分の日常とは切り離されて、そして観終わった後には、観る前には無かったフィーリングが残される。
観ている間は自分も映画の中に入り込み、登場人物の感情を味わい、登場人物の人生を体験するような感じです。
だから、普段の自分にはあまり(あるいは絶対に)無いような感情を味わうことができるし、そこから何かしら得ることもできる。
自分を深めることができる。
そんな映画だったら、俺はそれを良い映画だと言います。
それを「あり」だと言います。

で、この「白いカラス」を観ている2時間、俺は心が痛かった。(これも非常にあいまいな表現だけど)
普段の生活では味わったことのない感情を味わったし、孤独(というとちょっとズレるんだけど)というものの一端を味わった。
そして観る前と観た後の俺は、確実に違った。
結局俺がこの映画について言える事はそれが全てだし、その感情などは言葉にできるはずもないんだけど、言葉にしようとしてみることでそれが深まる事もあるし、整理を試みることで理解が深まる事もある。
それも実はこのブログの一つの目的でもある。
一度整理を試みれば、後に誰かと語り合い意見を闘わせる時にも、その感情などを表現しやすくなるし。

といわけで言葉にしてみるわけだけど、
ニコール・キッドマン演じる女性(フォーニア)は、本人にとって凄惨な人生を送ってきていて、いろいろな傷を負ってる。
アンソニー・ホプキンス演じる男性(コールマン)は、ある一つの大きな秘密のために多大なる犠牲を強いられてきた。
この2人が出会った時に、2人は大いなる孤独のうちにいた。
なぜ二人は肉体的な関係を持ち、付き合ったのか。
そこがうまく言葉にとてもしにくいところなんだけど、無理に言葉にしてみると「必要」かな。
愛しているわけではない、でも必要だった。

初めは愛していたわけではなかった。
でも、コールマンがフォーニアに、人生を通してつき続けた嘘を告白しようとした時、2人は愛し合っていたのかもしれない。

ここで問題が一つあって、それは俺が今まで映画や音楽の中以外で、つまり実生活で異性を本気で愛したことが(たぶん)ないということ。
だから、2人が愛し合っていたのかどうかの判断ができるのかどうかもわからないんだけど、とりあえず今の俺の判断はそういうことです。

結局、この映画の根幹はコールマンの人生だと思うんだけど、コールマンがあらゆる大切な物を犠牲にして人生を通してつき通した嘘を、人生の最後の方になって一人の女性に告白した。
過去に愛した女性にそれが原因で捨てられているのにもかかわらず。
そのトラウマのために妻にも隠し通したにもかかわらず。
そこに主題があるんだろうと思います。

と、言葉にしてみましたが、読み返してみると全くまとまりもないし理路整然ともしてないけど、このままにしときます。

まず、上の方に書いた理由でこの映画は「あり」だし、また、これだけの事を考えさせられたという点でもこの映画は「あり」です。
それと同じように、この文章を書くことによってたくさんの事を考えたし、自分も深まったので、この文章も俺にとっては「あり」です。

「あり」と「なし」についてはプロフィールのところを見て下さい。

自分の考えを書き留めてみる、というのはやはり有意義なことだね。
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posted by kach 20:17comments(2)trackbacks(0)